雑感記

第 7 章 亀に助けられた漁師の話

1.釣り仲間の話

この話は昨年の8月17日に福井県の越前海岸の鷹巣に釣りに出掛けた夜、 海岸でオートキャンプして釣り仲間5人で一杯酌み交わしながら話に花を咲 かせていた時、元マグロ船の船長のSさんが淡々と話してくれた実話です。 本命の話をまわりから浮き彫りにしていくために、挿話を取り入れましたので 長くなってしまったことをまずは前もってお断りしておきます。

大体、釣り人の話は大袈裟で、話し半分に聞いておけとよく言われます。 鯛のこんな大きなのを釣ったと両手をグーッと1メートルぐらいの間隔にして 広げるのに、実際はせいぜい40センチ程度のことが多いんです。 最初、Sさんが先月その近くで62センチのヒラメを上げたのに魚拓をとる程で もないとのと自慢話しをした時も、Sさんとは初対面でもあったこともあり多分 40センチ程度だったんではと話半分に聞いていました。 しばらくしてSさんは思い出したようにポケットから取り出した何枚かの写真の 中からある1枚を見せてくれました。そこには、彼の釣り専用のワゴン車を背景 にその日のデート入りで60センチは悠に超えるヒラメを持ち上げている彼の姿 がありました。

この話は、そのヒラメの話を聞いた後だったので信用してはいたのですが、 あまりにも信じ難い内容だったので、話の途中みんなから冷やかし気味の質問 が飛んだのに彼は即座により具体的に答えてくれたので、そのうちそんな質問 もでないままじっと耳を傾けて聞くようになりました。

(2)マグロの話

この話をする前に、長くなりますがマグロの話をしておきましょう。 マグロはカツオと同様に暖かい海の中を30キロ程度の高速さで常に走るように 泳いでおりますがこのような赤身系の魚は運動量が多い分筋肉に常に多量の 酸素を供給する必要が有ります。

そのためにより高速で走ることでエラから空気を取り込むしかないのです。 海底に静かに寝そべっているヒラメや悠然と優雅に泳ぐ鯛等の白身系の魚達と 違い常に高速で泳ぐ宿命を負わされている可哀想な魚達なんです。
江戸の金持ちや将軍はじめ武家達はマグロの刺身が好きだったのですが、 当時は東北の牡鹿半島でしか獲れなかったため1週間もかけてクール宅急便な らぬマグロ飛脚便で江戸まで運ばれた古いマグロしか食べられなかったようです。 江戸後期に相模湾でも獲れるようになってからカツオ同様に新鮮なものを食べる ことができたようです。
日本人のマグロ好きは縄文時代にまで遡り、貝塚遺跡にマグロの骨が発見され ておりますし、万葉集まにも「鮪衝くと海人の燭せるいざり火のほかにが出でなむ わが下念(したもひ)を」という歌が残され、奈良時代にはすでにマグロ漁の漁法 も確立されていたことがかがえます。

しかし、本格的にマグロが食べられるようになったのは寿司ネタになった江戸時 代後期からで、またトロが食べられるようになったのは、昭和初期当時は脂っぽ くて捨てられていたのを東京の貧乏学生がタダで貰って食べたら美味だったので 故郷に帰って食べるようになったのが全国に広まったきっかけと言われております。

マグロは美味しい順に、本(黒)マグロ、ミナミ(インド)マグロ、メバチマグロ、キハダ (黄肌)マグロ、各種カジキマグロ、トンボ(ビンチョウ)マグロ等の種類が有りますが、 先日の新聞にオーストラリア、ニュージーランド沖でしか獲れないミナミマグロの日本 での調査漁獲中止を求める両国政府の訴訟で国際海洋裁判所は即時中止を命ず る日本側敗訴の判決を昨年8月27日に下したことは残念です。

最高級の本マグロも日本の三陸沖と地中海でしか獲れず、グリーンピースの反対 運動もあって年々水揚げが減っているのもマグロファンにとっては寂しいことです。 それに、前にも述べたように赤身系の魚の宿命で高速で泳がないと窒息死してし まうので狭い網の中での養殖が難しいのも問題ですね。

高級な寿司やさんで一貫数千円もするのは本マグロやミナミマグロのトロですが、 回転寿司で出てくるのは殆どメバチマグロかキハダマグロです。 トンボは一見ピンク色でトロっぽく美味しそうに見えますが味が淡白過ぎて刺身 には不向きで殆どが缶詰用です。

