藤枝東高物語(53)
藤枝東の選手たちの12月に思うこと 2008年11月23日の日記から
藤枝東高物語(54)
高校サッカー選手権出場校に思う 2008年11月18日の日記から


今も昔のままの藤枝東高正門
(藤枝東高物語(3)より)

高校生にとって12月はいろいろな意味で人生で大切な1ケ月になることと思います。大学受験を志す者にとっては、12月は最後の追い込みの月であり、就職が決まった者にとっては12月は学生時代最後の年末年始を迎える月だからです。 進学率は90%を超え、東大・京大の進学者数は計5人にすぎないものの名古屋大等の旧帝大系や静岡大など地元を中心とする国公立大に進んだ生徒が卒業生の62%(200人)に達する進学校の藤枝東の3年生にとって12月はまさに人生の岐路と言えます。

サッカーの選手たちも殆どが進学を志望します。サッカーは、野球、バレーなどと異なり、ラグビーとともに年末年始に全国大会が開催されますので、11月中旬に地方大会で優勝すると、12月は年末年始から始まる全国大会に備えての大事な準備期間となります。つまり、静岡県大会で優勝した藤枝東のサッカー選手は受験と全国大会への準備の両方に備えねばなりません。これは大変なことと思います。

決勝戦翌日の11月17日から12月下旬までの1ケ月は、午前から午後にかけて授業を受け、午後から夕方までグランドで練習、帰宅してから夜は受験勉強の日々が続きます。そして全国大会初戦の1月2日に備えて少なくとも1週間前から関東地区のホテルで合宿することになります。その期間中でも夜は受験勉強をすることになります。

昨年、国立のピッチに立ったイレブンのうち、河井陽介君は慶応大、鳥羽亮佑君は筑波大、松田純也君は同志社大、中村龍一郎君は関西学院大、小関教平君は立命館大と夫々、有名大学に入学してその後もサッカー部で活躍しております。ただ、そんな3年生選手の中で、持病の椎間板ヘルニアの痛みをブロック注射を打ち、座薬を挿入して堪えながらも常葉学園橘との決勝戦で決勝ゴールをあげた新井選手は大変だと思います。

私も同様の病歴を経験をしておりますので、あの痛みはよく判ります。彼にとっては、この期間は受験、練習、治療の三つに対峙しなければなりません。現在は、自主トレに専念し、フォーメーションやセットプレーの練習に間に合うように頑張っているとのことです。新井選手をはじめ、3年生の選手諸君、後の人生で、あんなに死に物狂いで無我夢中になって頑張ったことは無かったと振り返られるように、悔いを残さないように、この1ケ月を精一杯頑張って下さい。他でもない、きみたち自身のために・・・・・。

高校サッカー選手憧れの国立(昨年の決勝戦から)

第87回全国高校サッカー選手権の全出場48校の組み合わせ抽選会が昨日(11月17日)、都内で行われ、このように決まりました。 全出場48校のうち神奈川代表1校を除く47校が既に決定しており、初出場は大阪桐蔭、長崎日大等7校、連続出場校は12年連続の青森山田等17校、最多出場は秋田商、徳島商(ともに37回)でした。主なトピックスは次のとおりです。

・埼玉総体優勝の市船が4年ぶりに出場:
千葉は市船をはひめ、昨年優勝の流経大柏、習志野、八千代等の強豪校がひしめく激戦区で、かっての静岡のように、全国優勝するより予選で優勝する方が難しいとさえ言われております。昨年、我が母校の藤枝東が決勝戦で惨敗した流経大柏は、今年も優勝候補筆頭に挙げられていながら、準々決勝で渋谷幕張と対戦し、0-0のPK戦の末に8-9で敗戦してしまいました。

・全国選手権で4度の優勝を誇る古豪・市浦和12年ぶりの出場:
ノーシードから勝ち上がり、決勝トーナメントは準決勝までの3試合でPK勝ち。決勝戦も延長までもつれ込んだ末、延長後7分にFW桑原のゴールで決着をつけました。

・松山北46年ぶりの出場:
平成元年に全国優勝を果たした南宇和に逆転勝ちを収めた宇和島東との決勝戦で延長戦の末、1−0で降し、実に46年ぶり2度目の出場を成し遂げております。

全国高校サッカー選手権は、第1回が大正6年(1917)に行なわれておりますが、戦前は師範学校主体に、たまたまサッカーを理解する指導者が居た、ごく限られた学校の間で行なわれておおり、殆ど一般には知られておりませんでした。全国規模で行なわれるようになったのは、第26回大会の昭和22年(1947)からで、去年(2007)の第86回大会まで61回行なわれております。

ところが戦前、ごく限られた学校の間で行なわれていたことから特定の地域の学校しか優勝できませんでした。その特定の地域とは、埼玉(浦和など計10回優勝)、静岡(藤枝東など計9回優勝)、千葉(市船など計7回優勝)、長崎(国見など計9回優勝)、大阪(北陽など計5回優勝)、東京(帝京など計5回優勝)、広島(修道など計5回優勝)の7地域でした。この7地域から61回中、45回優勝校が出ております。

そして、特にこの傾向が強まったのは第75回大会(平8)から第82回大会(平15)の8年間でした。実に市船、国見、東福岡の3校で優勝をたらい回ししておりました。ところが、翌年からこの流れが止まり、鹿児島実(鹿児島)、野 洲(滋賀)、盛岡商(岩手)、流経大柏(千葉)と初優勝校(同時優勝を除く)が相次ぎました。

果たして、今年もこの流れが続くのでしょうか。優勝候補は市船、帝京、市浦和、前橋育英、そして我が母校、藤枝東といったところでしょうか。


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