藤枝東高物語(7)
成岡、大井のU20入りを祝す (2003年2月2日の日記より)
藤枝東高物語(8)
松永三兄弟について (2003年11月17日の日記より)<


ジュビロ磐田のPRポスターで紹介された成岡、大井の両選手

世界ユース選手権試合に出場する日本代表選手が発表されました。 FWに7人、MFに12人、DFに7人、GKに3人の計29人で、その出身別内訳はJリーグから19人、大学から2人、高校から8人でした。このように、高校生が大学生を押しのけてその4倍もの数の選手が選ばれる辺りに高校生のレベルの高さが窺われます。言い換えれば優秀な高校生選手は殆ど進学しないでJリーグ入りしていることを物語っております。実際に、Wカップメンバーで大卒は、DF 秋田豊選手 (愛知学院大) とFW 中山雅史選手 ( 筑波大) 、宮本恒靖(同志社大)・服部年宏(東海大)の四人に過ぎません。

このU20世界ユース選手権試合は、サッカーのイベントとしては、Wカップ、オリンピックに続く3番目に大きい世界大会で、丁度私がエジプトに旅行している時に、この大会のアジア地区の選手権大会がカタールのアルアラビ・スタジアムで行われ、この大会で日本は4強に勝ち残って今年UAEで行われる世界大会に出場する資格が得られたことは、この日記の昨年10月26日に掲載した通りです。あの時はアレキサンドリアのホテルの部屋で後輩成岡選手の大活躍でUAEに快勝した試合を現地のテレビ局の放映で観戦して感激したことを今でも生々しく覚えております。

この代表選手選出で興味有るのは、選ばれた高校生選手8人の中に、今年の高校サッカー選手権試合での優秀選手35人のメンバは大久保裕樹選手( 市船橋)、阿部祐大朗選手( 桐蔭学園)、中原貴之 選手(多々良学園)の3人だけで、他の5人はこの大会に出場していない高校の選手で、マスコミで華々しく報道された 市船橋以外の高校4強の国見、帝京、東福岡からは1人も選ばれていないことです。

選ばれたその5人の高校生選手は、我が母校から、大井健太郎 、成岡翔の2選手、矢野貴章(浜名)、菊地直哉( 清水商)の静岡県出身2選手と、高木和正(香川西) の選手でした。 このように、静岡県から8人中4人も選ばれているのも興味を引きます。 反面、スーパー決勝弾のゴールを決めた市船橋の小川選手はともかく、得点王に輝いた国見の平山選手が選ばれなかったのは不思議で、何か特別な事情が有ったとしか思えません。

このように、全国大会に出場出来なくても、日本代表に選ばれるのは、サッカーでは最高年齢を制限するアンダーエージの大会(U6からU25)までと年齢無制限の計19の大会が有るからです。特に高校生はこの世界ユースとそれに次ぐ世界4大選手権試合のひとつに数えられるU17の世界選手権大会、U16のアジアユース選手権大会と三つの国際大会に出場する機会、さらには国内でもU15の全日本ユースサッカー選手権大会(高円宮杯)、全日本ユースサッカー選手権大会等、高校選手権試合以外にいろいろな国内大会にも出場する機会に恵まれておりますので、実力さえ有れば中央から認められる場合が多いのがその理由だと思います。

さて、このU20世界ユース選手権試合は今年の3月27日からドバイで、Wカップより8ケ国少ない6組計24ケ国の間で行われます。日本は、D組( イングランド、コロンビア、日本、エジプト)、韓国は Fブロック( 米国、パラグアイ、ドイツ、韓国)で、アジアからの出場は日本、韓国以外に ウズベキスタン、サウジアラビア、UAEの3ケ国です。1次リーグで2位以内の12ケ国と各組3位の中の上位4ケ国が決勝トーナメントに出場できます。 1次リーグは、3月27日に、日本 VS イングランド 20:30 ドバイ 、3月30日 に日本 VS コロンビア 20:30 ドバイ 、4月2日にエジプト VS 日本 20:30 ドバイ の3戦が予定されております。

