韓国旅行記

4章 韓国の歴史(李王朝までーその2)
今から11年前にNHKテレビで放映されたある場面に感動を覚えたことがあります。

それは、上記の李王朝最後の皇帝 純宗の長男の李垠殿下と結婚させられて波瀾 万丈の生涯を1989年ソウルで閉じた元皇族で昭和天皇の妃候補にあげられたこ ともある方子妃(韓国名 ウリ王妃)の葬儀がソウルで行われた時のことです。

昌徳宮での敦化門を出て宗廟までの沿道につめかけた市民は王妃が日本人であ ることを超越して「最後の王妃」に別れを惜しみ手を合わせた、その時の人垣からチマ ・チョゴリ姿の老女が進み出て路上にひれ伏し、通り過ぎるひつぎに二回、三回と 「チョル(礼)」をささげたのです。

恩讐を超えた「ウリ(われわれの)王妃」へのソウル市民の温かさ、なごやかさでした。 彼女は晩年、韓国で障害者福祉事業に尽力し、福祉法人「明暉園」には日本人から の支援も多く、「ウリ王妃」として韓国民に受け入れられ、親しまれていたのです。

彼女は1920年に結婚し、1922年生まれてまだ8カ月の長男、晋殿下を連れて初 めて韓国に里帰りした際、晋殿下が異物を吐きながら急死する出来事があり、方子妃 は自伝「流れのままに」で「日本人の血がまじっているというただそのことのために、 非業の死を遂げなければならなかった哀れな子…。もしお祖父様さま(高宗)が殺され たその仇が、この子の上に向けられたというのなら、なぜ私に向けてはくれなかった のか…」と書いております。

昨年秋、李垠・方子夫妻の遺児で日本に住んでいた次男の李玖氏(65)が韓国に永久 帰国し、李王家を生んだ全州李氏の同族会「全州李氏大同宗約院」の総裁という肩書 を得たものの、韓国政府からは何の配慮も無かったと言われております

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