エジプト古代史を変えた男性たち(5)
(異例の王位継承と譲位で第18王朝の幕を閉じたホルエムヘプ王)


王家の谷・ホルエムヘプ゚王墓内の石棺
(死者を守護する4女神の姿)
王家の谷・ホルエムヘプ王墓内の壁画
(神々から迎えられる王の姿 )

このファラオが何故か、私には魅力的に思えるのです。彼は書記から軍人になって頭角をあらわし、アメンヘテプ3世の時には総司令官の地位についておりましたので、この時の王室の様子を、本サイトの日記「エジプト古代史を彩る女性たち(3」を基に私の勝手な推論を加えて再掲してみたいと思います。

中東のミタンニ王国の王女だったネフェルテイテイは、アメンヘテプ4世からの熱烈な求愛に応えて15才の若さでエジプト王家に嫁いできたものの、夫のアメンヘテプ3世に結婚して間もなく死に別れてしまいました。しかし、この美しく若き未亡人に対する周りの配慮もあって、アメンヘテプ3世の息子でその後を継いだアメンヘテプ4世と再婚します。つまり、義理の息子と結婚したわけです。

アメンヘテプ4世は父の3世と違い宗教改革に一命を賭した堅物でひたすらこの美しき義母ネフェルテイテイを愛していたようですが、それでも彼女以外の女性を何人か妻に迎えております。しかし、妻であり母であるネフェルテイテイの三女のアンケセナーメンを妻に迎えた時はさすがにネフェルテイテイは落胆し、離婚同然の状態になって別居したようです。つまり、アメンヘテプ4世は義理とは言え、母と娘を妻にしたわけで、ここからネフェルテイテイ親娘の悲劇が始まります。

ところが、このアメンヘテプ4世は脳腫瘍を患っていたらしく、これまた早死にしたため、アンケセナーメンもまた母のネフェルテイテイと同じように若くして未亡人になってしまいました。当然のことながらここで王位継承問題が起こります。この時点でホルエムヘプはファラオへになる策略を考えていたと思うのです。そのためには次の条件を満たす必要が有りました。

1.繋ぎの王をより短命に終わらせること
2.王位継承権を持つ王妃と結婚すること

王族でないホルエムヘプには王位継承資格は有りませんから、1.を満たすには繋ぎの王は余命の少ない高齢者か逆に政権を操れるぐらいに幼い者である必要が有ります。実際は20才前後のスメンクカーラーが継承し当ては外れしましたがホルエムヘプはこれを予想していたと思われます。アメンヘテプ4世とミタンニ王国の王女キヤとの間に出来たスメンクカーラーとツタンカーメン兄弟のうち長男のスメンクカーラーが王位を継ぐのは当然の成り行きだったからです。

ところがそのスメンクカーラー王がわずか3年たらずで謎の死を遂げてしまったためホルエムヘプの思う壺になり、更に都合のいいことに10才に満たないスメンクカーラーの弟のツタンカーメンを次期ファラオとの声が高まってきました。王位継承権は亡くなったファラオのより上位の王妃に帰属しますから、この時点でネフェルテイテイ、メリトアテン、アンケセナーメンの順位になりますが、何故か最下位のアンケセナーメンに王位継承権が帰属されているのです。つまり、何らかの事情で上位者が継承権を放棄または死亡しているかですが、ネフェルテイテイが放棄、メリトアテンが死亡していたとの説が有力のようです。

つまりネフェルテイテイは継承権を放棄する代わりに継承権を持つ娘のアンケセナーメンとツタンカーメンを結婚させてツタンカーメンが王位を継承するよう実力者のアイとホルエムヘプに働きかけてきたので、ホルエムヘプには思う壺ですからアイとともにネフェルテイテイに協力をした結果、ツタンカーメンがわずか9才で王位に就きました。ツタンカーメンは同じミタンニ王国の王女と夫のアメンヘテプ4世の息子だったので幼少の頃からネフェルテイテイは引き取って可愛がっておりましたのでこの結婚はネフェルテイテイにとって願ったり叶ったりでした。しかし、幼いツタンカーメンは叔父で宰相のアイと軍事権を掌握するホルエムヘプの傀儡となり、政治的には恵まれていなかったと思われます。

そして、これまたホルエムヘプにとって都合のいいことに幼いツタンカーメンは王位継承して10年足らずの18才の時に兄のスメンクカーラーと同様に謎の死を遂げたのです。ここで漸くホルエムヘプに王位継承のチャンスが巡ってきました。つまり、王族で王位継承の資格の有る者は老人の宰相アイ以外におりませんから、後は2.の条件さえ満たせば王位を継承出来ることになります。しかし、アメン神官団を中心とする周囲は宰相アイを押していたらしく、ホルエムヘプはここでも一歩退いてアイの後を狙ったと思われるのです。

一方、再びネフェルテイテイ親娘を襲ったこの不幸は致命的でした。母ネフェルテイテイは失脚し、娘のアンケセナーメンは最愛の夫を亡くした悲しみに加え、いずれも臣下のアイかホルエムヘプを夫に選ぶことを運命付けられ苦悩の日々が続きましたがいずれをも選ばずに彼女の母の母国、ミタンニ王国の王子ザナンザを選びエジプトに来るように手紙で懇願したのでしたが、この王子もエジプトへの旅の途中に暗殺されてしまい、一縷の望みを絶たれたアンケセナーメンはやむなくアイと再婚し、アイが王位を継承しましたがその4年後に他界してしまいました。

こうして、ホルエムヘプにとって都合の悪い人物は次々と死亡し、ついに彼の出番が回ってきましたが、残念ながら、2.の条件を満たすことはできませんでした。つまり、王位継承権を持つアンケセナーメンには更に次の夫を選んで王妃として残る意欲も気力もなく失意のうちに失踪したと伝えられております。そこでホルエムヘプはアンケセナーメンの叔母のムトノジメットと結婚することで形式上の王位継承を行ってアメン神官団の合意をとりつけて王位に就きました。そしてそれからが凄いのです。その後30年に及ぶ治世で、特に画期的な成果は出していない反面、ツタンカーメンやアイの建造物に自分の名を刻み、王名表にアメンホテプ3世の次の王を全て抹消して自分を位置付けているのです。

王家の谷に造られた墓は壮大なもので、ツタンカーメンに造られたのを勝手に転用したのではないかとの説も有るほどです。この王墓盗掘に遭いミイラも不明ですが、上の画像のように石棺、壁画は残っております。そして、これが全くの謎なのですが、それだけ苦労して得た王権をいとも簡単に自分の部下だったラメセスに譲ってしまったのです。その結果、イアフメス以来続いてきた第18王朝、つまりトトメス王朝は幕を閉じ、次の第19王朝のラメセス王朝に移っていくのでした。何とも理解し難い引き際で、謎が謎を呼ぶ波瀾万丈の生涯だっただけに私はこのファラオに魅力を感ずるのです。
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