雑感記

第 6 章 富士山噴火について

赤穂浪士討ち入りから2年後の元禄16年(1703年)に相模湾を震源とするM8.2の 大地震が発生し、江戸は10367人の死者、32961軒の家が損壊し、江戸城の一部も焼け 落ち、津波で相模湾、房総半島の沿岸でも甚大な被害が発生し、その被害は西 は和歌山県、東は岩手県にまで及んだことが古文書から裏づけられております。

M8.2は、神戸大震災の7.2、台湾大震災の7.4、関東大震災の7.9をはるかに凌ぐ凄さ で想像すら出来ませんが、実はそれより更に大きいM8.4の宝永大震災が、富士山の大噴 火の前触れとしてこの元禄大震災の4年後の宝永4年(1707年)に起こっているのです。
そして、その一ヶ月半後の12月16日に富士山の大噴火が始まったのです。

その時の火山灰は、須走で2〜3m、小山で1m、横浜でも5cm、その総量は13億トンに達した と記録されておりますが幸い溶岩の流出はなく、噴火は海抜高度低い方から三つの噴火口か ら16日間に渡って起こり、その結果、静岡側から見て左側の肩の部分が降下した火山灰に より肩のように隆起し、更に山頂が数百メートルも高くなったと言われております。

幕府は、元禄大震災の復旧でで財政がひっ迫し、後の吉宗の享保の改革に繋がるのですが、 これに懲りて、元号の元禄は縁起が悪いとして、天皇在位期間中にも拘わらず、翌年の元禄 17年を宝永元年とする異例の改元を幕府は実施したの何のご利益もなかったわけです。

富士山は西暦781年以降14回も噴火し、うち4回は大きな噴火で、延歴(800 年)、 貞観 (864 年.)、. 西暦 937年、そして宝永(西暦1707年)、つまり、300年に1回ぐらいの割合 で 大噴火を起こす活火山であもあり、東海大地震の引き金になる各プレートが集まっていると ころでもあり、最後の噴火から約300年経過しそろそろ噴火してもおかしくないことを考えると、 富士山は実は恐ろしい山でもあります。

富士山は以前は休火山と呼ばれておりましたが、最近気象庁はこの2千年以内に噴火したこ とがある火山を活火山と定義し直したことから活火山に変わりました。 今から30万年前は富士山は、まだ出来てなくて箱根山が富士山のように美しい円錐形を保っ ていたのですがその後の地殻活動で山頂が崩れて現在のような外輪山にその痕跡を残すだけ になってしまったのですから、いずれ富士山もそんな姿になってしまうのでしょうか。

首都移転の候補地に静岡を選ぶなど狂気の沙汰としか思えません。 過去の統計から考えて、21世紀に富士山が噴火することは間違いないように思われます。 その場合、新幹線、東海道線、東名高速、1号線の日本の大動脈が分断され、静岡は陸の孤 島と化し、関東から西への交通手段は海路か北陸経由しかなく日本は大混乱に陥り政治・経済 ・産業・文化・芸術・教育・医療・スポーツ・情報・通信・交通等全ての分野で麻痺が起こり、世界 経済にも多大なな影響を及ぼすと考えられます。

しかし、わが故郷静岡のシンボルはやはり富士山です。 朝な夕なに富士の秀峰を仰いで育った私には富士山を見てもそれ程感激は湧かないどころか、 以前、旅したナポリ郊外のヴェスビオス火山の噴火で一瞬にして死の街と化したポンペイの遺跡 を思い浮かべると、いずれは魔の山になるのではと思うことすら有ります。

どうか、神々しく美しき富士の山よ、何時までも、静かに我々を見守って下さい。

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