藤枝東高物語(9) 盛岡商の初優勝を讃える (2007年1月12日の日記より) |
藤枝東高物語(10) ゴンの現役継続を喜ぶ (2007年11月29日の日記より) |
作陽に勝ち優勝旗を掲げる初優勝の盛岡商・藤村主将 |
回次 年 度 優 勝 校 準優勝校 69 1990(平成 2年) 国 見 鹿児島実 70 1991(平成 3年) 帝 京 ・ 四 中 工(*) 71 1992(平成 4年) 国 見 山 城 72 1993(平成 5年) 清水市商 国 見 73 1994(平成 6年) 市立船橋 帝 京 74 1995(平成 7年) 静岡学園 鹿児島実 75 1996(平成 8年) 市立船橋 桐光学園 76 1997(平成 9年) 東 福 岡 帝 京 77 1998(平成10年) 東 福 岡 帝 京 78 1999(平成11年) 市立船橋 鹿児島実 79 2000(平成12年) 国 見 草 津 東 80 2001(平成13年) 国 見 岐 阜 工 81 2002(平成14年) 市立船橋 国 見 82 2003(平成15年) 国 見 筑陽学園 83 2004(平成16年) 鹿児島実 市立船橋 *両校優勝 全国高校選手権最終日は8日、東京・国立競技場で決勝が 行われ、盛岡商(岩手)が作陽(岡山)に2―1で逆転勝 利し、岩手県勢として初優勝を飾った。盛岡商は後半11分 に先制されたが、MF林勇介(2年)が、PKを失敗した直後 の後半26分に同点弾。同40分にMF千葉真太朗 (3年)が決勝点を決め熱戦に決着をつけた。2度の病魔 を乗り越えた斎藤重信監督(59)の粘り強い指導を受けた選 手たちが参加4,080校の頂点に立ちました。 上表は、1990年から一昨年の2004年までの15年間の全国高校 サッカー優勝校と準優勝校、つまり決勝戦まで進出した高校 のリストです。実はこのリストにある共通項が見られます。 国見(5-2) 市立船橋(4-1) 鹿児島実(1-3) 東福岡(2-0) 帝京(1-3)の5校が常に決勝戦に進出していることが共通項で 括弧内の数字は(優勝回数-準優勝回数)を表わしております。 15年間で決勝進出できる30回のチャンスにこの5校で23回も 挑戦し、15回の優勝のチャンスにこの5校で13回もものにし ていることから私はその校名の頭文字をとって「東帝国鹿船」 5強時代と名付けておりました。 ところが、昨年の野州高、そして2006年の盛岡商の優勝で、 この「東帝国鹿船」5強時代に幕が下ろされ、その勢力図は大 きく様変わりして戦国時代の様相を呈してきました。 現に、5強のうち国見以外の4校は予選で敗退し、その国見も 初戦で敗退しております。今回優勝の盛岡商、前回優勝の野州高 には、今回の中京大中京の伊藤や、かっての平山(国見)、大久保 (国見)のような傑出した選手こそおりませんが、野州高の場合は 山本圭司監督、盛岡商の場合は斎藤重信監督の指導のもとで選手 たち一致団結して戦っていることで共通しているようです。 |
150得点目のゴンゴール |
昨日、嬉しいニュースが飛び込んできました。それは、我が母校の後輩、ゴン中山こと中山雅史(40歳:磐田)と我が故郷、静岡出身のカズこと三浦和良(40歳:横浜FC)が来期も現役を続けることがはぼ決まったとのニュースです。まず、昨日、磐田が中山選手に来季の契約オファーを出したこと、そして一昨日、来期J2降格が決まった横浜FCから残留要請されていた三浦選手がこの要請を受け入れる姿勢を示していることが報道されました。 中山選手は、Jリーガー最多得点記録(157得点)保持者で、今年も5月3日の清水戦でJ1史上初の14期連続ゴールとなる157点目を記録しておりますが、来季も指揮を執る内山監督から速いクロスにチーム内で1番合わせられる選手として信頼されており、本人も日頃「常にレベルアップしていきたい」と話していりことから、現役続行は間違いないと思われます。 三浦選手は、中山選手に次ぐJ12位の得点記録保持者で今年5月26日にJ1史上最年長最年長ゴール記録を達成しており、「J1でもJ2でもカテゴリーは関係ない」との考えを持っていることから、これまた現役続行は間違いないものと思われます。この二人ともう一人、オサムこと武田修宏さん(40歳:サッカー解説者)を加えた3人はGKOトリオ(私が勝手に命名)としてある時期、静岡県の中学サッカー界の花形選手でした。つまり、この3人は郷里を同じくする同期生ということになります。明日は、この3人を取り上げてみたいと思います。 |
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