藤枝東高物語(67)
藤枝明誠、清水商を破って初優勝2009年12月06日の日記から
藤枝東高物語(68)
ゴン中山の去就についての思うこと2009年12月06日の日記から


前半34分、ゴール右隅に先制ゴールしたMF鈴木(左の白のユニフォーム)

藤枝東のOBであり、藤枝東のサッカーを応援する私としては、他校のことを日記に
取り上げることは、誠にもって不本意であり忍び難いことではありますが、母校と
同じ藤枝の街に在り、創部以来常に藤枝東を目標にし「藤枝東に追いつき、追い越
せ」をモットーにして漸くその努力を実らせて初優勝を果たした藤枝明誠に敬意を
表し「藤枝」を校名に掲げて全国にサッカーの街藤枝の名を高らしめることを願っ
て、敢えて取り上げさせて頂きました。
まずは、藤枝明誠の今年の成績を以下、振り返ってみたいと思います。

02-07 新人戦・1 回 戦  ○藤枝明誠1-1●磐田農   吉田高グランド
02-08 新人戦・2 回 戦  ○藤枝明誠1-0●磐田東   焼津中央グランド
02-14 新人戦・3 回 戦  ○藤枝明誠1-1●韮山     藤枝総合運動公園 
02-15 新人戦・準 決勝  ●藤枝明誠2-2○清水商   藤枝市民グランド 
04-11 プリンスL第1節  ○藤枝明誠3-0●藤枝東   藤枝総合運動公園
04-18 プリンスL第2節  ○藤枝明誠3-2●静岡学園 藤枝総合運動公園    
04-25 プリンスL第3節  ○藤枝明誠1-0●エスパルスY  エコパ補助グランド 
05-02 プリンスL第4節  ○藤枝明誠3-0●常葉橘  藤枝総合運動公園  
05-06 プリンスL第5節  △藤枝明誠1-1△グランパスY トヨタスポーツセンター
05-17 県総体・1 回 戦  ○藤枝明誠3-0●大井川   藤枝東高グランド 
05-23 県総体・2 回 戦 ○藤枝明誠5-0●浜松南   藤枝明誠グランド  
05-24 県総体・3 回 戦  ○藤枝明誠2-1●暁  秀   藤枝総合運動公園
05-31 県総体・準 決勝  ●藤枝明誠1-3○清水商   藤枝市民グランド
06-13 プリンスL第6節  ○藤枝明誠4-3●磐田東   エコバ補助グランド
06-27 プリンスL第7節  ●藤枝明誠0-2○ジュビロY  草薙陸上競技場
07-04 プリンスL第8節  ○藤枝明誠4-2●清水商   愛鷹多目的グランド
07-11 プリンスL第9節  ○藤枝明誠4-0●四中工   鈴鹿スポーツガーデン
11-21 選手権・準々決勝 ○藤枝明誠2-1●静岡西   藤枝総合運動公園
11-28 選手権・準決勝   ○藤枝明誠2-1●常葉橘   藤枝総合運動公園
12-06 選手権・決勝     ○藤枝明誠2-0●清水商   エコバ

20戦で16勝3敗1分(勝率=84.2%)、堂々たる成績です。3敗のうち2敗が清水商でした。
(藤枝東は17戦で6勝10敗1分(勝率=37.5%%) これでは優勝は到底無理でした)
その2敗がいずれも新人戦、県総体の準決勝でしたから、二度まで優勝一歩手前で
清水商に阻まれており、奇しくも再び選手権の決勝戦で清水商と対戦することにな
ったわけですから明誠としては絶対に負けられない一戦でした。試合内容は・・・

FW安東(3年)のボールキープ、MF鈴木(3年)ドリブル突破などで主導権を握った
明誠は前半34分、安東が味方からのパスをワントラップしてか右足でゴール手前に
浮き球気味に蹴りあげると、このボールめがけて飛び込んだ鈴木がゴール右隅に
ダイレクトシュートして先制ゴール、その後、清水商がゴールして同点と思えた
のですがハンドの反則で幻のゴールとなって前半を終えました。

後半1分、左サイドに切り込んだDF八木(3年)がゴール前に折り返したボールを
MF原口(2年)が押し込んで2点目、その後は勢いに乗った清水商を何度となく脅かし
危なげなくそのまま押し切って創部27年目にして初優勝を果たしたのでした。
試合終了を告げる笛がエコバに鳴り響いた時、先制ゴールした鈴木の目には涙ととも
に、一昨年前の同じここエオコバでの悔しい場面が脳裏を過ったのでした。

