藤枝東高物語(77)
母校後輩、長谷部に思うこと2010年06月17日の日記から
藤枝東高物語(78)
長谷部選手と「ニーチェの言葉」2010年07月02日の日記から


中澤の腕に丁寧にキャプテンマークを巻いて途中退場する長谷部

レギュラーを張る日本代表の中で、長谷部ほど目立たない選手は居ないように思います。ファンによる人気投票で上位にランクされることは殆ど無い半面、専門家による評価は何時も高いようです。彼が受け持つ守備的ボランチでは攻守の切り替えが主な役割ですので素人目にはその技能や成果を見極めることは難しいのですが、流石にテレビ中継で解説者が「長谷部がいいところでボールを奪いました・・・」などと見抜いております。また運動量も日本代表の中では長友とならんで世界でもトップクラスであることも素人目には判り難いところです。 守備的ボランチ役が多かったことも影響しているようにも思えますが、彼のサッカー選手としての黎明期にその原点が有ったように思います。彼は藤枝東高時代は1級下の成岡(磐田)の影に隠れて脚光を浴びることないまま、大学進学を望む家族の反対を押し切って声を掛けてくれた浦和に入団したもののひしめく日本代表クラスの影に隠れて、活躍の場に恵まれませんでした。

漸く2005年の天皇杯準決勝戦の対大宮戦で、見事なドリブル突破でゴールし2:1とリードし、同点にされた後も、再びドリブル突破して、先輩山田をアシスト、結果的にこの山田のゴールが決勝ゴールとなり、更に自らもドリブル突破でダメ押しゴールを決めるなど大活躍して一躍脚光を浴びるようになり黎明期から成長期に進んでいきました。

そして、ジーコ監督によってA代表に選ばれ、2006年2月には米国遠征の日本代表に初選出され米国戦で後半途中からの出場し持ち味のドリブル突破やルーパスなどで存在感を示したもののドイツW杯のメンバーには選ばれませんでした。オシム監督就任後は再び代表に選出されたものの、フィジカル面の弱さをオシム監督から指摘され途中から降ろされ、同監督のもとではその後日本代表としての活躍の場は無く失意の日々を送っていたようでした。

このようにナンバー2とか控えなどの不遇な時代が長かった彼に飛躍のチャンスが訪れ、見事にそのチャンスをものにしたのでした。それは、2008年1月にドイツ・ブンデスリーガー・一部のボルフスブルクに移籍し、同年4月27日のアウェーでのレヴァークーゼン戦でブンデスリーガ初ゴールを記録したのを契機に、ボルフスブルクMFのレギュラーのポジションを獲得し、翌年のボルフスブルクの初優勝に貢献したでのでした。

そして身体能力の高い欧州で揉まれることでそれまでの弱点だったフィジカルの弱さが改善され運動量も多くなった長谷部を岡田監督は日本代表に起用し、遠藤とともに「日本の心臓」と高く評価するようになり、不遇時代に終わりを告げ今や最盛期を迎えるようになりました。そして、W杯前の前哨戦のイングランド戦で岡田監督は「ズルズルと今までの流れを引きずるわけにはいかない。ここで流れを変えるため、長谷部にした」と述べて、闘莉王のような闘将でもない、中澤のようにベテランでもない長谷部を追い詰められたチームも舵取り役であるゲームキャプテンに指名したのでした。

このイングランド戦で、結果は最高ではなかったものの悪い流れが断ち切れたとの感触を岡田監督は得たようでした。そして、カメルーン戦では長谷部の腕にはキャプテンマークが巻かれておりました。試合を重ねるごとに増すピッチ上の存在感に加え、明るく声を出し、誰とでもオープンマインドで話せる彼の人間性を、中沢、闘莉王、遠藤、松井、大久保、阿部等の先輩レギュラーたちも理解し、新しいタイプのリーダーとして認めていくようになりました。冒頭の写真は、先輩への思いやりが垣間見られた一幕でもありました。

試合でのゲームキャプテンの役割は、試合開始前に審判が行うコイントスでピッチサイドやキックオフの権利を決めることとと、 ナショナルチームの国際マッチの場合はお互いの国同士のペナント(記念品)の交換という形式的なもので、野球の監督のように抗議権が与えられているわけではありません。ただ、長谷部の場合は練習冒頭のランニングでは先頭に立ち、笑顔で選手の和を図り、試合では司令塔として攻守にわたってひたむきにプレーすることでチームの団結を支える重要な役割を果たしております。まさに彼は、岡田ジャパンの団結力の象徴的存在でもあります。 4年後のブラジルW杯で彼の左腕にキャプテンマークが巻かれていることを期待したいと思います。

試合開始前にカメルーンのキャプテンとペナント交換する長谷部

試合終了インタビューに応ずる長谷部

藤枝東高時代の長谷部
(がんばれ藤枝東高より)

アマゾン73位、40万部の『超訳ニーチェの言葉』

今年の1月15日に発刊された白取春彦編訳の『超訳ニーチェの言葉』という単行本が静かなブームを呼んでおります。 超訳とはアカデミー出版が発明した翻訳方法のことで原著の意を汲み取って大胆な省略や言い換えも行いながらより自然な日本語に翻訳することを意味しております。

従って、直球ではなくではなく変化球をを交えて辛辣な言葉を浴びせかけることで有名なニヒリスト(虚無主義者)のドイツの哲学者のフリードリヒ・ニーチェの原著をまともに翻訳すればネガティブで眠たくなるような内容になるはずなのに、白取春彦さんの超訳により一転してポジテブで明るい内容になってしまいます。

