−日記帳(N0.1936)2007年04月07日−
今日の戦艦大和出撃の日に思う
−日記帳(N0.1937)2007年04月08日−
名古屋の高級ホテルで同窓会


「男たちの大和」の撮影に使われた実物大のオープンセット

日本にも、米国の「アカデミー賞」のように、優秀な映画の各部門に賞を与える「日本アカデミー賞」が有ります。米国と違うのは最初に発表されるのが、米国の場合はノミネートされるだけで授賞するわけではないのに対して、日本の場合はレコード大賞のように最初5人が優秀賞に選ばれ、後日その5人の中から1人が最優秀賞に選ばれます。

昨年、日本で上映された映画を対象にした第30回日本アカデミー賞は、15部門にわたって優秀賞受賞者が昨年12月19日に発表され、今年の2月16日に最優秀賞受賞者が発表されて優秀賞とともに授与式が行なわれました。最優秀作品賞に『フラガール』、最優秀監督賞に『フラガール』の李相日、優秀主演男優賞に『明日の記憶』の渡辺謙、最優秀主演女優賞に『嫌われ松子の一生』の中谷美紀がそれぞれ受賞しております。この15部門の中に編集賞が有り、その最優秀賞にこそ選ばれなかったのですが東映の米田武朗氏が優秀賞に選ばれました。 対象になった映画は『男たちの大和』でした。

実は、62年前の1936年の今日4月7日の早朝、その戦艦大和が3,000余の将兵を乗せて、軽巡洋艦「矢矧」、駆逐艦8隻と艦隊を組んで徳山沖から、豊後水道を経由して沖縄に向けて出撃しました。昨年6月、その時の様子が米軍のB29偵察機が9,700mの上空から撮影していたことが判り、その写真が公表されました。米軍はこの偵察機からの航空写真や暗号電報の解読、高性能レーダーによる探索等の情報から戦艦大和の出撃を察知し、これを迎撃するために、ヨークタウン、エンタープライズ、ホーネットなど空母11隻、ミズーリ、ニュー・ジャーシー、インディアナなど戦艦6隻、マイアミ、グアム、パサデナなど巡洋艦10隻、マンスフィールド、アーベン、ルメイなど駆逐艦50隻の計87隻と言う史上稀に見る大機動艦隊を集結させていたのでした。

戦艦大和は悲運を背負って建造されました。日本が戦艦を使わずに空母からの艦載機による爆撃だけでハワイの真珠湾で米・太平洋艦隊に大打撃を与えるなど大戦果を収めたことにより、戦艦のような巨艦を主体として艦砲攻撃による戦略よりも、空母を主体として艦載機からの空爆による戦略の方が効果的であることが実証されたその8日後に戦艦大和が進水したからです。その時点で戦艦大和の役割は終わっており、当時、万里の長城、ピラミッドとともに世界の三大無用の長物として揶揄されておりました。一方、米国は真珠湾で主力の戦艦を5隻も失なったことから空母建造に注力し、その空母主体の機動艦隊でミッドウエー、レイテの海戦で日本の連合艦隊を壊滅状態に追いやったことは何とも皮肉なことでした。

この時点で敗戦を覚悟していた軍部は、敗戦後戦艦大和を米軍に引き渡すくらいなら自爆させることを考えていたと思われます。従ってどうせ自爆させるなら特攻艦隊として、既に制空、制海権を奪われて孤立状態にあった沖縄に出撃して一矢酬いようとしただけで、それが死出の航海を意味する海上特攻であることを出航後に告げられた将兵たちの思いは如何ばかりだったのでしょうか。こうして、大和艦隊はこの図のような経路を経て沖縄に向かったのですが、4月7日午後2時23分、鹿児島県坊ノ岬沖160kmの地点で2,498名の乗組員と共に430メートルの海底深く沈没していきました。

