雑感記 第25章 サダム・フセインの息子たち |
サダム・フセインの息子たち(1) | サダム・フセインの息子たち(2) |
サダム・フセインとその息子たち(左ウダイ、右クサイ) (吉田豊氏のHPから転載) |
サダム・フセインには第一夫人のサジダさん、第二夫人のサミラさん、第三夫人(名前不詳)の3人の妻と不特定多数の愛人がいましたが、実子として認知されているのは第一夫人のサジダさんとの間に出来た二人の兄弟と3人の姉妹の5人だけと言われております。サミラ第2夫人については、フセインが80年代後半、イラク航空幹部の妻だった時に見初め、強引に離婚させて奪い取り、サジダ第1夫人が横暴な夫との同居を嫌って家出した後、フセインと長らく同居していたとされ、バグダッド陥落直前の4月上旬に母国を脱出し現在は息子とともにロンドンに亡命しております。 第一夫人のサジダさんは3人の娘さんとシリア経由でロシアに亡命し、更に娘二人と英国に亡命を申請したものの英国政府から拒否されております。サジダさんとサミラさんは米英軍が指名手配したフセイン政権幹部55人のリストには含まれていないものの何らかの影響力を有することから英米政府筋から監視されているようです。 第一夫人のサジダさんとの子供だけを認知しているのは、サジダさんの父親で母方の叔父であるハイララ・タルファ氏に貧乏だった青年時代に資金援助してもらった負い目が有るのではないかと思われます。 長男ウダイ氏はスポーツ大臣でサッカー選手でもありますが、イラク・オリンピック委員会の会長を務めた97年、サッカーW杯フランス大会アジア予選でイラクが敗退した時に選手にむち打ち刑を命ずるなど横暴な性格の持ち主として知られております。 88年には父サダムのお気に入りの護衛官を殺害したことで父の怒りを買って失脚したものの許されて経営者として力をつけておりましたが、ジュネーブのイラク大使館に勤務していた時に求婚した女性を振られた腹いせに殺害したり女性への陵辱などの悪い噂が後を絶たず、96年には一族内の抗争もあって暗殺未遂に遭い左足の一部を失っております。今回、本人と特定されたのはこれが決め手となったようです。 次男のクサイ氏は長男よりは物静かな面が有り父サダムの信頼も厚く、共和国防衛隊などイラクの軍事・治安部門を総括し将来の後継者としてナンバー2の地位にあるようです。しかし、反体制派への容赦ない弾圧で知られ、98年にはシーア派教徒数百人を即決裁判で処刑したり、反体制派が多い村落を根こそぎ破壊したりするなど、残虐な性格をも持ち合わせているようです。母親のサジダさんがウダイ氏、父がクサイ氏を寵愛しているのが何かサダムとサジダ夫人との不仲を物語っているようで興味が有ります。 両兄弟の死亡により、米英軍が指名手配したフセイン政権幹部55人の殆どは死亡または拘束され、残るかサダム・フセインただ一人になりました。 |
雑感記目次へ |