エジプト古代史を変えた男性たち(3)
(上下エジプトをはじめて統一したメンチュヘテプ゚2世)


カイロ博物館所蔵メンチュヘテプ゚2世像
(何故か黒人の顔になってます)
メンチュヘテプ゚2世葬祭殿
(ハトシェプスト葬祭殿の左側に小さく見える)

ナルメル王が敵の下エジプトの象徴である赤冠を被って敵の死体検分に出かけたことがパレットに描かれておりますので、確かに上下エジプトを統一したことは事実と思われますが、その首都であるテーベ(現在のルクソール)は上下共通の首都として機能しておらず、下エジプトにはまだまだ反乱分子が横行しておりました。 第11王朝の開祖、アンテフ1世の時代は、「二つの国の王」を名乗りながらも、まだ、テーベ周辺地域だけしか支配しておりませんでした。

それから4代後に、メンチュヘテプ2世が王位についた頃、彼にに対立する第10王朝がまだ存立していましたが、その最大の後援者である上エジプト第13州のアシュート州候を破って名実ともにエジプトを再統一し、内政面では鉱山を開発して商業を興し、晩年はヌビアの反乱を鎮圧して同地の支配権を確立、プントとの交易で香料をエジプトにもたらし、ワディ・ハンマートから彫像用の石材を運んだりして、古代エジプトにはじめて繁栄の中王国時代の基礎を作ったことで、歴史にその名を残しております。

ルクソールのデル・エル・バハリの崖下にピラミッドを載せた列柱式のメンチュヘテプ2世葬祭殿を造営しましたが、約500年後に第18王朝のハトシェプスト女王がその直ぐ横にこれを真似して壮大なハトシェプスト葬祭殿を造営しております。(上の右の画像)メンチュヘテプ2世葬祭殿の背後には王妃や王子のための埋葬施設、一番奥に王自身の埋葬施設と祠堂、更に「バブ・アル=ホサン(騎手の門口)」と呼ばれる深いトンネルへの入り口があり、ハワード・カーターの馬がこれに躓いてトンネルが発見されたことからこの名前が付いていますが、いずれも何故か一般公開されておりませんのでその様子は判りません。

こうしたメンチュヘテプ2世の業績はその後のエジプト王朝に大きな影響を及ぼしております。その一つは首都をナイル川東岸に生者の都としてのテーベ(現ルクソール)に移したこと、そしてもう一つがナイル川西岸に王や貴族の墓等を祀る死者の都としてネクロポリスを作ったことです。彼はナイル東岸のテーベが都として大きくなっていくのを見越して、その西岸に墓を作ることを発案した。また彼の父メンチュヘテプ1世が中王国時代の祖として、アメン神の信仰を取り入れたことからアメンがものすごい勢いで神の中の神となっていくことでも後世に大きな影響を及ぼしております。

中王国時代の歴代の王は、古王国にならって、リシュトやダハシュールにピラミッドを建造しましたが、かつての黄金時代から比べると、規模はもちろん、技術的にも見劣りするものでした。 このように、政治、商業、鉱業、宗教の面でメンチュヘテプ2世は古代エジプト王国始まって以来、最大の功労者で、その治世は50年の長きに渡り、中王国時代の繁栄をもたらしましたが彼の孫に当たるメンチュヘテプ4世の代になって、家臣のアメンエムハトに王位を簒奪されて第11王朝は終わりを告げました。

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