藤枝東高物語(61)
後輩、長谷部の活躍でボルフV大手2009年05月17日の日記から
藤枝東高物語(62)
後輩、長谷部の活躍でボルフV初優勝2009年05月24日の日記から


5月12日のドルトムント戦で頭に7針縫う怪我を負った長谷部選手

我が母校藤枝東高は、一昨年は全国準優勝、昨年は全国大会出場の実績を残しているのに、 2004年優勝メンバーの赤星貴文(23:浦和レッズ)以来、2005年、2006年、2007年、2008年と4年連続で、選手OBたちはJ1リーグ入りを果たしておりません。

そのような事情から、現在J1に所属している藤枝東高OBは、中山雅史(42:磐田) 山田暢久(34:浦和) 石川竜也(30:山形) 成岡翔(25:磐田) 大井健太郎(25:磐田) 岡田隆(25:磐田) 赤星貴文(23:浦和) の僅か7人に留まっており、昨年からベテランの中山、山田両OBの出場も激減し、他の5人のOBたちもさしたる活躍はしておりません。

このように、藤枝東高OB選手たちの活躍が国内のプロリーグでは殆ど見られず、寂しい思いをしておりますが、最近になって藤枝東高OB選手として初めて海外に移籍した長谷部誠選手(26:ドイツ・ブンデスリーガー・一部のボルフスブルク) の活躍が全国紙で報じられるようになり、嬉しく思っております。彼については、この日記を通して「藤枝東高物語」で、浦和時代から次のようにその活躍を取上げております。

・05-12(物語02) 「長谷部、先輩の山田とのコンビで浦和で大活躍」
・06-02(物語06) 「長谷部、日本A代表に選ばれて初アシスト達成」
・08-05(物語37) 「長谷部、ボルフスブルクでレギュラーの座獲得」
・08-09(物語02) 「長谷部、W杯最終予選バーレン戦で持ち味発揮」

彼は、東高時代は1級下の成岡、浦和入り後もひしめく日本代表クラスの影に隠れて、活躍の場に恵まれませんでした。しかし、2005年の天皇杯準決勝戦の対大宮戦で、見事なドリブル突破でゴールし2:1とリードし、同点にされた後も、再びドリブル突破して、先輩山田をアシスト、結果的にこの山田のゴールが決勝ゴールとなり、更に自らもドリブル突破でダメ押しゴールを決めるなど大活躍して一躍脚光を浴びるようになりました。

そして、ジーコ監督によってA代表に選ばれ、2006年2月には米国遠征の日本代表に初選出され米国戦で後半途中からの出場し持ち味のドリブル突破やルーパスなどで存在感を示したものの、ドイツW杯のメンバーには選ばれませんでした。オシム監督就任後は再び代表に選出されたものの、フィジカル面の弱さを指摘され途中から降ろされ、同監督のもとではその後日本代表としての活躍の場は有りませんでした。

しかし、2008年1月にドイツ・ブンデスリーガー・一部ボルフスブルクに移籍し、同年4月27日のアウェーでのレヴァークーゼン戦でブンデスリーガ初ゴールを記録したのを契機に、ボルフスブルクMFのレギュラーのポジションを獲得し、同年5月、岡田監督によって日本代表に選出されました。

キリンチャレンジカップ第1戦(対コートジボワール)に出場し、前半、右サイドを駆け上がっての絶妙なセンタリングで、同じく代表復帰した玉田圭司のゴールをアシスト。1:0の勝利に大きく貢献、以後の代表戦で右ボランチのポジションを獲得して現在に至っております。

その長谷部選手が所属するボルフスブルクは、閉幕月の5月、長谷部選手が先発出場を果たした5月12日のホームでのドルトムント戦で3:0で快勝し、昨日、5月16日のアウエーでのハノーバー戦では先発出場の長谷部選手のアシストで決勝ゴールして5:0で快勝で快勝し、2位のバイエルンに勝点で2リードして首位をキープ、5月23日の最終戦、ブレーメン戦(ホーム)で勝つか引き分ければ初優勝と初Vに大手をかけました。

