イタリア旅行写真アルバム

                 
今回のイタリア旅行の経路図

旅行中に見かけた風景(1)            
イタリアは高速道路先進国で日本より10年早くETCを実用化し、道路材質やサービスを必要最小限に留めて利用料金を日本の1/7程度に抑えている、写真は料金所で殆どがETC専用ゲート
旅行中に見かけた風景(2)
イタリアは「ボッタクリ」の国で、観光バスが観光地に入るのに入場料を取ります。運転手が料金を払い証書を窓に貼るとゲートのバーが上がります。写真はヴェネチアでのゲートです


旅行中に見かけた風景(3) 
中世からの石畳の道路をそのまま車道にしているため道路幅が狭く駐車場が少ないためこのようにギリギリに駐車するのはイタリアやフランスでは日常的。前後の車のバンパーに当てて出てもOKのようです。 
 
旅行中に見かけた風景(4)                 
イタリアでは高圧用碍子の種類が多く、茶色の磁器碍子、白色のポリマー碍子、透明なガラス碍子等が有り、上は今回の旅行で見かけたもので、これはノルウエーで私が撮ったガラス碍子アルバムです。


旅行中に見かけた風景(5) 
イタリアには国家と軍二つの治安担当警察が有り、同じ業務を担当するのでややこしい。これは国家警察の警官でパトカーの「Polizia」の白文字で区別出来る。内務省に所属。中田(英)のサイトが面白い。
 
旅行中に見かけた風景(6)                 
これは、軍警察の警官、ズボンの赤のストライブ、またはパトカーの
Carabinieri」で区別、陸軍に所属し、イラクにも派兵され19名戦死
しており、統一以前からの伝統が有り、国家警察より上位に思える。


旅行中に見かけた風景(7) 
これは、国家警察の騎馬警官です。主に公園などを巡回して治安を
担当します。複数ので巡回しているようです。カメラを構えると手
を振ってくれました。軍警察にも騎馬隊が有ります。
 
旅行中に見かけた風景(8)                 
ナポリからローマに移動する高速道路上でたまたま見かけた交通事故の事故処理の風景です。この救急車は現場に急行するのに緊急時の非常処置で 高速道路の路肩を逆走しておりました。


旅行中に見かけた風景(9) 
イタリアでは大理石が豊富に産出しますので街の歩道に大理石が
敷き詰められているのをよく見かけます。これは、ミラノで見
かけたのですが、何と大きなアンモナイトの化石が見られました
 
旅行中に見かけた風景(10)                 
イタリアのホテルは室内に宿泊料金を表示することが義務付けら
ております。この表示は、ローマで宿泊したホテルのものです。
340ユーロ(=54,000円)でした。五つ星とは言え、高いですねー!


ミラノでの観光風景(1)  
約500年かけて1813年に完成した世界最大のゴシック建築のミラノのドゥオモ(大聖堂) 135本の尖塔の先には全て聖人が立ち、荘厳で美しいステンドグラスも有名。工事のため正面の全景見れず。
 
ミラノでの観光風景(2)                
予想外に質素な上、小さく見えますが、世界三大オペラ劇場のひとつのスカラ座で、現在の建物は二代目、初代は1776年に焼失、約3年の改修工事を終えて2004年12月再開されました。


ミラノでの観光風景(3)   
スカラ座とドゥオモを結ぶヴィットリオ・エマヌエーレ2世ガレリアで、プラダ、フェラガモ等の有名ブランド店が軒を連ねております。紀元前4世紀にケルト人の作った集落が起源。

ミラノでの観光風景(4)                 
イタリア各地に見かけるヴィットリオ・エマヌエーレ2世像。1861年に彼の活躍で長年のオーストリアによる侵略から開放され、統一イタリアが建国されたことから「建国の父」と慕われている。


ヴェローナでの観光風景(1)  
ヴェローナは街全体が世界遺産に登録されているだけあって、街の到
る処に見応えのあるシーンがが多く、上の写真はアディジェ川から望
むサンピエトロの丘もそのような見どころのひとつでした。

ヴェローナでの観光風景(2)               
ルネッサンス様式の回廊に囲まれたシニョーリ広場のランベルティ
の塔です。ボッタクリのイタリアだけのことはあって、この83mの
塔に昇るにも1,000円ぐらいの料金を取られます。


ヴェローナでの観光風景(3) 
人口25万人のヴェネト州ヴェローナ県の県都ヴェローナには中世の街
並みやローマ時代の遺跡が残っており、これはローマのコロッセオに
次ぐ円形競技場で世界最大の屋外オペラ会場として現在も使用中
 
ヴェローナでの観光風景(4)               
シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」はヴェローナで実際あった
話を元にしたと言われ、ジュリエットの家のモデルとなったカプレティ
家の邸宅のバルコニーが上の写真、ここからロミオがジュリエットに


