エジプト古代史を変えた男性たち(4)
(軍事力を強めて初めて異民族を追放したイアフメス王)

カルナック神殿入り口
(イアフメス王の息子の造営)
イアフメス王はその足跡を示す遺跡等が見つかっていないことから、彼をエジプト古代史を変えたファラオとすることには専門家は異論を唱えることと思います。しかし、少ないながらも関連資料を調べた感想としては少なくともイアフメス王はベストテンにはリストされる功績多大なファラオであると私自身は思います。その理由はナルメル王の上下エジプト統一以来、農業を基盤として平和的な国作りを行い、壮大なピラミッドを作ることなどに民力を向けていたのを異民族の侵入を受けて国が乱れてしまった第二中間期の屈辱的な経験を教訓にして自国の軍事力を強化することに国家の方針を大転換させて成功した最初のファラオがイアフメス王であると考えたからです。

エジプトは、ナイル川に沿って南北に長い国で、かつナイル川上流は急流になっているので南のヌビア地方からは容易に侵略されませんでした。一方、西はリビア砂漠、東は紅海を隔ててアラビアの砂漠ですので、この時代に至るまでは唯一侵入を受ける入り口はナイル川河口でした。西アジア方面に起ったインド・ヨーロッパ語族を主流とする民族大移動の影響を受け、ヒクソス(Hyksos)と呼ばれるセム系異民族が、BC1730年ころ、エジプト古代史で言えば第二中間期の第13王朝のケンジェル王の時代にエジプトに侵入してきました。

馬・戦車・強弓で装備したヒクソス人は、このナイル川河口のデルタ地帯を征服してアヴァリス市を拠点とし、主に下エジプトを支配して順次南下して、第13王朝から17王朝まで約1世紀の間エジプトを過酷に支配しておりました。彼らの侵入は一気にではな中王国時代から少しずつ移住する形で行われたためエジプト人がその脅威に気付くのが遅れたように思われます。

第13、14王朝まではヒクソスの侵略を受けながらも、辛うじてエジプト人による王朝が存続していたようですが シェシがBC1663年が第14王朝を倒して、エジプトに異民族による初の王朝である第15王朝をアヴァリスの町を中心に開き第17王朝までの108年に渡り君臨しておりました。ただ、第16王朝の頃その勢力が弱くなりテーベを主体とするエジプト人王朝の第17王朝と対立していました。その第17王朝の王にタア2世(セケネンラー2世とも言われる)がおりました。

彼は何としても、この異民族を追い出して祖国エジプトに平和を取り戻そうとして、ヒクソス王朝に戦いを挑み、壮烈な死を遂げました。後に発見された彼のミイラの頭蓋骨には凄まじいばかりの傷痕が有りその壮絶な戦死の様子が偲ばれます。その父の跡を継いだ第17王朝最後の王となったタア2世の息子のカメス王は宮廷人の反対を押し切って全面戦争を挑み見事に父の仇討ちに成功したのです。しかしそのカメス王も戦死か病死かは判りませんがヒクソス追放の野望を遂げることなく在位わずか数年で亡くなってしまいました。そしてその野望を遂げたのが、兄の跡を継いだイアフメス王です。

彼は奇襲をかけて、ついにヒクソスの根拠地アヴァリス市を陥れ、エジプト第18王朝の開祖になったのです。 敗走するヒクソス族を追ってパレスチナまでの破竹の進撃に国内の反テーベ分子も一掃され、ここに異民族王朝を倒し上下エジプトを再統一してエジプト人王朝を復活させたのです。 イアフメス王の元には強力な常備軍が編成され、兵士たちは短剣、棍棒、槍、弓矢、盾などで武装し、ヒクソスにならって馬と戦車も取り入れたので機動力は増大しました。この兵力は後のトトメス王朝に受け継がれトトメス一世はナイルをさらに南にさかのぼり、アジアでは北シリアからユーフラテス河畔にまで軍隊を進めてエジプトの勢力圏を拡大しております。ナイルのほとりに住んでいたエジプト人兵士たちは、川は北に流れるものとばかり思い込んでいたので、ユーフラテス川が南に流れるのを見て驚き、ユーフラテス河を「逆さ河」といって話の種にしたとの逸話が残っております。

こうして異民族の支配を1世紀に渡って受け続けたのに、エジプト文明は途切れることなく次の栄光の500年と謳われた新王朝時代にスムーズに移り変わっていったことも凄いことだと思います。それは、エジプトで崇められる神はすべてエジプトの神であり、外来の神々もすんなりとエジプトの神にされ、外来の人々もまた当時世界最高の文化を誇っていたエジプト人になることに憧れ、王たちもこぞってエジプトの風習を取り入れてエジプトの王たちと同じように振舞おうとしたためと思われます。

イアフメス王は治世25年で亡くなりましたが、エジプトにとって幸いだったのはその正妃のイアフメス・ネフェルトイリがまだ幼かった息子を補佐して偉大だった父に負けず劣らず名君の誉れ高いアメンヘテプ1世に育て上げたことでした。アメンヘテプ1世は墓と神殿を切り離す形式を最初に考案し、古代エジプトで最大の神殿であるカルナック大神殿の造営を指揮し、その子孫のトトメス1世、ハトシェプスト女王、トトメス3世、アメンヘテプ4世等は豪華絢爛たる栄光の新王朝時代のファラオとして君臨したのでした。イアフメス王にまつわる遺跡等が全く無いため、その代わりに、彼の息子のアメンヘテプ1世が造営したカルナッック大神殿の画像を貼り付けました。


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