バリ島旅行記(第2日)

インドネシアが人口2億で、中国、インド、アメリカに次ぐ世界第4位の大国であること、氷河時代はインドネシア周辺の海は干上がって島々は繋がって「スンダ大陸」を形成し、「ピテカントロプス・エレクトゥス」と呼ばれる原人たちが住み着いて人類進化の一大舞台となっていたことは案外知られておりません。
1602年のオランダ東インド会社の設立から、1945年の独立まで3世紀半に渡ってインドネシアがオランダによる植民地支配を受けたことがその原因になっているように思います。日本軍がインドネシアを3世紀半に渡って支配したオランダをたった1週間で全面降伏させたことがインドネシアの人たちを驚かせ、勇気を与え、独立への気運が芽生えさせ、そして日本敗戦によって永年の夢が結実し独立を勝ち得ました。そのため3年半に及ぶ不幸な日本占領時代が有ったにもかかわらず、日本に対して尊敬にも似た好意を持つインドネシア人が多いように見受けられました。

9世紀中頃から仏教に代わってジャワ島を中心にヒンドゥ系の王朝が栄えましたが、15世紀後半にイスラム教徒によりバリ島へ追われた結果、バリ島には他の地方には見られないヒンドゥ教独特の文化が栄え今日に至っております。
バリ島の面積は東京都の約2.5倍、人口は約300万でその大半がはバリ人のヒンドゥ教徒で、バリ語を日常話しますが国語のインドネシア語も学校で教育されているとのことでした。気候は熱帯湿潤気候で最高気温が30〜33度、湿度80%前後と高温多湿の気候ですが、5月から10月にかけてはやや低温で晴れた日が続く乾季、11月から4月にかけては毎日のようにスコールが降る雨季です。今回は雨期でしたので晴天の日はなく第2日の夜は凄いスコールに見舞われました。


宿泊先のシェラトン、ヌサ・インダーは五つ星の高級リゾートホテル(写真1)ですが格安パックだけに部屋はたいしたことはないと思っていたらとんでもない間違いでした。 部屋(写真2)はこのホテルとしては最低ランクでしたが、それでもベッド、リビング、トイレ、バス兼洗面、テラスが独立し家具・調度品には良質の木材が使用され落ち着いた雰囲気でした。後で周辺の同じ五つ星ホテルを見て廻りましたが、4階分を吹き抜けにしたこのホテルの豪華で広く涼しいロビー(写真3)は見当たりませんでした。
(写真1:ホテルの正面)(写真2:ホテルの部屋)(写真3:ホテルのロビー)


ホテル内のレストランでバイキング方式の朝食をとりましたが、日本人客が多いこともあって味噌汁、お粥、ゆで卵が用意されてましたので何とか腹ごしらえ出来ました。ヒンドゥ教では牛を食べることは禁じられている反面、イスラム教で禁じられている豚はこのバリ島では自由ですので豊富に豚肉料理が用意されておりました。食事してから、部家に戻ってテレビを見ながらくつろぎました。テレビのプログラムは地元局よりもCNN、NHK等の衛星放送が多かったので情報不足になることはありませんでした。午後はホテル内のプール(右側左の写真)で泳いでから隣接するホテルのプライベーチビーチ(右側右の写真)で甲羅干したり、木陰で読書しながらのんびり過ごしました。
(写真4:ホテル内のプール)(写真5:ホテル裏のビーチ)


夕食をホテル内のレストランで一番安いインドネアシア料理のナシゴレン(焼きめし(右側左の写真))とミエゴレン(焼きそば(右側右の写真))を食べましたがいずれも1300円でした。ミエゴレンは結構美味しかったのですがナシゴレンはタイ米に似たインドネシア米を使っているためパサパサで日本人向きではないようでした。 7時半頃まで居たのですが、その間我々以外誰1人客が来なかったのです。 100人以上はいるはずの宿泊客は果たしてどこで夕食をとっているのかの疑問は翌日判りました。
(写真6:焼きめし(ナシゴレン))(写真7:焼きそば(ミエゴレン))


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