藤枝東高物語(1)
体育の授業はサッカー紅白戦 (2006年5月17日の日記より)
藤枝東高物語(2)
山田、長谷部のコンビで浦和快進撃 (2005年12月29日の日記より)


藤枝東高グラウンドに建っている「蹴上王者」の像


高校時代、私は体育の授業がある日は憂鬱でした。元々、運動神経が鈍く、中学時代からスポーツは何をやってもダメだったからです。当時、この高校ではサッカーが校技に指定されていたことから、クラスを2チームに分けて試合することになっておりました。足が遅い私はボールに触ることも出来ないままグラウンドをただウロチョロするだけでした。しかし、ただ漫然と突っ立っているところを、当時の体育主任でサッカー部の監督だったと記憶しておりますが、あの小宮山先生に見付かると、とサボタージュ行為として単位がもらえなくなる恐れが有りますので余計辛かったのです。

チーム内にはサッカー部員が数人おりますので殆どの時間帯、彼等がボールを支配し審判がいないのでオフサイドフリー同然で滅茶苦茶な得点争いになったように記憶しております。 言わばサッカー部員の練習に付き合わされたようなものでした。しかし、今にして思えば、日本選手としてW杯で初得点した中山雅史も、最年少で2006W杯出場選手候補に挙がった長谷部誠もこの同じグラウンドで体育の時間に走り回ったのだと思うと懐かしさがこみ上げてきます。そして、このグラウンドにサッカー観戦に来られた昭和天皇を見たことや、今や元日の風物詩ともなった天皇杯サッカーが1961年にこのグラウンドで行われたことなども思い出されてきます。全国のサッカー少年たちにとってこのグラウンドがサッカーの聖地として憧れの対象になっていることなどその時は知る由もありませんでした。

当時は野球全盛時代で、サッカーはごく限られた人たちにしか知られておりませんでしたから、昨日のジーコ監督の2006W杯出場23選手名発表が殆んどのテレビ局で同時生中継されたことを思うと隔世の感が有ります。 大正13年創立時の初代校長・錦織兵三郎氏がサッカーを「比較的短時間で勝敗が決まる上、精神修養によく、かつ日本では未開発競技で将来性が有る」と評価して校技に指定したその先見の明に頭が下がる思いがします。その結果、その伝統が清水にも及び今回の2006W杯出場23選手中、清水の高校出身者が4名も含まれいることに静岡県出身者として誇りに思います。

前回の2002W杯出場23選手の布陣(括弧内は今回)は、GK=3(3)、DF=6(8)、MF=10(6)、FW=4(5)でしたからMF中心からDF、FW重視のジーコ監督の戦略が伺い知れます。ただ、静岡県出身者が前回の7人( 三都主、中山、市川、服部、福西、森岡、戸田)から4人に減っていること、平均年齢が25.7才から26.1才に上がっていること、平均身長が179.0cmから178.5cmに下がっていることが私としては気に入りません。それ故に23選手中で最長身長DF中沢(187cm)への期待が高まります。またジーコ監督が巻選手を選んだ理由のひとつに23人中3番目の彼の身長184cmが有ったようにも思われます。いずれにしても身長対策をより慎重に行う必要が有るようい思います。


浦和レッズでの長谷部選手

今日は久しぶりに天皇杯準決勝戦2試合をNHKテレビで観戦しました。最初は静岡スタジアムでの私の故郷静岡の清水エスパルス対C大阪戦でした。前・後半得点なく試合は15分ハーフの延長戦に持ち込まれ、その延長前半11分、韓国代表FWチョ・ジェジンが値千金の決勝点をヘッドで決めて元日決戦への切符を手にしました。もうひとつの準決勝戦は国立での浦和レッズと大宮アルディージャの埼玉同士の戦いでした。私がどうしても観たかったのはこちらの方でしたが、静岡スタジアムの方が延長戦に入ったため中継が始ったのは後半戦からでした。実は、浦和レッズには私の後輩(山田暢久、長谷部誠、赤星貴文)が3人も在籍していて、そのうち長谷部誠選手がつ先日、勿論彼としては初めてのA代表に選ばれましたので、初めて彼のプレーを観られるのではとの期待が有ったからです。

幸い、山田暢久、長谷部誠の両選手はスタメン出場していましたのでそのプレーを存分に観ることが出来ました。山田暢久選手はレッズの主将を務めA代表経験も有りますので、何回かプレーは観ておりますが、長谷部誠選手のプレーを観たのはこれが初めてでした。試合はレッズが前半、23分マリッチのゴールで先制したもののその3分後に片岡に同点ゴールで迎えた後半の17分、長谷部誠選手が絶妙のドリブルで突破して相手GKと1対1となったところでGKの差し出す手をかいくぐって右隅にゴールして2:1でリードし、相手の猛攻を交わして残り1分となったところでDF陣が錯綜してまさかの富田の同点ゴールで振り出しに戻り、静岡スタジアムと同様に延長戦に入りました。

延長前半、5分長谷部誠選手が絶妙のドリブルで相手陣を突破して左にいた先輩の山田暢久選手にパスすると、山田暢久選手はGKの頭上をフワリと越える絶妙のボレーシュートを決めて再び1点リード、更にその7分後に再び長谷部誠選手が自陣センターサークル付近でボールをキープするや相手DFを1回、2回とかわしながらゴール前までドリブル突破し最後は右足で切り返しDFをかわした後にもう一度、右に持ち直し実に憎らしいほど冷静にGKを見てシュートしダメ押しのゴールを決めました。彼の優れたパスセンスとドリブル突破力が完璧なまでにこの試合で発揮され、2ゴール1アシストの大活躍をして、A代表入りの実力を見せつけてくれました。

そして、うれしかったのは、かっては全国優勝するより難しいと言われた静岡県予選で母校の藤枝東を昨年、一昨年と連覇に導いた功労者の一人でもある今年入団したばかりの赤星貴文選手が、延長前半14分に先輩の山田暢久に変わってピッチに立つと直ぐに相手DF陣をかわして放ったシュートがファインセーブされたシーンでした。このプレーは解説の井原氏が絶賛するほどで彼の秘められた才能が垣間見られたように思えました。こうして、レッズは藤枝東出身トリオの活躍で元旦に清水エスパルスと天皇杯決勝戦を行うことになりました。

試合後、インタビューに答える長谷部誠選手の表情は決して晴れやかなものではありませんでした。彼は、昨年のJリーグベストイレブンに選ばれるなどチームでは不動のボランチに成長しましたが、各年代の代表に無縁で全国的な知名度は低く、今回のA代表入りもFC東京の今野の故障と言う背景が有り、その胸中は複雑なものが有ったと思います。代役を務めるからには自分が代役ではなく主役なんだという アピールが必要であることを自覚し、「自分もできるという強い気持ちでやっている」とのインタビューでの答は並み居る先輩たちへの挑戦状とも受け取れました。


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