実は、マグロが江戸を中心に食べられた名残が現在に残っているんです。
カツオ、マグロの町、焼津で生まれ育った私が名古屋に来てから食べるマグロが 如何にも不味いので、調べて見たら何んと不味いキハダは名古屋を含む西日本、 美味しいメバチは東日本と差別して出荷されていることが判りました。確かに名古 屋では滅多にメバチは見かけませんが東京ではよく見かけますね。
昔からマグロの味にうるさい東京、神奈川、静岡ではキハダは買ってくれないけれ ど、愛知、大阪、兵庫ではキハダでも買ってくれるんだそうです。 そう言えば私の実家の本家は焼津で鰹節を作っていましたが白い粉が付いた鰹節 は東日本、そうでないのは西日本と出荷先を差別していたのを思い出します。

3.ビールの話

西日本でキハダが好まれるのは、戦前、大日本麦酒(現在のサッポロ、アサヒの前身)に都市部で対抗出来ず、止む無く地方や農家を中心に販路を開拓したキリンが戦後に飛躍したのと似ています。 戦後、ビールが大衆化した時、大都会以外の殆どの人はキリンしか飲んだことがない ので、ビール=キリンの図式が出来てキリンのシェアは50%以上になったのです。

つまり、西日本ではスーパーの店頭は殆どキハダですのでマグロ=キハダなんですね。 そのキリンファンは晩酌でコップに注いであのホロ苦さを味あうお父さん達だったの ですが、お父さん達は引退し、成長したその子や孫達はお父さんの趣向を引き継が ずに、製造後3ケ月以上経過したビールを店頭から回収して徹底的に鮮度を維持したアサヒのスーパードラ イにキリンは一時トップの座を奪われるようになりました。

4.マグロ釣りの話

最近の回転寿司ブームでマグロを食べる機会が多くなるにつれて、高級マグロの ニーズが高まってきたようです。 例えばスジが無く赤っぽくて一見美味そうなヨーカンマグロや斜めや年輪状にスジ の入った中トロ、更には冷凍物のネタを出しているとすぐ客離れするそうです。

このマグロを獲るには普通ハエ縄という漁法を採用します。これは1000メートル 以上の長いロープに数メートル間隔で枝針を結び、針に生きているアジ等の小魚を 掛けて海中に投入してからしばらくしてから引き上げる方法です。 Sさんはそんなハエ縄の小さなマグロ船の船長を20年前の30代の頃していたのです。

何百個の枝針に素早くアジを付けないとアジが弱ってしまうし、それに船の速度とバ ランスがくずれて絡んでしまいます。 Sさんはある時、誤って全長10センチ以上の大針を身体に突き刺さしてしまいました。 針の先端の返しのために外そうとすればする程肉に食い込みますので大変です。

実は、私も5年前に全長2センチ程度の小さなキス針を指に刺してしまい、近所の外 科病院に掛けつけましたら、医師が笑いながら麻酔もせずに針をグーっと押し込んで スーッと見事に抜いてしまったのです。 その間僅か数秒、むしろ後が面倒で消毒、抗生物質の注射なんかで1万円もとられた 上、家族にこんな高いキスは食えないと文句を言われ酷い目に遭ったことがあります。

Sさんも、近くの港に寄港して手術してもらおうとしたのですが、外国でもあり寄港 料と医療費を合せると50万円もするとのことで諦めて例の医師と同じ方法で痛さを こらえながら抜いたそうですが、こんなことはマグロ船では日常茶飯事だそうです。

また100キロ以上の巨大なマグロを引き揚げる時に鋭いヒレで身体を切られること や、一本釣りで身体にロープを巻いて固定したのにマグロの強い引きで締め付けら れて死亡することもあるそうです。先日、NHKのスペインのTV特集で1年に1度だけ ジブラルタル沖を回遊するマグロを網で捕獲する場面を放映してましたが、やはりヒレ で切られて死亡することがあるとナレーションしていました。

しかも、故郷の焼津等から出港する大型マグロ船では1航海が1年以上に及ぶため、 船員達は数々の欲求不満に耐えながら男達だけの生活を強いられるわけです。 Sさんは小型ですので、甲板員も5,6人で1航海も数ケ月程度だったようですが、 やはり欲求不満に耐えかねて気が変になる場合も有るそうです。

