−日記帳(N0.1932)2007年04月03日−
常葉・菊川、初優勝おめでとう!
−日記帳(N0.1933)2007年04月04日−
ソロモンと伊吹おろしに思う


常葉菊川・野球部長の佐野心さん(左の背広姿)

ここ数年、生まれ故郷の静岡県に帰省する度に気付くことが有ります。高校スポーツ界、特にサッカー、野球の勢力図が変わってきていることです。サッカーでは、清水商、清水東、東海大翔洋(旧東海大一)の清水御三家に静岡の静岡学園、藤枝の藤枝東、浜松の浜名が対抗するという図式から清水御三家が地盤沈下を起し、これに代わって静岡県外者には聞き慣れない常葉橘という高校が静岡学園、藤枝東、浜名に対抗する図式に変わりつつあるように思われます。一方、野球では静岡商、静岡、浜松商、掛川西等の公立校の常連校に対抗して東海大翔洋、興誠、静清工、常葉菊川等の私立校が台頭する図式に変わってきました。このうち、常葉学園の橘、菊川両校の飛躍ぶりに注目してきましたが、今回のセンバツでの常葉菊川の優勝でそれは注目から驚きに変わりました。

この常葉菊川・野球部長に佐野心という名の教諭がおります。彼は1991年の夏の甲子園出場した後、専修大−いすゞ自動車を経て、1991年ドラフト6位で中日に入団し、1992年から1995年までの4年間で27試合に出場したものの、10打数1安打、1打点、打率0.10の成績しか残せず、1995年に退団し一念発起して専修大に再入学して教員免許を取得して2000年に常葉菊川高に赴任しアマチュア資格認定を受け、晴れて高校野球の指導者として同校の野球部長兼投手コーチとしてプロ4年間の生活で得た知識や経験を分かりやすく教え子に伝え、森下体制を支え今日の栄冠を勝ち取る原動力となりました。

一方、常葉橘には長沢和明という名の監督がおります。彼は清水東から東京農大を経てヤマハ発動機に入り、国際Aマッチ9試合(1978-1985) に出場したものの怪我に泣かされて0得点に終わり30歳で引退後、ヤマハのコーチを経て1991年に監督に就任、在任中にチームが「ジュビロ磐田」に改称したため、ヤマハ最後の監督と同時にジュビロ磐田の初代監督となり、ゴン中山等を率いて1992年の旧J1で優勝し1993年のジュビロ磐田のJリーグ昇格などの実績を残して93年に退社しL・リーグの鈴与清水、JFLのホンダFC、ソニー仙台の監督を経て2001年秋から常葉橘の監督を務めております。

現役選手としては、佐野部長と同様さしたる実績は残せなかったものの高校選手の指導者として卓越した才能を備えている点でこのお二人には共通したものが有るように思われます。尚、長沢監督の娘さんで、「ドラマ、セーラー服と機関銃」に主演して今や売れっ子豊胸女優の長沢まさみさんが小学1、2年の頃、父親の長沢監督と親交のあった未婚時代のゴン中山に求婚プロポーズしていたことが週刊誌で話題になり、長沢まさみさんの父親との表現がマスコミに流れましたが、常葉橘の監督との表現にして欲しいものです。いずれにしても、故郷の静岡県でプロ経験を持つ異色の指導者が高校の野球、サッカーで全国区レベルの活躍をされていることは県外在住者にとって嬉しい限りです。

第79回選抜高校野球大会最終日は今日、3日、甲子園球場で常葉菊川(静岡)と大垣日大(岐阜)の間で決勝戦が行なわれ、大接戦の末、常葉菊川が6−5で逆転勝ちして2度目の出場で初優勝を飾りました。静岡県勢の選抜大会制覇は昭和53年の第50回大会の浜松商以来29年ぶり4度目でした。常葉菊川は、送りバントを殆んど使わない積極的な攻撃で帝京等の強豪を撃破して決勝進出し、この日も1点を追う8回に2点を奪って逆転し準々決勝から3試合連続の終盤逆転劇で紫紺の優勝旗を手にしまた。一方、希望枠で春夏通じて初出場の大垣日大は第76回大会の済美(愛媛)以来の初出場優勝はなりませんでした。


また、何故衣のことを思い煩うや、
野の百合はいかに育つか思え、
労せず紡がざるなり。
されど我なんじらに告ぐ、
栄華を極めたるソロモンだに
その装いこの花の一つにも及(し)かざりき。

一昨日の「マタイによる福音書6章28節〜30節」を上に再掲してみました。 この意味はおよそ次のようになるものと思います。

「何故、衣服のことで思い悩むのか 野の百合の花がどのようにして育っていくかを考えてみるがいい、この花は働いて糸を紡ぐことなどしていないのだ それなのに、あの栄華を極めたソロモン王が着飾っていた衣服でさえも、この野の百合の花一輪に及ばないことを あなたがたに言っておこう」

キリスト教徒の方々なら知っておられるはずのこの有名な言葉を、キリスト教徒でない私はつい最近まで知りませんでした。と、同時に 愛唱歌の「伊吹おろし」の「野の白百合に及かざるを・・・」の一節がこの福音書の一文に由来していることを知り、益々この歌が好きになりました。その後の「路傍の花にゆきくれて 果かなき夢の姿かな♪」を含めてこの一節を通してその意味を探ってみると「あのソロモンの栄耀もこの野に咲く花に及ばないことを思いつつ道端に咲く花に思いを寄せていたら日が暮れて辺りが果かい夢の世界のように見えてきた」となるのでしょうか。

この歌は、中山久さんが1016年(大正3年)に作詞されたのです。彼は昭和26年、東京国立博物館でのマチス展で受けた感銘が興味を現代の絵画に興味を持つようになり、近代美術からポップアート、ミニマルアート、コンセプチュアルアートと、新しい現代美術の道に進んだ先進的な芸術家として知られておりました。その歌詞は味わい深く、旧制高校寮歌の中では最も大正ロマンに満ちた歌詞と旋律は有名で、現在でも八高(現名大)関係者以外の方々の間でも親しまれております。当時の八高生たちはこの歌を歌う前に前口上を述べたと言われますが、この前口上が実に艶っぽいので次に書き込んでみました。文中には、現代流には不適切な語句が含まれておりますが、若き男児の女性へのひたすらな思いを汲み取って大目にみて頂きたく思います。

第八高等学校寮歌伊吹おろし(前口上)

富貴名門の子女に恋するを、純情の恋と誰が言う。
路頭にさまよえる女に恋するを、不浄の恋と誰が言う。
泣いて笑って月下の酒場にて媚を売る女の中にも、
睡蓮のごとき純情あり。
酒は飲むべし百薬の長、女は抱くべし陶酔の境。
女の膝枕にて快楽の一夜を過さば、
人生夢もありなばまた恋もありなむ。
風吹かば吹け、雨降らば降れ。
いざ行かんかな若き男の子よ。
暗鬼凄めく混乱の巷
いざ高らかに歌わんかな。
第8高等学校寮歌、伊吹おろし、1,2,3



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