長谷部選手は、今年3月28日のW杯アジア最終予選のバーレン戦でで左ひざを負傷して手術し、5月12日が手術後初の出場でしたが、好守で無失点勝利に貢献しました。この試合で、出足の鋭さを生かしたインターセプトが光り、ヘディングしようとした場面で頭をけられて流血(冒頭の写真参照)し一度はピッチに戻ろうとしたが交代し、頭を7針縫ったのにも関わらず、4日後の昨日の試合に出場しました。

昨日の試合では、包帯姿の痛々しい姿で前回に続いて、右サイドバックで先発出場し、2アシストで5−0の勝利を導き、チーム悲願の初タイトルに王手をかけました。来季の欧州CL出場権も確定させ、欧州主要リーグでは中村俊輔、中田英寿氏らに続く日本人5人目の偉業が、いよいよ現実味を帯びてきました。


優勝の喜びを日本人レポーターに話す長谷部選手

日本でも「カブト虫」の異名で知られている「フォルクスワーゲン・ビートル」を作っているドイツの世界第5位の車メーカー、フォルクスワーゲン社の本社があるボルフスブルクの街は、この日5月23日に歴史的な瞬間を迎えようとしておりました。

1945年に、このフォルクスワーゲン社がスポンサーとなって創設されたサッカーのクラブチーム、ボルフスブルクは、欧州4大リーグのひちつであるブンデスリーガに所属しておりましたが、1996年に1部に昇格してからも下位を低迷しておりました。

といころが昨年、スポンサーのフォルクスワーゲン社の潤沢な資金により、昨年選手の大補強が行なわれた結果、1部昇格後ベストとなる5位に躍進しました。その補強選手の中にブラジル人FWのグラフィッチ(30)、 ボスニア・ヘルツェゴビナ人FWのエディン・ジェコ(23)に混じって浦和から移籍した長谷部選手等が居りました。

この2人の外国人FWの2トップは、合計54得点を叩き出してリーグ最強コンビと謳われ、更にドイツ生まれの1.FCニュルンベルクボスニア・ヘルツェゴビナ人MFのミシモビッチ(27) が司令塔として、ライバルのFCニュルンベルクから加わって、長谷部選手とともに左右の攻撃的ボランチの役を果たすことによって、得点力が高まり、ついに今年の4月4日、バイエルン・ミュンヘンをホームで5:1で下して8連勝を飾り、ドルトムントに敗れたヘルタを抜いてクラブ史上初の首位に躍進しました。

その後首位をキープし続け、2位のバイエルンに勝点で2リードして、勝て初優勝(引き分けても得失点差で事実上優勝)となる最終戦のブレーメン戦の大一番をホームの3万人収容のフォルクスワーゲン・アレナに迎えたのでした。超満員のサポーターの歓声が沸き起こったのは試合開始からまもない前半6分のことでした。

右サイドの長谷部が相手ボールを奪ってゴール前に送ったパスを、新司令塔のミシモビッチが先制ゴールしたのでした。ミシモビッチは、長谷部を肩車して喜びをアピールし、長谷部への感謝の思いを表したのでした。 この先制点でスタジアムの雰囲気が一変し、その後も強力2トップのグラフィチ、ジェコなどのゴールが続き、5:1の快勝に繋がっていったのでした。

アシストの長谷部を肩車して喜ぶ先制ゴールのミシモビッチ

試合終了の笛が鳴り渡った瞬間の歓喜に湧くスタンド風景

その瞬間、近くに居たMFのジョスエに抱き付く長谷部選手

日の丸を手にして日本人レポーターにアピールする長谷部選手

憧れの優勝盾「マイスターシャーレ」を掲げて喜ぶイレブン

優勝セレモニーで表彰台上で歓喜する選手、スタッフ

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