イージス艦と漁船の衝突に思う(1) |
イージス艦と漁船の衝突に思う(2) |
イージス艦「あたご」 と分断されて波間に漂う「清徳丸」の船首部分 |
現在就役中の5隻のイージス艦の中で、昨年就役したばかりの最新鋭のイージス艦「あたご:7,700トン」が、今日の早朝4時過ぎに、千葉県野島崎沖40キロ付近で、千葉県勝浦漁港所属のマグロはえ縄漁船「清徳丸:7.3トン」と衝突し、漁船の船体が二つに割れ、乗組員の親子二人が行方不明になるという悲惨な事故が発生しました。今日はまず、この事故を検証するのに必要な海上自衛隊とイージス艦に関する知識をまとめてみたいと思います。 日本は、自衛隊のもとで、国家予算の約6%に相当する約5兆円の防衛予算を使って、陸・海・空の自衛隊員約25万人を擁する、世界でも五指に入る軍事大国でもあります。うち、海上自衛隊は、隊員約4万を擁し、潜水艦16隻と護衛艦約50隻等の作戦用艦艇約130隻、対潜哨戒機等の作戦用航空機約300機を保有しております。 海上自衛隊は、専守防衛の観点から大別して、対水上戦、対空戦、対潜戦、対機雷戦に重点を置いいることから、4個の護衛艦隊(横須賀、佐世保、舞鶴、呉)、8個の航空部隊(鹿屋、八戸、厚木、那覇、館山、大村、岩国、他)、6個の潜水艦隊(呉、横須賀、他)、3個のの掃海部隊(呉、佐世保、横須賀、他)の四つの組織から構成されております。イージス艦は、こんごう型4隻(こんごう、きりしま、みょうこう、ちょうかい)とあたご型の2隻(あたご、あしがら)で、あしがら は現在、三菱重工長崎で艤装中で、来月就役することになっており、下表に示すように夫々の艦隊に所属しております。 |
真っ二つに割れた清徳丸の船体 |
新勝浦市漁協川津支所所属の吉清治夫さん(58)の一家は代々漁師の家系で、治夫さんも地元の小中学校を卒業後、漁師になりましたが若くして父親を亡くしたため、親類や知人の漁船に乗せてもらいながら昭和50年代になって、漸く念願の船を購入し、父親の名前と世話になった漁師の船の名前から一字ずつとって「清徳丸(7.3トン)」と命名しました。 治夫さんは妻と長男の哲大さん(23)の3人暮らしで、15年前に脳梗塞で倒れ、体が不自由になりましたが、家族のためと船に乗り続けるようになり、哲大さんは高校を中退して父を助けるようになりました。 この日2月19日早朝の午前1時頃、哲大さんと持ち舟の清徳丸に乗って、僚船の「金平丸」「幸運丸」「康栄丸」など僚船7隻とともに川津港を出港しました。この日は、伊豆大島沖でエサとなるサバを釣って漁場の八丈島沖に向かう計画で、同日午後9〜10時に帰港を予定しておりました。そして、出航して約3時間後に川津港から南西方向に100kmの下図の、野島崎から南南西約40kmの×地点に差し掛かりました。 |
番号 | 艦 名 | 所 属 | 排水量 | 製造者 | 就役年 |
173 | こんごう | 佐世保 | 7,250t | 三菱長崎 | 1993 |
174 | きりしま | 横須賀 | 7,250t | 三菱長崎 | 1995 |
175 | みょうこう | 佐世保 | 7,250t | 三菱長崎 | 1996 |
176 | ちょうかい | 呉 | 7,250t | 石播東京 | 1998 |
177 | あたご | 舞鶴 | 7,700t | 三菱長崎 | 2007 |
178 | あしがら | 呉(予定) | 7,700t | 三菱長崎 | 2008(予定) |
