京都旅行記
(三社初詣(松尾大社、北野天満宮、伏見稲荷大社)


松尾大社

興味深いのは建立したのが渡来人の秦氏(中国、朝鮮半島の両説有り)と言うことです。秦氏一族が朝廷の招きによってこの地に来て建立し、酒作りに長けていたことから酒の神様としても有名で境内奥の「亀井の水」は、醸造時に加えるとお酒が腐らないと伝えられ酒造業者が奉納した酒樽が山と積まれておりました。



松尾大社・本殿




祭神は須佐之男神の孫の大山昨神と天照大神と須佐之男神の子の中津島姫命で、500から600年頃からこの地の住民が大山昨神を松尾山に祀って尊崇していたところに、秦氏一族がここに来て大山昨神を総氏神として崇め、この桂川一帯に治水を施し農耕地に変えて得た経済力を背景に朝廷に平安京誘致を推し薦めたことから秦氏は平安京の始祖とも言われております。

松尾大社・亀井の水



平安時代には皇城鎮護の社とされ神階も最高を極めましたが、明治に社領、山林は没収され更に戦後には国からの補助も打ち切られましたが、政教分離に伴い宗教法人となり、昭和25年に松尾神社より松尾大社に改称されましたが、大社と言っても全国の同系神社の総本宮ではないようです。当日は右の写真のように境内でフリーマーケットが開かれておりました。

松尾大社境内のフリーマーケット



北野天満宮

九州・太宰府に流刑となった平安初期の歌人、書道家、文学者でもあった菅原道真公の死後、京都に異変が相次いだのは道真公の祟りと考えてその霊を慰めようとして創建されましたが「天神さん」として全国受験生の合格祈願で有名な神社として知られております。

北野天満宮・国宝の拝殿





境内に牛像が多く置かれているのは、道真公が亡くなられたのが丑の年、丑の日、丑の刻ということと、道真公の遺体を運んだ牛が蹲った場所が墓所になったこと、約2,000本(約50種)もの梅が有るのは、道真公が生前こよなく愛していたことに因んでおり、梅の花を観て牛像の頭をなでると頭が良くなると信じられていることから受験生の参拝が絶えません。

北野天満宮・楼門




北野天満宮は九州の太宰府天満宮とともに、全国の天満宮の同格の総本宮とされておりますが、今一その系列がよく判りません。太宰府天満宮の案内には、「全国天満宮の総本宮」と言う言葉が随所に出てきますが、北野天満宮のそれには出てきません。ただ、北野天満宮には国宝、重文の建造物が多く有り、名より実をとっているように思えました。

当日境内で咲いていた白梅



伏見稲荷大社

比叡山から連なる東山三十六峰の南端に位置する標高230m程の稲荷山の裾野に、商売繁盛・五穀豊穣・開運の守護神として古くから庶民の信仰を集め、全国に約4万近くある稲荷神社の総本宮の伏見稲荷大社が有り、楼門、拝殿、本殿(重文)等の鮮やかな朱塗りの社殿が立ち並んでいる様子は壮観でした。

伏見稲荷・大鳥居




稲荷神社の特徴は朱色、キツネ、杉の崇拝ですが、流石に総本宮だけあってその特徴が至る所に見られました。朱色は魔除けの色として重要な建造物に使用されたこと、また古来から日本では動物や樹木に神が宿ったり、神意を伝えたりすると信じられたことから稲荷神社では狐が神意を伝え、杉に神が宿るとされたのが、それぞれその由来とされております。

伏見稲荷・千本鳥居



松尾大社の項の説明にあるように、太泰の地で財をなした泰氏一族がそこの広隆寺を氏寺、松尾神社を氏神とした上更にこの伏見に稲荷神社を建てて崇敬した史実や、祭神の宇迦之御魂神の別名である御饌津神の文字に狐を使ったとか、秋の収穫の際、稲荷神社にお供えした稲穂が狐の尻尾に見えたとか言った狐との関係を物語る逸話などが興味深く思えました。


楼門前の宝珠をくわえる狐像


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