ヴェローナでの観光風景(5)  
ヴェローナの街には到るところに、このようにM型の塀が見られます。
中世、ヴェローナでは「神聖ローマ皇帝派」と「ローマ法王の教皇派」
が二派に分かれて争った名残で、これは皇帝派のシンボルです。

ヴェローナでの観光風景(6)               
これは「教皇派」のシンボルの□マークです。「ロメオとジュリエット」
では、ロメオが教皇派、ジュリエットが皇帝派の家系だったために若い
二人に悲恋を招くことになったことでも知られております。


ヴェネチアでの観光風景(1)  
ヴェネチアは中世、干潟に木の杭を打ち込んで土盛りして造成された
人口島でメストレの港から船で15分ほどかかります。その途中こんな
欧州からのクルーズ客を乗せた豪華船を何隻か見かけました。
 
ヴェネチアでの観光風景(2)               
やがて、ヴェネチアの港に近づくとこんな風景が見られました。中央の
橋が有名な「ため息橋」です。 橋の右の独房に入れば二度と美しい風
景が見られなくなるからとの思いからバイロンが名付けました。


ヴェネチアでの観光風景(3) 
我々は、4人づつゴンドラに乗って小運河を渡りました。
大運河ではありませんでしたので、あの有名なリアルト橋の下を通る
ことは出来ませんでしたが、水の都の情緒はたっぷり感じ取りました。
 
ヴェネチアでの観光風景(4)               
住居の壁に干満による水位の跡(黒色の帯)が見られます。帯が水面下に隠れる程に水位が上がるとサンマルコ広場が水没します。侵食による壁の劣化の進行と温暖化による水位上昇が今後の課題。


ヴェネチアでの観光風景(5) 
4人の福音書記者の一人、聖マルコに捧げられたビザンチン様式のサンマルコ寺院で、828年にヴェネチア商人による創建後900年に渡って増改修され1807年にたナポレオンの命により大聖堂に昇格。
 
ヴェネチアでの観光風景(6)                 
サンマルコ寺院の前に広がる広大なサンマルコ広場で、向かって右側にカフェテラスが展開しており、中でもカフェ・クワドリはここで最初にコーヒーを出したことで有名で、この日も生演奏してました。  


ヴェネチアでの観光風景(7) 
サンタ・ルチア駅前から、大きく逆S字型を描いて街の中心を流れる約4kmの大運河は、水の都ヴェネチアの表通りです。リアルト橋の真上から見下ろした風景です。
 
ヴェネチアでの観光風景(8)               
サンマルコ広場向かって左側には、右側のカフェ・クワドリとともに
超有名な1720年12月29日創業の世界最古の喫茶店フローリアンが有ります。因みに、エスプレッソで5ユーロ(約1,000円)とのこと。  


フィレンツェでの観光風景(1)     
バスを降りたら雨でした。この旅行を通してはじめての本格的な雨でした。ここはフィレンツェの街を一望できることで知られているミケランジェロ広場だけに残念でした。ダビデの像でも有名な公園です。

フィレンツェでの観光風景(2)              
左のミケランジェロ広場からアルノ川越えに、フィレンツェの街が一望できましたが、雨のために霞んでいたのが残念でした。高く見えるのはサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂です。


フィレンツェでの観光風景(3)   
アルノ川にかかるヴェッキオ橋で、橋上をメディチ家専用の空中回廊が左岸のピッティ宮殿から右岸のヴェッキオ宮殿まで続き、両側に悪臭騒動で追い出された食品店に代わって貴金属店が連ねてます。
 
フィレンツェでの観光風景(4)              
アルノ川には四つの橋が有り、最も有名なのが右のヴェッキオ橋で、次いで有名なのが、このサンタ・トリニタ橋で、1252年に一番最後に造られましたが1944年に独軍に破壊され、戦後忠実に再現されました。


フィレンツェでの観光風景(5)   
自宅のピッティ宮殿で、ここから執政所(現ウフィッツィ美術館)と隣接するヴェッキオ宮殿まで一歩も外へ出ることなく往来できるように、メディチ家は上のヴェッキオ橋上に右のような空中回廊を造りました。
 
フィレンツェでの観光風景(6)              
ヴェッキオ橋の中央付近から見た空中回廊の風景です。かってここには肉屋の店が並んでいたのですが悪臭が酷いためメディチ家がヴァザーリに命じて作らせたのがこの「ヴァザーリの回廊」です。


フィレンツェでの観光風景(7)   
ウフィッツィ美術館の全景ですが私が撮った写真ではありません。当日、予約で並んだ列(上の画像の左下で)を抜け出せなかったため撮る余裕が無かったからです。このサイトの画像をお借りしました。
 