『男たちの大和』を作るに当たって、東映が困ったのは戦艦大和の艦内を撮影した写真が全く入手できないことでした。従って、何とか現存する資料を収集して復元する必要が有ったことからこの仕事が、元海軍の軍人の父を持ち戦艦大和に以前から興味を抱いていた東映の編集担当者の米田武朗氏に託されたのでした。戦艦大和に関する写真が殆んど残っていないのは終戦時に焼却処分されたことも有りますが元々、写真撮影が厳重に禁じられたいたからと思われます。戦艦大和の建造は当時、最高の国家機密として極秘裏に行われ、建造中の呉海軍工廠(現在の石川島播磨重工・呉造船所)が国鉄呉線の車窓から見られないように、呉海軍工廠が見える区間に列車が差し掛かると車窓のシャッターを全車両とも下ろしたと言われているほどです。この石川島播磨重工・呉造船所に出張した折にこの話をしたところ、当時戦艦大和の建造に携わった方がおられまして、列車の車窓が下ろされたことなど懐かしそうに語っておられましたので真実のようです。

そこで、米田武朗さんは防衛庁、NHK、新聞社、元海軍の軍人やそのご遺族の方々などから戦艦大和に関する情報を取材して、戦艦大和の原型図を完成し、これを基に広島県尾道市に甲板の原寸大セット、35分の1サイズの模型、CGと3種類の素材を用意し、これらが同じ大和として写るように異なるクオリティの画を編集時に高画質でチェックする必要が有ることからAvidを中心とした編集システムを採用し、こうした功績が認められて今回の日本アカデミー賞・編集賞受賞に至ったのでした。私も、「男たちの大和」を鑑賞しましたが、なかなかの出来栄えと思いました。


51階の宴会場から望む名古屋駅前の風景

毎年春先に教養部時代の大学同級会が開催されますが、ここ数年はその会場がJRセントラルタワーズ内の名古屋マリオットアソシアホテルの51階、「マーキュリーの間」でに定着してきました。JRセントラルタワーズは昨年、完成したミッドランドスクエアに高さで2m抜かれて名古屋では2番目、全国では5番目の高さになりましたが、今や名古屋を象徴する高層ビルとなり、その中にある高島屋、名古屋マリオットアソシアホテルも夫々、その豪華さで名古屋を代表するデパート、ホテルとなっております。この時期の土日に、このホテルの会食の予約を取るのは、相当難しいらしく、幹事の話では1年から予約を取っているとのことでした。豪華な磨き抜かれた大理石のフロア、金ぴかのエレベーターの内装、銀製の食器類等、如何にも名古屋市内で最高級のホテルらしい風情が有り、ここでの会食を楽しみにしていた同級生たち24名が東は東京、西は四国・九州からここに集ってきました。

料理は、回転テーブルの皿に中国料理が盛られて出されてくるのですが、嬉しいのは次から次へとせわしく出されるのではなく、食の進み具合を配慮しながら出されますので、談笑しながらゆっくり賞味する余裕を持てることです。更には取り出し専用のスプーンとフォークが揃っておりますので、取り出しやすくまた料理もテーブルの人数分を盛っておりますのでほぼ公平に行き渡るように配慮されております。そして、お皿にまだ料理が残っている場合、ウエーターがそれとなくそのテーブルの人に奨めてくれるのです。最後に残った料理を取るのに躊躇する日本人の性格を知った上での心憎い配慮だと思います。そしてほぼ食べ終えた時点を見計らって次の料理が出てきますので、ゆっくり賞味することが出来ます。このようなテーブルでの行き届いた気配りはこホテルならではのことで、それ故に遠いところからも参加されるものと思いました。

宴会は、12時に始まり15時にお開きになりました。このような時間帯で開かれるのは、遠方から参加される同級生たちの帰りの交通の便を配慮してのことでした。そこで、名古屋市近辺から参加した同級生たちのことも配慮して、特別に2次会の会場を幹事さんたちが設定してくれました。この日は日曜日で、行きつけのスナックは休みですので幹事の1人が知っているあるスナックのママさんに電話して特別に店を開けてもらって借り切らせて頂くことになり8名がタクシー2台に分乗して栄3丁目にあるこの店に駆けつけました。ここで、改めて乾杯をし直して夜7時までカラオケ、歓談して時を過ごしました。そして、私はまだ時間が有りましたので、:更に1人で3次会に出かけ、結局、帰宅したのは12時過ぎになってしまいました。たまには、こんなことも有っていいのではとと思っております。


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