5.航海中のある出来事

そんな中、Sさんの船は北緯3度の赤道付近を走行していました。 すると、20代のある甲板員が突然海中に飛び込んでしまったのです。 船長のSさんは当然のこととして、船を停止させロープのついた救命浮環を海に投げ 込んでから自らも飛びこんで救助に向かいました。

勝手に自分から飛びこんだのに、その甲板員は泳ぎが不得手らしく大声で助けを求め ていたそうです。何とか甲板員に泳ぎついて救命浮環を彼に付けさせて溺れる危険が 無くなったのを確認してからロープを手繰って船に接近しようと試みました。

ところが、船はどんどん遠ざかっていくばかりです。 Sさんはその時気ずいたのです。 ロープを船に固定せずに投げてしまったことを。彼しか操船できない事情もありとにか く遠ざかる船に泳ぎつくことをまず考えたしうです。 そのまま二人でじっとしていたら共倒れになると悟ったからです。 そこで、Sさんはとりあえず甲板員は救命浮環につかまっているので当面は大丈夫と 判断し、直ぐに迎えにいくことを告げて、必死の思いで船に向かって泳いでいったそう です。

数時間かけてやっとの思いで船に泳ぎついて、すぐに彼の姿を追い求めて捜索したの ですが潮の流れ、風向きの影響もあって全く彼の姿は見当たりません。 地球の丸み、波の高さに隠れるので海上では10キロも離れると小型船ではお互いの 船影を確認することは不可能です。

日が沈む前に探し当てないとまず捜索不能になってしまいますし、夜になると不安が 募り彼の身に何が起こるか判りませんのであと、5,6時間しか猶予有りません。 全員が360度を分担して必死に探し求めたのですがどうしても見当たりません。 やがて、日も傾いてあと2時間で日没となった時太陽と反対の方向に夕日を受けて何 やら白く輝く小さな点がSさんの目に映ったのです。

6.甲板員の話

これから先は大海原に取り残された甲板員の話です。 彼は、Sさんが自分からどんどん離れて行くのを見て不安だったのですが、まだ船影 が確認できるうちはそれ程でもなかったそうです。
ところがそれから何時間経っても微かに見える船が自分の方に近づいて来ないので 自分を見失っているのでは考えて何とか見つけてもらおうと大声で叫んだり、手を振った りしたのですが全く反応無く不安が募る一方だったのです。

通常、海上を漂流中の船が他船に自分の存在をアピールするには発煙筒を焚くか、笛 を吹くか、反射板を掲げるの3種の方法が法令で指導されております。 発煙筒と救命胴衣は法定備品として常に船内に保管することが法令で義務ずけられて おり、笛と反射板はその救命胴衣に付いております。

しかし、救命浮環に掴まって漂流中の彼はそのいずれも持っていなかったのです。 彼は何とかして船の方向に太陽の光を反射させて自分の存在を知らせようとしましたが 周囲にそれらしきものが見つからないまま迫りくる夕暮れに不安を募らせていたのです。

7.エピローグ

その時でした。 1匹の赤海亀が彼のもとに近づいてきたのです。 そして彼に掴まろうとする仕草をするので彼は気味悪がって突き放したのですが、突 き放しても、突き放してもも更にしがみ付いてくるのです。
実は後で判ったことですが、この亀には海を遊泳中に身体を休めるためか浮遊物にし がみつく習慣が有るのだそうです。浦島太郎が助けた亀に乗せられて竜宮城に案内 されたと言う御伽噺も何か真実味を帯びてきます。

そのうち彼はこの亀のお腹が真っ白で艶々して日光を反射して眩しく光るのに気づい たのです。 彼は、「これだっ!」と小躍りしてこの亀を両手で高々と、微かに見える船の方角に 何回も何回も夢中になって翳しました。 実はこの亀の白いお腹が日光に反射されてSさんの目に届いたのです。
こうして船は彼を発見して無事救助出来たということです。
話してしまえば何のこともないですが次のようにラッキーが重なったことが 見逃せません。

1.亀が来たこと、 2.その亀が赤海亀だったこと、 3.その亀が適当な大きさ だったこと

でも、この亀のお腹を反射板の代わりに使おうとしたのはラッキー以前の人間の叡智 であり、結局これが彼の命を救ったことを肝に銘じてた次第です。

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