D組ではイングランドと日本の決勝リーグ進出が有力視されておりますが、南米の強豪コロンビア、アフリカで最近台頭めざましいエジプトも侮れません。日本は1位ならなら4月5日にアブダビで18:00から、2位ならドバイで 21:00から、3位で残れば、アブダビなら21:00から、ドバイなら18:00から決勝トーナメントが行われます。 もしこれに勝つと4月9日(準々決勝)、4月12日(準決勝)、4月16日 3位決定戦(18:00 アブダビ)、決勝(20:45 アブダビ)と進むことになります。

まず、決勝リーグ進出は間違いところと思いますが、何とか4月9日の準々決勝までは勝ち残って欲しいものです。夢はエジプトまたはドイツとの決勝対決、そして韓国との勝ち残っての対決です。3月下旬からはMLBの開幕、日本のセパ両リーグの開幕、そしてこのU20世界ユース選手権試合と春到来とともに楽しみがいっぱいです。

1954スイスW杯予選の韓国第二戦先発メンバー松永信夫氏

一昨年、藤枝東が静岡学園と清水エスパルスのホームグランドの日本平運動公園球技場で全国高校サッカー選手権・静岡大会準決勝を戦った時に応援に駆けつけた時のことです。 試合は圧倒的に母校の藤枝東がボールを支配したのですが、静岡学園にワンチャンスをものにされて1:2で惜敗してしまいました。藤枝東は技で勝って勝負で負けた感じ、静学の数少ないチャンスを確実に勝利に結びつける試合巧者ぶりは流石と思いました。

その試合の帰りに、会場でお目に掛かった母校の大先輩の松永信夫氏と帰途、居酒屋で一献傾ける機会に恵まれました。藤枝東の前身である旧制志太中学から3人の兄弟が相次いで卒業しました。日本サッカー界に輝かしい足跡を残した有名な長男の行氏、次男の信夫氏、三男の硯氏の「松永三兄弟」です。 松永信夫氏は、その松永三兄弟の次男で、昭和26年のニューデリーでの第一回アジア大会に当時の日本ナンバーワンFWとして日本代表に選ばれながら元憲兵と言うことでGHQから渡航禁止令が出たため参加できなかった悲運の方でした。

しかし、その悔しい思いを一緒に選ばれた弟の硯氏が大活躍されて銅メダル獲得に至ったことで知られております。そしてその長男の行氏こそ昭和11年のベルリン・オリンピックに日本代表として出場して優勝候補のスウエーデンを0:2から2:2とした後、劇的な決勝ゴールを決めて3:2と逆転勝利し、日本サッカー史上、「東京の奇跡」「メキシコの奇跡」とともに日本三大奇跡として語り継がれているあの有名な「ベルリンの奇跡」を演出した主人公なんです。

結局、日本は2回戦で優勝したイタリアに8:0で大敗しましたが、当時サッカー界の」世界地図」にも載っていなかった国が初の国際舞台で優勝候補の一角を破ったことで、スウェーデンは勿論、欧州に強い衝撃を与えました。また、その時日の丸FWコンビとして活躍されたのも静岡県浜松市出身の加茂健・正五の兄弟でしたから、そうした先輩達の努力が結んで今回のWカップ代表選手23名中、静岡県出身者が7名も占めてサッカー王国・静岡の隆盛を築き上げ、杉山、中山、三浦、名波、川口、小野、市川と言った名だたる名選手を輩出しているのだと思います。

80才になられた信夫氏は至ってお元気で毎日晩酌ま欠かさず、カラオケもされるとのことでしたが来年、会場で一緒に東高を応援することをお約束してお別れしましたが、昨年、今年とお会い出来ませんでした。来年、国立でお会い出来るといいのですが。

追記:松永信夫氏は、昨年(2007年)9月25日午前8時、悪性リンパ腫のため静岡県藤枝市の病院で死去されました。85歳でした。こころより哀悼の意を表したいと思います。


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