この本の存在が公になったのは、先日W杯の激戦を終えて帰国しフジテレビのインタビューに応じた日本代表ゲームキャプテンを務めた長谷部誠選手が、スイスで合宿中にこの本を読んで感動したことが紹介されたことに有りました。この時の日本代表チームは本番前の国際試合で4連敗し内外から批判の嵐にさらされ、また長谷部選手も個人的にチーム内で批判を受けておりました。彼が感動したのは、この本の「キノコの話」の下りでした。 その原文とその直訳は次のとおりです。

Unschuldige Korruption:
In allen Instituten, in welche nicht die scharfe Luft der offentlichen Kritik hineinweht,
wachst eine unschuldige Korruption auf, wie ein Pilz
(also zum Beispiel in gelehrten Korperschaften und Senaten)

無知の堕落:
開かれた批判という冷たい風が吹き込まないような、あらゆる組織では、
無知の堕落がまるでキノコのように増殖する
(これは、例えば学術界や議会政治においても云えることである)

この一節を白取春彦さんは次のように超訳しております。

批判という風を入れよ:
キノコは、風通しの悪いじめじめした場所に生え増殖する。
同じことが、人間の組織やグループでも起きる。
批判という風が吹き込まない閉鎖的なところには、必ず腐敗や堕落が生まれ、
大きくなっていく。批判は、疑い深くて意地悪な意見ではない。批判は風だ。
頬には冷たいが、乾燥させ、悪い菌の繁殖を防ぐ役割がある。
だから批判はどんどん聞いたほうがいい。


この訳文がニイチェの意図をどこまで表現しているかは私如きに判る由もありませんし、ニイチェ信奉者や学者はこの訳文をニイチェに対する冒涜と非難するかも知れません。しかし、私には直訳では判らなかったことがこの超訳で判ったように思いました。
つまり、批判=風と置き換えたことで、「風通しの悪いところで湿気が増えてキノコが繁殖することは即座に理解出来、その風は頬に冷たいが乾燥させて悪い菌からなるキノコの繁殖を防止する役割を持っているから批判は聞いたほうがいい」との起承転結は説得力を持っているように私には思えるのです。

この一文が長谷部選手の心に響き、それまでの迷いが吹っ切れたとインタビューで語っております。彼はインタビューで批判者と被批判者を特定しておりません。批判者=ファン、被批判者=チームの図式にしてもこの話は通用しますが、それだけで長谷部選手の心を動かすとは考えられません。やはり、批判者=チーム内の個人、被批判者=長谷部選手の図式で、長谷部選手が相当悩んでいたからこそ、この言葉に接して吹っ切れたものと思われます。

ところで、彼と同じ欧州のトップリーグでレギュラーとして活躍し彼と仲がいい本田選手がパラグアイ戦後の記者会見で「批判する人がいなかったら、ここまでこれたかどうかわからない。応援してくれた人だけでなく、批判してくれた人にも感謝したい」と語っており、「ニーチェの話」こそ引用しておりませんが、批判をプラス思考で受け止めている点で長谷部選手の場合と同じです。

そこで、批判者=チーム内の個人、被批判者=当人の図式で、本田、長谷部両選手に共通のチーム内の個人に絞ると、ある人物が浮かび上がってきます。中村俊輔選手です。本田選手と中村俊輔選手の対立、不仲は公知の事実です。中村俊輔選手はチームの司令塔ですから一緒にプレーした本田選手について課題が有ればアドバイスするのは本田選手にとってもプラスになります。しかし、気の優しい中村俊輔選手はプレー終了後に記者会見の場で語ることが多く、その場合は本田選手への批判という形になってしまいます。

南アフリカでのコートジボワールとの練習試合で初めてトップ下で先発した長谷部選手は、相手のアタックを受けて腰を強打し後日、大事をとって練習を切り上げてジョージ市内の病院に向かいました。この時、長谷部選手には身体の痛みとともに心にも痛みが残っていたようです。実は、コートジボワール戦を終えて、中村俊輔選手は長谷部選手について「まったく使えなかった」と酷評したことから、以降長谷部選手はトップ下は無理とのイメージが定着しMFとしての立場が悪くなっていたからです。

2chなどの裏ネットでは、長谷部選手が「キノコの話」を引用したのは、キノコ=中村俊輔選手として暗に中村俊輔選手に批判されたことに対するお返しとの書き込みも見られまますが、長谷部選手がこの本を読んで感動したのは、スイスに移動中の機中(但し長友選手に本を取られたため読めなかったようです:長友選手の証言)とスイス合宿中ですから、中村俊輔選手に批判されて云々ではなく、本番前の国際試合で4連敗し内外のメィデアやファンからの批判に曝された日本代表の一員としてこの話に既に思いが及んでいたわけで、中村俊輔選手の批判=風と受け止めてインタビュアーに語ったのが事実と考えられます。

いずれにしても、この話は含蓄の有る話で人生を処する上で役立つと思われますので、広く世に紹介したことでも長谷部選手の功績は評価されて然るべきと思います。また、中村俊輔選手もチームの向上を前提に批判したわけで他意は無かったと思います。むしろ、本田選手のが大活躍して世界に認められるようになったことも、長谷部選手のキャプテンとして見事な実績を示すことができたのも、中村俊輔選手から批判という形で送られた風を プラス思考で受け止めた結果と考えれば、中村俊輔選手の功績も見逃せないように思うのは私だけでしょうか。


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