藤枝東高物語(13)
静岡トリオについて(2) (2007年12月18日の日記より)
藤枝東高物語(14)
静岡トリオについて(3) (2007年12月19日の日記より)


ロスタイム、同点ゴールを決めたイラクのオスラム

「・・・そして、このトリオはそれから8年後の1993年にW杯アジア予選に日本代表として参加することで再会を果たし、勝てば日本初のW杯出場が決まる最終戦のイラク戦が行われるドーハのアル・アリスタジアムのピッチに夫々に思いを秘めて立ったのでした。三浦選手の先制点、同点にされた1:1の後の中山選手の勝ち越し点で、ロスタイムに突入し歓喜の瞬間を迎えようとしておりました。しかし、武田選手のサッカー人生の中で忘れることの出来ないプレーがその数十秒後に起るとは・・・。今日は、ここまでにし、次回(2)でその続きを取り上げたいと思います。」

上の文章は、11月30日の日記「ゴン カズ ノブの静岡トリオのこと(1)」のラストの部分です。今日は予告どおり、この続きを書いてみたいと思います。 「ドーハの悲劇」は、サッカーファンは触れたくない、思い出したくもない事件で、ましてや、日本の夢を撃ち砕いた上の画像は観るに耐えないシーンかも知れません。しかし、サッカーの戦術がこの事件を契機に変わり、二度とこのような悲劇を繰り返さないことに徹していることを監督も選手もそしてファンも共通の戦術として認識していることを確認することで、ノブこと武田選手一人が悪者にされてきた従来の見方を是正するためには、この悲劇のシーンをもう一度振り返ってみる必要が有るため敢えて採り上げた次第です。

(1)「武田の痛恨のパスミスでロスタイムでイラクに同点ゴールされ・・」
(2)「武田修宏のパスミスからイラクに決定的チャンスが生まれ・・」
(3)「サッカーでのショックだったらドーハの武田ショックという・・」
(4)「訳の分からんパスミスと無意味な攻撃のオンパレード・・」
(5)「センタリングをあげた武田、 同じくパスミスしたラモス・・」
(6)「交代で入った武田選手が、 ... この場合は、パスミス・・」

上の文章は「ドーハの悲劇 武田 パスミス」で検索して得られたサイトの文章の一部です。共通しているのは「ドーハの悲劇は武田選手のパスミスに端を発した」になっていることです。何を隠しましょう、(1)は幣サイトの3年前の日記ですから、当時の私もそのように考えておりました。確かに、ノブこと武田選手の、今にして思えば不用意な右サイドからのセンタリングが相手に渡り、これがきっかけになって与えたCKで同点にされたのですから、武田選手がパスミスを犯したことは事実です。しかしこの武田選手のパスミスだけが一人歩きして、武田選手を悲劇をもたらした張本人とする見方は的を得てないと思います。

そのことを確かめるために、改めてこの時の様子を振り返ってみようと思います。正確な時刻は判りませんが、ロスタイムに入ってオフト監督は、リードしてロスタイムに入った場合の戦術としては常套手段の「時間稼ぎの交代」を行うべく、疲れが見え始めたゴンに代えてノブを出場させました。交代そのものは妥当ですが、ロスタイムに入って、更に1点を取りにいくことよりも、あと1、2分守り切ることのが優先されます。ノブはFWとしてはディフェンスはあまり得手ではないので、MFの北沢選手の方がよかったはずですし、むしろ思い切ってDFを出しても良かったはずです。

当然、代わったノブがオフト監督の交代の意図を「攻撃は最良の防御なり」と解釈したとしても無理も有りません。そこで、彼は右サイドから中央にいたラモスに向けてセンタリングしました。ところが、このセンタリングが不正確でラモスに渡らずに相手DFに渡ってしまいました。幸い、ラモスはこのボールを取り返して縦パスしたのですが、このぱすがパスミスとなって相手DFに渡り、逆サイドからのカウンター攻撃によるシュートはGK松永が辛くもはじいて事無きを得ましたが相手にCKを与えてしまいました。


引退の記者会見で「ドーハの悲劇」を振り返る武田修宏氏

この時日本は、ロスタイムが残り数十秒ですから当然イラクはクロスを上げてくるものと予想した守備陣形を取ってDF陣をゴール前に待機させておりました。しかし、この予想に反してイラクはショートコーナーを採用したため、FWのカズがあわてて対応に走ったもののカラフがカズのディフェンスをかいくぐってセンタリングし、そしてオムラムのヘディングシュートがGK松永の頭上を放物線を描いて越えてネットを揺らして同点ゴール、その瞬間に、カズがラモスが次々とピッチに倒れ、日本選手たちには既にリプレーする気力は失せておりました。こうして、経過をレビューしていきますと同点を招いたミスプレーを時間順に次のように整理できます。

1.オフト監督が明確な指示をしないまま攻撃重視の交代を命じた。
2.ノブがセンタリングを上げて相手にボールを渡してしまった。
3.ラモスが縦パスして相手にボールを取られてしまった。
4.CKをクロスとみてショートコーナーへの配慮が欠け隙を突かれた。

単純にこの四つのミスを均等に評価すれば、武田選手のミスは1/4で、1.のオフト監督、3.のラモス選手、4の選手全員にもその責任が問われることになります。後になって、オフト監督はこの交代をミスと認めていませんし、ラモスもノブやオフト監督を批判しても、自分のこのミスに関しては言及しておりませんし、DF陣も自分たちの非は認めておらず、、ノブも後に「得点をねらうのが自分の仕事だから」と言ってセンタリングを上げたことをミスと認めておりません。

こうして、名前の挙がった当事者のいずれにも責任無いことになってしまうと、「ドーハの悲劇」の主人公がいなくなってしまい、後世にこれを伝え継いでいくのに迫力に欠けることから魔女狩りがはじまり、結局は最初のミスプレーをしたノブが一人非難の矢面に立ってしまいました。ノブは悔しかったことと思います。恐らく今でもあのセンタリングは間違っていなかったと信じていると思います。しかし、このことは彼のこころに重くのしかかり、「ドーハの悲劇」の後も僚友のゴンもカズもW杯日本代表に選ばれましたが、ノブは二度と選ばれることはありませんでした。そして、2001年12月に現役引退したのでした。

「ドーハの悲劇」の頃は、正々堂々と最後まで戦い抜くことをサッカーの美徳とする風潮が残っており、そのような価値観から捉えるならばノブのセンタリングは間違ってはいなかったことになります。しかし、現在では、W杯の国際試合を含むプロサッカーの試合は言うに及ばず、高校、五輪等のアマチュアのサッカーの試合でも、リードした側の選手がロスタイムに入ってから相手コーナー付近でボールをキープして時間稼ぎすることは当然の戦術として採用され、認められてきております。従って、現在の価値観では明らかに、監督の攻撃重視の交代指示も、ノブのセンタリングも、ラモスの縦パスも全てミスということになります。以上の理由で、ノブ一人を悪者扱いにする従来の見方は是正されるべきと考えた次第です。


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