フィレンツェでの観光風景(8)              
ウフィッツィ美術館で最も有名な「ヴィーナスの誕生」で、撮禁のためウイキペディアから引用させて頂きました。名ガイドの三宅さんの解説は感動的で、他にもこのような作品の解説を受けました。


ピサでの観光風景(1)   
1173年の着工5年後に傾きが発覚、その後200年かけて対策するも実らず、更に約600年後の1935年の薬液注入策は逆に傾斜を早め、その対策も裏目に出るなど、ピサの斜塔は失敗の繰り返しでした。→
 
ピサでの観光風景(2)              
1964年イタリア政府は世界に支援を求めて対策続行したものの実らず1990年に閉鎖、その10年後の2001年に漸く目処がついて公開が再開されました。上の画像は、斜塔の頂上から見た風景です。


ローマでの観光風景(1)   
手を入れると、偽りの心がある者は手首を切り落とされるか手が抜けなくなると言い伝えられる「真実の口、「ローマの休日」で一気に世界中に広まりました。その後寄ったローマ三越店に複製品が有りました。
 
ローマでの観光風景(2)              
泉に背を向けて右手でコインを一枚投げ入れと「ローマ再訪」二枚で「恋の成就」そして三枚で「離婚・訣別」が叶うと言われる「トレビの泉」私も妻も1枚でした。二人ともケチだからでしょうか。


ローマでの観光風景(3)   
紀元後72年着工、ティトウス帝の80年に完成したローマ時代の5万収容の円形闘技場「コロッセオ」、当日は時間が無かったため中には入れませんでしたが最上階と地下に行ってみたかったです。
 
ローマの観光風景(4)              
コロッセオの外面は大理石で覆われ、その大理石を支持するために穴を通して鉄製の楔が打ち込まれておりました。しかし、大理石も楔も持ち去られその跡が、このように穴だらけになってしまいました。


ヴァチカンでの観光風景(1)   
キリスト教の教会建築としては世界最大級の大きさ(床面積2万3,000m2)を誇る カトリック教会の総本山サンピエトロ大聖堂。北に隣接してローマ教皇の住むバチカン宮殿バチカン美術館等が有る。
 
ヴァチカンでの観光風景(2)              
ミケランジェロ23歳の時の出世作の彫刻、「ピエタ」です。 処刑されたわが子キリストの遺体を悲しげに抱く聖母マリアの表情が美しい。無料でサンピエトロ大聖堂内で見られるのはボッタクリのイタリアでないからか。


ヴァチカンの観光風景(3)   
ヴァチカン宮殿を護衛するスイス兵です。何故、スイス兵が雇われる理由はスイス旅行記で触れてますが忠誠で勇猛果敢だからです。若くてハンサムな兵士が多いので女性に人気あるようです。
 
ヴァチカンでの観光風景(4)              
最上階の右から2番目の部屋が法王の書斎になっており、毎週日曜日正午にこの部屋の窓を開けて法王が 祝福の手を振ります。この日は法王は米国訪問中で留守でした。  


カプリ島での観光風景(1)   
カプリ島に大きな船で30分ほどでナポリからこのようにして行き、更に数十人乗れる船で青の洞窟近くまでこのようにして行きます。更にこの写真のように6人乗りのボート乗り替えて順番を待ちます。
 
カプリ島での観光風景(2)              
洞窟に入る穴は海面から上まで1mも無いので、このようにに客は、船頭さんの合図に従って仰向けになって身を締めます。 その瞬間を必死の思いで撮ったのがこの画像です。船頭さんが私を睨んでおります。  


カプリ島の観光風景(3)   
青の洞窟内で私が撮影した写真です。実は愚かにもフラッシュを焚いたため海面が真っ黒になり大失敗でした。そこで後でいろいろと修正加工を施しましたがあのエメラルドグリーンは再現できませんでした。  
 
カプリ島での観光風景(4)              
そこで同行ツアー客で美男美女の新婚の方が送って下さったのを許可を頂いてアップさせて頂きました。見事にあの色が再現されております。美しい方が撮るとより美しく撮れるものです。有難うございました。


ヘルシンキから中部国際空港への機窓風景(1)   
中部国際空港に着陸する5分ほど前に機窓から撮った知多半島先端の風景です。半島の先端に師崎港、その向うの白く見えるのはチッタナポリの高層マンション、右の島は篠島です。
 
ヘルシンキから中部国際空港への機窓風景(2)      
中部国際空港の全景をとることは角度的に無理ですので、ここはグーグル画像を使わせて頂きました。本当に、欠けた出刃包丁のような形をしておりますね。こうして、無事帰国できました。


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