−日記帳(N0.1930)2007年04月01日−
師崎で会社OBの親睦会開催
−日記帳(N0.1931)2007年04月02日−
「ソロモン」という言葉への思い(1)


宿泊先の「ビラマリーン・南知多」から望む師崎港「

毎年、桜が咲くこの頃に以前勤めていた会社のOBたちによる親睦会を眼下に師崎港を見渡せる丘の上にある愛知県の保養施設「ビラマリーン・南知多」で開催するのが恒例行事になりました。会社全体のOBは数えたことも有りませんが毎年、200名前後の方が定年退職しており、少なくとも20年前に定年退職された方の大半は存命されていることを前提に推定すると、4,000名前後になるものと思われます。我々が勤務していたのは会社のある事業部で、更にその中の製造部門主体に勤務し、当地区在住のOBに絞り込むと該当者は多くても100人程度 と推定されます。今日はそのうちの17人が参加されました。

5時半からカラオケを歌えるステージのある大広間で他の団体の人たちと一緒に宴会を開きました。このような宴会の場に17人も集まれば、必ずと言っていいほど、座持ちをしてくれる方が何人か現れるものです。ここでは、「ヤスキヨコンビ」ならぬ「モリイワコンビ」の「ハゲ! シラガ!」がその役を果してくれました。この二人は普段は仲がいいのですが、酔いが入ると何故か相手の弱み?につけこんで「ハゲ! シラガ!」と罵りあい、今にも喧嘩になりそうなくらいに険悪な雰囲気になるのですが、絶対に手が出ないうちに元の鞘にに収まってしまうから不思議です。すくなくとも、この二人のお陰でお通夜のような雰囲気には絶対になりませんので、この二人は貴重な存在です。

今年は新しく定年退職して間もないKさんとMさんが新たに加わりましたので、昨年以上に盛り上がりました。参加者の中で最も若いKさんは退職後は囲碁、散策などをされているとのことで、ふきのとう、ワラビ等の春の山菜などを求めて散策するといろいろな発見が有って楽しいとのことでした。また、Mさんはこの近くでセキュリティー関係の会社に勤めているとのことでした。Iさんは顔の血色もいい上、体が締まっていて如何にも健康そうでしたのでいろいろお聞きしたところ、その理由が判りました。彼は地元の名門高校出身でそこで卓球をしていた関係で卒業後も地元を中心に卓球を続け、現在でも標準球より10%直径が大きいシニアボールを使って毎週二日は試合をしているとのことですから頷けます。

0さんはスキーと北海道での渓流釣りが趣味で、最近北海道で釣り上げた岩魚とヤマメの写真を見せてくれました。もし今度岩魚を大釣りしたら骨酒用に分けて下さるようお願いしておきました。参加者の中で最長老のMNさんは88歳とは思えないように元気そうでした。名古屋で芝居活動を続けておられるのが元気の源のようでした。マイボートで釣りをされているTさんは、最近は寒ボラを主に釣っておられるとのことでした。こうして、みんなと近況を話し合いながら歓談しているうちに9時になりお開きになりました。その後も部屋で囲碁、将棋、麻雀、カラオケを楽しみ、床に着いたのは午前1時過ぎでした。翌朝は朝風呂に入ってから食堂で朝食をとり8時半に現地解散となり、来年の3月23日にここで再会することを約束して家路につきました。


ソロモン王に謁見するシバ女王を描いた絵画

「ソロモン」という言葉に私は以前からロマンを感じておりました。愛唱歌「伊吹おろし」の一節に「♪見よソロモンの栄耀も 野の白百合に及(し)かざるを 路傍の花にゆきくれて 果かなき夢の姿かな♪」というくだりが有り、「ソロモン」を「栄耀栄華」を比喩する言葉とは理解しておりましたがその由来については全く知りませんでした。ところが、以前この日記で「ユダヤ民族の歴史」を連載した折、2002年4月23日に、イスラエル王国の三代目国王、ソロモン王の治世が史上稀に見る栄耀栄華の時代であったことがその由来であることを知りました。今日は改めてそのことをレビューして理解を深めてみたいと思います。

イスラエル王国は建国されるまでは統治者は「士師」呼ばれる人が政治を行なっていましたが、最後の士師だったサムエルという人が「預言者」の立場に立って、神のお告げによってキシュの息子サウルに「国王」としての権限を与えたことらサウルがイスラエル王国の初代の王となりました。サウル王はペリシテ軍に連戦連勝するものの、功を焦るあまり祭司サムエルを無視して生け贄の儀式を行ったため神に対する冒涜となり民の心もサウル王を離れていきました。そこでサムエルは神の予言に従い新しい王にエッサイの息子の羊飼いの少年ダビデを選びました。

神からイスラエルの王として選ばれた羊飼いの子ダビデは南のユダ、北のイスラエルからなる南北統一イスラエル王国の国王になりました。この王国は、南はシナイ半島から北はレバノン山脈まで、西は地中海沿岸から東はヨルダン川を越える土地まで広がっておりました。しかし、ダビデは人妻バテシェバと不倫し彼女の夫を戦場に送り込み死なせてから強引に彼女と結婚してしまったことから神の怒りに触れ断食をして償ったのですがサウルとの娘との間に出来た最初の子供は神の予言どおり死んでしまいました。

ダビデの後の王位継承はダビデの優柔不断のため宮廷内で混乱しましたが、彼と不倫妻べトシェバの間に生まれた二人目の息子ソロモンを後継者にすると宣言したことで決着しダビデの没後ソロモンが王位につきました。ソロモンは、神の命令通り20万人の労働者と7年の歳月をかけて金色に輝く神殿を建設し、そこに「契約の箱」を収めると天から巨大な光の玉が降り神の栄光が神殿を満たしたと旧約聖書は物語っています。ここにイスラエル統一王国の黄金時代が誕生し、まさに史上類のない栄耀栄華の時代が到来し、ソロモンという言葉が「栄耀栄華」の代名詞となったわけです。

そして、ソロモン王の名声は遥か遠いアラビアのシバの女王にも伝わり、女王はソロモン王が評判どおりの賢い人物か否かをこの目で確かめてみたくなり、莫大なみやげ物を持参してイスラエルまで出向き会ってみた結果、噂に違わぬ聡明さと実行力を備えた偉大な王であることを知ったのですが、同時にシバの女王は若きソロモン王が側妻によって堕落することを見抜いていたのでした。実際に、数十年後ソロモンはシドンから来た側妻が異教の神を拝むことを許してしまい、これを契機に衰退の兆しが見え始め、やがてダビデの南北統一王国は終わり、再び北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂し再び統一されることはなかく、やがて新バビロニア帝国によって滅ぼされてしまいまいました。そこで、このことを旧約聖書の「マタイによる福音書6章28節〜30節」で次のように述べております。

  また、何故衣のことを思い煩うや、
  野の百合はいかに育つか思え、
  労せず紡がざるなり。
  されど我なんじらに告ぐ、
  栄華を極めたるソロモンだに
  その装いこの花の一つにも及(し)かざりき。
  今ありて明日は炉に投げ入れられる
  野の草をも神はかく装いたまえば、
  ましてなんじらをや。
  信仰薄き者よ。

この意味と「伊吹おろし」との関係については明後日触れてみたいと思います。


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