藤枝東高物語(55)
藤枝出身の2人の選手に思うこと 2008年11月23日の日記から
藤枝東高物語(56)
母校 藤枝東 境に快勝し初戦突破 2009年01月02日の日記から


常葉橘との決勝戦で決勝ゴールを決めた藤枝東 新井選手
(「がんばれ藤枝東」から転載させて頂きました)

母校、藤枝東の優勝の余韻がまだ残る今日、W杯最終予選での運命のカタール、ドーハでのアウエーのカタール戦を明日に控え、サッカー以外のことを取上げる気になれません。そこで、今日はくつろいだ気分で、藤枝出身のサッカーの選手2人にスポットを当ててみたいと思います。

1人は、11月12日に引退を発表し14日に引退記者会見をした元日本代表でジュビロ磐田の名波 浩選手(36)です。名波選手は、藤枝市の出身ですので当然のことながら地元の藤枝東を志望するものと周囲は思っておりました。ところが、受験直前になって突如、願書を藤枝東から清水商に変え、そのまま越境して清水商に入学してしまいました。

これに怒った藤枝の東高ファンたちが「名波を藤枝から清水行きの電車に乗せない運動」を起こそうとしたとの逸話が残るほどに街中大騒ぎになったと、藤枝在住の友人が後日話してくれました。この越境入学についてはいろいろと憶測が飛び交いましたが、テレビ対談で名波選手が越境入学した理由を語っていることが判りました。2000年1月11日にテレ朝から放映された「セリエAスペシャル」の対談で名波選手は下平アナと次おような質疑応答をしております。

下平アナ:高校に進学するとき、名波さんは藤枝ご出身で藤枝東に普
      通ならいきそうなところを、清水まで行ってるじゃないで
      すか。越境入学の真相というのは…

名波選手:真相ですか?ま、頭が悪いから。

下平アナ:またぁ、そんなことないですよ。

名波選手:いや、ホントに。藤枝東は頭が良くないと入れないんで。

      ・・・・・・・・・・

名波選手:とにかく高校選手権、お正月の。あれに出て有名になり
       たいとずっと思ってたから。その為には藤枝にいるより
       は清水の方が。ま、確率の問題で選択したんですけど。
       清水のほうがいけるんじゃないかなと。

彼の突然の志望変更は不合格になることを恐れてのことと伝えられておりますが、当時の藤枝東と清水商のサッカーのレベルは、清水商の方が上で清水商に入学したほうが県代表、更には国立に行ける確率が高かったことは事実であり、彼の選択は間違っておりませんでした。清水商を選択したことで、高校総体、ユース選手権を制覇、県代表を経験するなど清水商黄金時代の一翼を担い、更には日本代表となってW杯にも出場するなどサッカー選手として身を立てる上では成功したと言えます。多分、藤枝東を志望したら例え合格してもサッカー選手として身を立てることは出来なかったのではないでしょうか。

もう1人は、今年の選手権・静岡県予選の決勝戦で決勝ゴールを決めた藤枝東の長身FWの新井選手です。彼は、名波選手とは逆に、在学していた常葉学園橘中学からエスカレーター式に橘高校に入学できるにも関わらず、敢えて難関の進学校の藤枝東を浪人覚悟で受験し見事、合格しました。その理由は、名波選手の場合のように、藤枝東の方が県代表、更には国立に行ける確率が高いと考えたわけではないと思います。

何故なら、彼は名波選手のように中学時代から頭角をあらわしていたわけではなく、橘中学では3年間補欠でしたから、県代表の選手として国立のピッチを駆け巡ることを目標にするほどの余裕はまだ無かったからです。彼は、小さい頃から見慣れていた藤枝東のあの藤色のユニフォームを着てプレーしたかったのでした。そして、彼は難関の藤枝東の入試に見事合格しました。

