韓国旅行記

3章 韓国とその歴史(新羅の統一までーその2)
紀元前7〜8世紀頃は古代朝鮮王国が現在の朝鮮半島と中国やロシアの一部を 領有していたものの強大な漢の武帝により紀元前100年に滅亡し、朝鮮半島には、 北部に高句麗、南東部に新羅、南西部に百済の三国が次々と建国され、いわゆる 三国時代になり、これら三国が激しく覇権を争った結果、一世の風雲児金春秋が 新羅の武烈王として即位してから660年に唐と組んで百済を滅ぼし、更に668年 にはついに強国高句麗を、同じく唐と組んで滅ぼした勢いに乗って同盟を結んでい た唐をも追い出して平壌以南の朝鮮半島の自立的統一に成功したのです。

この風雲児の金春秋は、王位継承権を失うリスクを犯してまでも地方の将軍の妹と 結婚したのですがこれが幸いしその将軍の支援を得て新羅の王位についたのです。 642年に金春秋の娘婿の城が百済に攻められ娘婿夫妻が殺されたことから百済への復讐 を誓い単身でライバルの高句麗に乗り込んで同盟を結ぼうしたのですが、逆に高句 麗は百済と結んで春秋を抑留しようとしたのです。

するとその将軍は一万の決死隊を率いて義弟でもある春秋の救出に向かった結果、 高句麗は将軍との対決を恐れて春秋を釈放したのです。 釈放された春秋は高句麗に見切りをつけ大化改新後の日本に渡って後方を固め、 更に直接唐に渡って同盟を結び前述のように百済、高句麗を次々と滅ぼしたのです。

実はこの時、破れた百済の遺臣・鬼室副信がお家再興を目指して挙兵すると共に、 使者を日本に派遣して救援を求めたのです。

日本の朝廷はこれに応じ、斉明天皇自ら九州の前線基地まで出向いたもののそこ で崩御、それでも日本側は170艘の船を出して鬼室副信を救援し、更に3年後の 663年には27000人が増援され、百済の遺臣等が籠もる周留城目指して日本の 軍船が錦江下流の白村江の河口に乗り込んだ時、唐と新羅の連合水軍に鋏み撃 ちに遭い、日本軍はそこで全滅してしまったのです。

これが有名な白村江の悲劇で、今回知った3番目の日韓の接触だったわけです。

ガイドさんによれば、白村江の戦いで日本軍を破ったこの金春秋(後の武烈王)と、 後の李王朝の海軍総指揮官で1597年に閉山鳥海で500艘の秀吉軍を破って 勝利を勝ち取ったイ・スンシン将軍、そして日韓併合の推進者の伊藤博文を暗殺し た安重根の3人は韓国では英雄扱いで逆に日本側の豊臣秀吉、伊藤博文等は 極悪人として学校で教え込まれたとのことでした。

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