エジプト古代史を変えた男性たち(6)
(古代エジプト王国最強のファラオ・ラメセス2世)


ラメセス2世のミイラ
(カイロ博物館所蔵)
ラメセス2世の巨大な座像
(アブシンベル大神殿)

今日2月22日はラメセス2世の誕生日です。彼が建造した多くの建造物の中でアブシンベル大神殿(上・右の写真)は最高傑作と言われており、誕生日の2月22日と戴冠式の10月22日の年2回だけこの神殿の入口から一番奥の至聖所にある4体の神像に朝日が一直線に射し込むのです。その時、4体のうち闇の神(左側のプタハ神)にだけ光が当たらないように仕組まれているのです。
(この写真参照→)

ラメセス2世の祖父のラメセス1世は、軍司令官出身で後に18王朝最後のファラオになったホルエムヘプに仕え、主に王家の守衛を任務としていた軍人に過ぎませんでした。ところがこのさしたる功績も無い一介の軍人が19王朝初代のファラオとなり、220年に及ぶラメセス王朝の始祖になったのです。その理由はいろいろ調べてみましたが判りませんでした。ホルエムヘプが子供に恵まれなかったとは言え、何故18王朝の血縁者に大政奉還せずに王家に無縁のラメセス1世に譲位したのか、これはツタンカーメンの死とともに永遠の謎と思います。

ホルエムヘプから王位を譲られたラメセス1世は既に高齢だったため即位2年後に息子のセティ1世に譲位しました。セティ1世は13年間の治世の中で、長年に渡る対外政策の無策によって失われたエジプトの利権を回復するためにシリア・パレスティナの臣属国に軍事遠征し、またデルタ地帯に後に王都となる、ペル・ラムセスの基盤を固めました。

そして、高齢の父から譲位されて苦労した自身の二の舞を息子(後のラメセス2世)にさせないように、息子が10代の頃から軍事遠征に息子を帯同させたり、譲位の前に息子と共同統することでスムーズに息子に政権を移行させることに成功しております。つまり、セティ1世のラメセス王朝の基礎固めをした功績は偉大で、その証拠に王家の谷の王墳の中でセティ1世の王墓は最大規模を誇っております。

ラムセス2世は67年間の長い期間、エジプト全土のファラオとして君臨しましたが、次のことが彼をしてファラオの中のファラオとして語り継がれ、彼以降、3世から11世に至るまで、何人ものファラオがラムセスに憧れてその名前を継承しております。

・軍事遠征による領土の維持・拡大:
・ネフェルタリへの熱愛と多くの側室:
・壮大な建造物の建造:

ラムセス2世は当初はシリア・パレスチナに軍事遠征しましたが、その後ヒッタイト王国の勢力が友好国ミタンニ王国をシリアから追い落とすほどに強大になってきたため再度シリアに遠征し、現在のシリア・レバノン国境近くのオロンテス河畔付近のカデシュでヒッタイトと衝突し、有名 カデシュの戦いが行われました。この戦いは両軍の痛み分けに終わりその後も小競り合いが続きましたがそれぞれの国内事情から和平に合意し世界初の和平協定が締結されました。この時、ヒッタイト国王ハットゥシリ3世は自分の娘のマト・ネフルラーをラメセス2世に嫁がせ、ラメセス2世は彼女を第一王妃にしたとの記録も残っております。

しかし、第一王妃は父セティ1世から贈られた側室の中から選んだと言われる絶世の美女ネフェルタリと言うのが通説で、アブシンベルに彼女のために小神殿を建造し、王妃の谷に最大規模の豪華絢爛なを作ったことをその証拠としております。彼は王妃ネフェルタリ、王妃イシスネフェルトとの間に出来た自分の娘も王妃にしてしまうなど、その側室は数百人を越え、200人以上の子供を作ったと言われる程の好色家で、「英雄色を好む」とは彼のためにあるようなものです。

絶大な権力を背景にエジプトを絶頂期まで繁栄させたラメセス2世は、自身の権力を後世に伝えるべく巨大なアブシンベル大神殿を創建し、更にカルナック、ルクソール神殿を増築し、これら神殿内に自身の巨像、立像、座像、彫像などを数多く造らせたため建築王とも言われております。

こうして、ラメセス2世は92才で死亡し王家の谷に葬られましたが、墓は盗掘により破壊されて所在不明となり、ミイラは盗掘者達から守るため、死から約200年後に父、セティ1世の墓に移され、更に父や他のファラオのミイラと共に秘密の埋葬場所に移されましたが、幸いにも1881年に40体もの他のファラオや王妃とともにデイル・アル・バハリの崖下で発見され、現在はカイロ博物館に保存・公開されております。(上・左の写真)

この日記「ユダヤ民族の歴史(4)」に書きましたように、ヨセフの時代にユダヤ民族が食料飢餓で住めなくなったためエジプトに移住し、多産でよく働いたためこれを恐れたラメセス2世が彼等を奴隷とし、生まれた男の子は全てナイル川に捨てるよう命じたと旧約聖書は記しております。そしてラメセス2世の王女に見つけられて彼女の子供として育てられたモーゼが義兄ラメセス2世の片腕として王族に加わりますが、同胞のユダヤ民族の窮状を救うべく義兄を説得して同胞をエジプトから脱出させたとも記しております。

問題は、その脱出の途中に気が変わったラメセス2世率いるエジプト軍に追われて紅海に辿り着いた時、紅海が2つに割れて出来た海底の道を走って対岸に渡りきった時、海が再び元に戻ってしまったため渡りきれなかったラメセス2世軍とともにラムセス2世がここで死亡したとの旧約聖書の記述です。これが事実ならラメセス2世のミイラが現存すべくもなく、それに92歳の老人が一軍を率いての行軍はまず不可能と思われますので、ここはエジプト側の遺跡に裏付けられている歴史を信用したいと思います。

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