しかし、皮肉なことに、彼が藤枝東を受験しようと決めた中三の時、常葉学園橘高が藤枝東の3連覇を阻止して初優勝を決め、彼が藤枝東に入学した高一の時、藤枝東は決勝で静岡学園に敗れたのでした。そして、漸く高二の時藤枝東が優勝し、国立まで行ったのでしたが、彼は相変わらず補欠のままで国立のピッチに藤色のユニフォームで立つことは出来ませんでした。しかし、高三になって大石新監督になってから、漸く選手権試合に選手登録され、のDFからFWに変わり、ハットトリックを2回達成し、そして決勝戦で見事なヘッディングシュートを決めて、国立への夢を繋いだのでした。

以上、2人の藤枝出身のサッカー選手の高校入学選択に纏わるエピソードを紹介しましたが、名波選手は結果としてその選択は彼に幸運をもたらしました。名波選手のようにプロサッカー選手として一流になれなくても、自分の意思をしっかり持って、5年に及ぶ補欠の時代に耐え、持病の腰痛に耐え、藤色のユニフォームを着てエコバのピッチに立って自らの決勝ゴールで優勝できたのですから、やはり新井選手の選択も正しかったと言えます。更に、藤色のユニフォームを着て国立のピッチに立てたら、この選択が更なる幸運をもたらすかもしれません。 がんばれ! 新井君




対境戦 前半3分 先制ゴールを決めた藤枝東 蓮池

元旦はサッカー天皇杯、正月2日、3日は箱根駅伝と高校サッカーをテレビ中継で観るのが、私の正月の楽しみになっております。特に、母校が高校サッカー全国大会に出場すると高校サッカーを観る楽しみが倍加します。そんなことで、今日は箱根駅伝の往路中継とその後の高校サッカーが観れますので朝からウキウキしておりました。

サッカー天皇杯は、12月14日以降、クラブW杯で準々決勝、準決勝、3位決定戦、天皇杯でも準々決勝、準決勝と、3日に1試合の厳しいスケジュールをこなしてきたガンバ大阪が、疲れをものとせず柏レイソルを延長戦で下して優勝しました。

記念大会で23校で競われる第85回箱根駅伝は、東洋大がスーパールーキー柏原竜二(1年)が、山上りの5区で4分58秒差の9位から8人抜きで逆転し、初の往路優勝を果たしました。一方、第87回全国高校サッカー2回戦の第一試合では大きな波乱が起こりました。

昨年、藤枝東に圧勝して初優勝を果たした流経大柏に代わって出場した優勝候補の一角、市立舟橋が、昨年初戦で藤枝東にPKで惜敗した香川西に破れ、一昨年セクシーサッカーの名のもと鹿児島実と歴史に残る決勝戦を制して初優勝した野洲が滝川二に破れるという波乱が有りました。

母校藤枝東は、川崎フロンターレのホームグランド、等々力競技場で境と対戦しました。 スタメンは、FW村松 FW新井 MF海野智 MF蓮池 MF藤田 MF小林 DF大井淳 DF岡崎 DF増田 GK袴田 でした。前半3分、藤枝東の蓮池が先制すると、その15分後に長身FW新井が3人に囲まれながら長身を生かしてCKで上げられたボールをドンピシャで頭で合わせて2点目を上げ、更に後半9分に村松、16分にはフリーになった村松がドリブル突破して4点目をあげ、結局4:0で快勝し、3回戦に進出しました。下の画像は、そのFW新井が頭で2点目を決めたシーンです。長身が際立つております。


FW新井は、CKで上げられたボールを直接ネットを狙わずにワンバンドさせてゴール左隅を狙い、そのシュートスピードが速かったためゴールにGKの左にDFが1人詰めていながらDFが一歩も動けないままボールは左隅に突き刺さっており、このあたりに彼の進歩が見られるように思われます。その様子を下の画像が物語っております。



新井君は昨年末の県予選決勝戦で、腰痛を堪えながら古巣の常葉学園橘から先制ゴールを奪って藤枝東の連覇に貢献しました。たまたま、当サイトの掲示板に投稿された新井君のお父様を通して、私の腰痛の闘病経験を新井君に伝え激励させて頂いたことが有りました。この試合、彼は最後までプレーを続けておりましたので、腰痛の方は大丈夫のようで安心しました。下の画像は、2点目をゴールして喜ぶ新井君です。いい顔してますね。


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