藤枝東高物語(3)
公立校の優勝が多い高校サッカー(2006年5月17日の日記より)
藤枝東高物語(4)
錦織初代校長の先見の明に感嘆 (2006年5月17日の日記より)


今も昔も変わらない懐かしい母校の正門

今年の高校サッカーは長崎県立国見高校が昨年の滋賀県立草津東高、今年の岐阜県立岐阜工高を破って連続優勝しました。3年前は千葉県舟橋市立高校が鹿児島県立鹿児島実業高校を決勝で破って優勝しておりますので、実に3年連続決勝戦は全て公立校の間で争われたことになり、高校サッカーでの公立高校の活躍が最近目立ちます。

そこで過去78回の優勝校を調べてみたところ、公立高校が64回、私立高校が21回で圧倒的に公立高校が優位にたっていることが判りました。(尚、優勝校が85校と大会数より7校多いのは同時優勝が7回有るためです。) 優勝回数は、帝京、国見の各5回、藤枝東の4回、市船、清水商の各3回とやはり圧倒的に公立校が目立ちます。 戦前の御影師範(兵庫)の第1回大会からの30連勝、 第38回大会から浦和市立( 埼玉)、第41回大会から藤枝東(静岡)の12連勝の記録も公立校によるものです。

同様のことを高校野球と高校ラグビーについて調べてみました。 ラグビーは公立校が49回、私立校が36回とここでも公立校が優位にたっておりますが、最近は私立校が優勢です。 優勝回数は、秋田工の15回、同志社の9回、目黒高の5回、大阪工大高、保善高の各4回、伏見工、國學院久我山, 啓光学園の各3回となっております。

野球は私立校44回、公立校38回で私立校が優位にたっております。 優勝回数は、中京、広島商の各6回、松山商の4回、平安の3回となっております。

サッカー、ラグビー、アメフト等の球技はチームプレーの比重が高く、特にサッカーの場合はいくら個人技に優れたFWがいても、そこに繋ぐパス、MFからの指示、フォーメーション等のチームとしての戦術が徹底されないと得点には至らない場合が多いようです。 そこで、実戦経験豊かで指導力のある監督の力量が必要になるわけで、国見高の小峰監督、藤枝東高全盛時代を築き上げた名著「サッカー教室」で知られる長池監督等、全国レベルルの実力高には必ず名監督の存在が認められます。


初代校長・錦織兵三郎氏

ゴン中山と私の母校の藤枝東高の前身は旧制志太中学と言って戦前から昭和40年代にかけて浦和と日本一を競うサッカーの名門校でした。大正13年創立された時の初代校長・錦織兵三郎氏の「比較的短時間で勝敗が決まる上、精神修養によく、かつ日本では未開発競技で将来性が有る」との発想によりサッカー(当時は蹴球と言った)を校技にしたのですが、当時サッカー部を持つ学校は殆ど無い状態でしたので日本一になるのにさほど時間はかかりませんでした。

1873年(明治6年)、海軍兵学校に教師として来日していた英国海軍のA・L・ダグラス少佐が生徒にサッカーを教えたことが日本のサッカーのはじまりで、1899年(明治32年)、神戸の御影師範にようやく日本人だけのサッカーチームができました。師範学校にサッカーが取り入れられたことで、その後、教師となって全国に散った卒業生がサッカーの普及と指導にあたるようになり、サッカーは徐々に広まっていきました。

その流れが全国に及び、静岡県では1919年(大正8年)静岡師範、浜松師範に次いで浜松高工・旧制静岡中・浜松一中の後に志太中に蹴球部が誕生し、1931年(昭和6年)志太中が全国中等学校蹴球大会に初出場初優勝を飾りました。藤枝東高になってから黄金期を築きあげたのは同校の国語教師でもあった長池實監督です。彼はは昭和38年の第41回全国高校サッカー選手権大会において藤枝東高を優勝に導いて以来、実に計8回の全国大会優勝を成し遂げた名監督で、サッカー理論の名著「サッカー教室」も著しております。この本は、現在でも日本では将来サッカー選手を目指す中学・高校生たちに人気が有りますが、興味深いことに、お隣の中国でも最近、この記事にもありますように、「足球教室」と訳されて注目を浴びております。

しかし、日本サッカーの指導者として嘱望されながらも昭和62年4月、肝臓疾患のため55歳の若さで不帰の客になられました。 確か昭和29年頃だったと記憶しておりますが、当時まだ独身で静岡方面の高校の教師だった長池實氏が、当時静岡高校の生徒だった私の親友のお宅に寄宿していた関係で、その親友のお宅に遊びに行った折に、長池實氏を交えて麻雀をする機会がよく有りました。国語の先生の割には論理的で物静かながらも内に闘志を秘めたところがあるナイスガイでした。でも、その際、長池實氏は一度もサッカーの話はされませんでした。

その彼が藤枝東高の監督を辞めてから、藤枝東高は全国大会の優勝から遠ざかり、代わりに台頭した同じ静岡県の静清4人衆(清水商、清水東、静岡学園、東海大一高)に県内王座を明け渡し、1981年以降県代表になったのはゴン中山2年生の時の1984年と1997年の2回しかありませんが、その間に清水勢は22回(清水商9、静岡学園6、清水東5、東海大一高2)も代表になり、そのうち6回も全国優勝してサッカー王国清水を誇っております。しかし、いずれ清水は静岡と合併しますので清水の名前が消えてしまうのでしょうか。

高校時代、体育の時間が嫌でした。サッカーが校技ですから体育の時間はクラスを2チームに分けてサッカーの試合をするのですが、足が遅い上、運動神経の鈍い私はボールに触らせてももらえなかったので退屈でしかたなかったのです。 しかし、それでも球を追っかけないとサボタージュとして単位がもらえなくなるので辛かったのです。チーム内にはサッカー部員が5、6人おりますので殆どの時間帯、彼等がボールを支配しておりましたが、審判がいないのも同然ですのでオフサイドはフリーでしたから滅茶苦茶の得点争いになったように記憶しております。


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