一昨年、明誠は初めて決勝進出を果たして藤枝東と戦いましたが、実力差は如何とも
し難く1:4で完敗し悔しい思いをしました。現メンバーの中で唯一人、その悔しさ
を経験したのはその時、1年生で出場した鈴木でした。
これまで、常に行く手を阻まれてきた藤枝東、静岡学園、常葉橘を今年のプリンスL
で次々と破り、そしてプロジュニアチーム以外で唯一負けていた清水商を最後に破っ
ての初優勝は感慨深いものでした。今後は東と明誠の藤枝ダービーが静岡の高校サッ
カーの華になることを願い、大晦日に徳島商と対戦する明誠の健闘を祈ります。



2008年3月、J1最多となる157点目を転びながら記録した中山雅史選手

J1最高得点(157)、W杯(フランス大会)での日本初得点という日本サッカー史上に燦然と輝く記録を作り、創設以来16年間ジュビロ磐田一筋に中心選手として活躍しその黄金期に貢献したした中山雅史選手(42)が、戦力外通告を受けたものの指導者として残るように要請されたのにこれを拒否し、J2、JFL等のマイナーリーグ入りを視野に入れて現役続行すべくオファーを待ち続けている同選手の去就に賛否両論が渦巻いております。

体力、気力が残っている限り現役を続けるのはプロ選手としてあるべき態度とするのが賛成論であるのに対し、日本一の記録を持ち将来、指導者として嘱望されている彼なら、あたら末節を汚すことなく第二のサッカー人生に向けて現役引退すべきとするのが拒否論です。私は拒否論を支持し、指導者として磐田に、または解説者等なんらかの形でサッカ−界に残って指導者としてのスタートを切るべきと考えておりました。

古傷が癒えないまま今シーズン一度の出番が無かった43歳の来年、彼に多くを望むことは無理で「・・・もっとうまくなりたい・・・」という彼の主張は利己的で、自らのロマンを満たすに過ぎず、自らの出場が若手の芽を摘むことに繋がりかねないことを自覚し、指導者としてチームに残り、いずれ日本サッカー界の指導者たるべき道を歩むことが期待されていること、自分にその資質、資格が有ることを自覚すべきであると考えておりました。

しかし、「なんでそこまで現役にこだわるの」って言われるけど(逆に)「なんでこだわらないの?」との自論を持つ中山選手として、こうして現役にこだわり続けるのが、単なる男の美学ではなく彼の人生そのものであり、強い意志をもって用意周到に現役続行を準備していることが判り、私は拒否論者から賛成論者に変わりました。そして、今日彼がコンサドーレ札幌入りを決意したとのニュース」を聞いてその思いを更に強くしました。

まず、彼が戦力外通告を受けた選手らを対象にしたトライアウトに参加して真剣にプレーをしていた中山選手をTV画像で観たのが、そのように思い直した最初でした。そして、J2、JFLなどの複数チームからのオファーを慎重に考慮し、40代という年齢に見合った練習環境、医療設備が整った札幌、中山の営業面での効果よりも中山を戦力として評価した札幌の石崎監督を選んだ経緯を知ってその思いが確固たるものとなりました。札幌は2008年にJ1に6季ぶりに復帰したものの最下位に終わって再び降格、今年はJ2で6位でしたが、大分、川崎を育てた石崎監督、中山選手の加入が刺激剤となって再びJ1に帰り咲く可能性は充分有り得ると思います。

もし、中山選手が最多得点記録を更に伸ばし、その効果もあってJ1昇格を果たせば彼としてもここで有終の美を飾ることになり、またひとつ勲章が増えることになります。私は華麗なプレーよりも、中山選手のあの相手ゴールに突進していく泥臭いプレーが好きです。今や、日本代表の得点王に成長し、中山選手を尊敬してやまない岡崎選手のプレーはそんな中山選手のプレーの生き写しです。J1最多の通算157点を挙げているストライカーは「辞めることはいつでもできる。やってぶざまな姿をさらすかもしれないが、それも僕のサッカー人生。自分自身を思い切り表現できれば、と思う」。 今季、決定力不足に泣いた札幌は、得点力向上や精神的な柱として中山選手に期待を寄せていることと思います。


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