イージス艦は、米国によって開発されたイージスシステム備えた護衛艦の総称で、ギリシャ神話の中で最高神ゼウスが娘アテナに与えたという、あらゆる邪悪を払うとされている盾(胸当)の「アイギス」が語源とされております。従って、駆逐艦、巡洋艦、戦艦のように艦艇の大きさとは無関係な呼称で、大きさは駆逐艦と巡洋艦の中間で、こんごう型は7,250トン、あたご型で7,700トンに統一されております。 イージスシステムは、レーダーやソナーなどのセンサー・システム、コンピューターによる情報処理システム、ミサイルとその発射機などの攻撃システム、そして他の部隊と連絡するためのデータリンク装置などが連結され、対空・対水上・対潜のあらゆる局面において、目標の捜索から識別、判断から攻撃に至るまでを、迅速に行なうことができるシステムです。そのため、システムだけで一式<500億円、艦本体を含めると1隻1,200億円以上もするため、世界でも米国、日本、スペイン等5ケ国にしか配備されておりません。 その戦闘能力は、半径約300km以内の艦艇や航空機、潜水艦といった目標を200個以上とらえて探知・識別・追尾をほぼ同時に実施し、迎・攻撃兵器選択からミサイル発射などの過程を自動処理するとともに、標準装備されているスタンダードミサイル(SM-2MR)によって、同時に10目標以上に最大射程100キロ以上の迎・攻撃も可能とされております。「みょうこう」は平成10年8月、北朝鮮発射の弾道ミサイル・テポドンを追尾し高性能を証明しております。 また、昨年12月17日午後0時05分、ハワイ・カウアイ島の米ミサイル発射施設から発射されたSM3ミサイルを、イージス艦「こんごう」が数百キロ離れた海上で探知、追尾し、0時12分に海上配備型迎撃ミサイルSM3を発射して高度100キロ以上の大気圏外で標的のSM3ミサイルを撃ち落とすことに成功しております。米国以外の国によるSM3の発射実験成功は初めてのことで、「こんごう」は北朝鮮からのミサイルに備え年から佐世保に実戦配備されております。 イージス艦の対空戦闘能力を、ほぼ同じ大きさの旧日本海軍の軍艦と比較してみます。例えば、戦艦大和と1:1で戦った場合、大和は46センチ主砲を3門装備していますがその最大射程は42kmですので、この距離以上離れて対峙した場合は、明らかにイージス艦の勝ちです。戦艦大和が勝てるのは有効射程距離内の近距離で砲撃しあった場合に限られます。また戦闘機と戦う場合、数十機が300km以上離れた空母から発進した場合は、イージス艦の上空まで飛来するのに数十分以上掛かりますので、その間にミサイルで逐一撃墜されてしまい戦闘機側の負けで、戦闘機側が勝てるのはイージス艦に近い無傷の空母から数十機以上が同時に攻撃した場合に限られます。 例えば、日米最後の「坊ノ岬沖海戦海戦」に参加した艦船は、日本側が戦艦大和以下、巡洋艦矢矧、駆逐艦磯風以下8隻の計10隻に対して、米国側は空母11隻、戦艦6隻、巡洋艦10隻、駆逐艦50隻の計87隻と言う史上稀に見る大機動艦隊でしたが、イージス艦なら1隻で日本艦隊を全滅させることが出来ます。極端なことを言うならば、条件如何では、海上自衛隊が保有する6隻のイージス艦だけで旧日本海軍の全艦船に匹敵する戦闘能力が有ると言っても過言ではないと思われます。その凄い能力を有する、6隻のイージス艦の雄姿を以下の画像で紹介したいと思います。 |
一方、現在就役中の5隻のイージス艦の中で、昨年3月に就役したばかりの、海上自衛隊・第三護衛艦隊(舞鶴)所属の最新鋭イージス艦「あたご」は、ハワイで沖でミサイルなどの装備が規定通り稼働するかの試験を無事終えて、2月7日にハワイを出航して、横須賀基地経由で母港の舞鶴に帰港すべく、上図の×地点に差し掛かかっておりました。この時点で、×地点付近での「あたご」と「金平丸」「幸運丸」「康栄丸」の位置関係は、関係者の証言によれば下図のようになっておりました。 |
