−日記帳(N0.024):20001年11月10日−
伊豆高原にて

大学の同級会を毎年開催することになり、昨年は私が幹事になって、同級生の在住地のほぼ真ん中に相当する長野県・松本の淺間温泉で開催しましたが、今年は横浜在住のS君が幹事と言うことで彼の会社の伊豆高原のリゾートエリアにある保養所で開催することになりました。

従業員3万人の企業だけあって保養所の施設はホテル並で18人の同窓会員は全員個室で寝ることができました。 大広間で宴会をした後、別館のロビーを借り切り囲碁にカラオケに2次会を夜中まで騒ぎました。
この日は雨模様の天気でしたが翌日は、秋晴れに恵まれたので、城ヶ崎海岸には徒歩で行く事が出来、海沿いに造られた城ヶ崎ピクニカルコースの遊歩道や吊り橋を巡る散策で景観美を楽しむことができました。
また、お椀をふせたようななだらかな曲線を描く伊豆高原のシンボル、標高581mの大室山を望むことができました。
大室山西麓に4万uにわたって広がる桜の里は、全国から35種3000本もの桜を集めた桜の名所。9月と4月の2度花を咲かせる十月桜などの珍しい品種も多く、当日も桜の名残を見ることが出来ました。

−日記帳(N0.025):20001年11月11日−
高校サッカー観戦

昨日の同級会の会場となった保養所で朝食を摂った後、送迎バスで桜の里の桜見物する同級生たちに別れを告げて高校サッカーの会場となる清水に急ぐべくタクシーで伊豆高原駅に行き、9時発の熱海行きの電車に乗り込みました。

昨晩の雨模様が嘘のように朝から快晴に恵まれ絶好のサッカー日和に胸躍らせて清水市郊外にある日本平運動公園 球技場に急ぎました。 この球技場はJリーグ清水エスパルスのホ−ムグランドですが、その交通の不便さには驚きました。

まず、清水駅から静鉄バスで約20分かけて日本平運動公園口で下車したのですが球技場らしい建物が全く見えません。みんなの後について10分ほど歩いていくと球技場らしい建物が小高い丘の上に見えてきました。 100段以上は有ろうかと思われる階段を息を切らせて登り切ったのですが入り口が判らず右往左往して漸く正面ゲート に辿り着いたのはバス停から20分後でしたが、よくもこんなファン無視の球技場を作ったものだと憤慨しました。

試合は圧倒的に母校の藤枝東がボールを支配したのですが、静岡学園にワンチャンスをものにされて1:2で惜敗してしまいました。 藤枝東は技で勝って勝負で負けた感じ、静学の数少ないチャンスを確実に勝利に結びつける試合巧者ぶりは流石でした。

会場でお目に掛かった母校の大先輩の松永信夫氏と会場からの帰途、居酒屋で一献傾けることが出来たのは感激でした。
氏は日本サカー界で有名な松永三兄弟の次男で、昭和26年のニューデリーでの第一回アジア大会に当時の日本ナンバーワンFWとして日本代表に選ばれながら元憲兵と言うことでGHQから渡航禁止令が出たため参加できなかった悲運の方でしたが、その悔しい思いを一緒に選ばれた弟の硯氏が大活躍されて銅メダル獲得に至ったことで知られております。また長兄の行氏は昭和11年のベルリン・オリンピックに日本代表に選ばれ、優勝候補のスエーデンを0:2から2:2とし、行氏の決勝ゴールで3:2と逆転勝利して、サッカー史上有名な「ベルリンの奇跡」と言われた主人公でも有ります。

80才になられた信夫氏は至ってお元気で毎日晩酌ま欠かさず、カラオケもされるとのことでしたが 来年、会場で一緒に東高を応援することを約束してお別れしました。 こうして私の、同窓会と高校サッカー観戦を兼ねた伊豆・駿河路の旅は終わりました。


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