4時頃、「金平丸」の市原船長は、緑色の灯火を確認したことから、進行方向の左から「あたご」が近づいてきたのに気付きました。海上衝突予防法により、「金平丸」に回避義務が有ることから右に舵を切りましたが、間に合わないと判断して咄嗟に左に大きく舵を切り直しました。この時、「あたご」が全く回避行動を取らずに直進していたことが他の僚船の証言から判明しております。またこの「金平丸」の回避行動の航跡は、「金平丸」に備え付けられているGPS(=全地球測位システム)プロッターに記録されていたことから事実であることが判明しております。 「金平丸」が、「あたご」を回避した5分後ぐらいに、「金平丸」の前を南西方向に約15ノット(時速約27キロ)で航行していた「幸運丸」の船長、堀川宣明さん(51)は、衝突約30分前に3時半頃、レーダーに「あたご」の船影を確認しました。 そして、4時過ぎに「金平丸」の市原船長と同様に「あたご」の緑色の灯火を確認しました。「あたご」が幸運丸の前方2.7kmにまで近づいてきた時、堀川船長は船の灯火の位置が高いことから、船体が大きいと判断、しかも回避行動を取っていないことからこのままでは危険と考え、右に舵を切り、「あたご」の前を横切るようにして衝突を回避しました。 この時点でも、「あたご」は回避行動は取らずに自働操縦により直進していたことが判明しております。「あたご」が灯火を5回余り点滅させて、周囲の船に警告信号を送ったのは、幸運丸が「あたご」を回避してから約5分後で、その直後に艦全体に明かりがつき、停止したと堀川船長は証言しております。その時が、「あたご」が「清徳丸」に衝突した時でした。 |
「こんごう」こんごう型護衛艦の1番艦(艦名は金剛山に因む) |
「きりしま」こんごう型護衛艦の2番艦(艦名は霧島山に因む) |
「みょうこう」こんごう型護衛艦の3番艦(艦名は妙高山に因む) |
「ちょうかい」こんごう型護衛艦の4番艦(艦名は鳥海山に因む) |
「あたご」あたご型護衛艦の1番艦(艦名は愛宕山に因む) |
「あしがら」あたご型護衛艦の2番艦(艦名は足柄に因む) |
そして、「金平丸」「幸運丸」が相次いで、「あたご」の進行方向の右側に回避した後の4時7分頃、「清徳丸」が「あたご」に接近していきます。勿論、「清徳丸」からは無線連絡も入っておらず、GPSも発見されておりませんので、「あたご」側からの証言に頼るしかありません。しかし、その証言が曖昧な上、時間経過とともに変わってきますので、現在のところ正確な情報は判明しておりません。 しかし、「金平丸」「幸運丸」と「あたご」の位置関係が上図のとおりだったことは事実ですので、これを基に「清徳丸」と「あたご」の位置関係を割り出すと下図のようになります。 |
当初の19日、防衛省は「衝突2分前の4時5分頃に「清徳丸」の緑色の灯火を視認した」と発表しておりました。しかし、翌日20日には「衝突12分前の3時55分頃に「清徳丸」の灯火が移動しているのを視認した」との発表を追加しております。そして、清徳丸と衝突する1分前まで自動操舵を続け「清徳丸」を確認した直後に手動に切り替えて後進したが間に合わず衝突したこと、衝突2分前に「清徳丸」とは別の漁船(前述の経緯から「幸運丸」と特定される)が、右前方から「あたご」の前方を横切ったことを明らかにしております。以上の事実関係に基づいて私見を明日の日記で述べてみたいと思います。 |
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