−日記帳(N0.1944)2007年04月15日−
震度3の地震にビックリ
−日記帳(N0.1945)2007年04月16日−
温家宝首相訪日非礼との意見に


三重県中部地震で崩壊した亀山城の石垣

NHKの「のど自慢」を観ていた時のことでした。グラグラッと大きな横揺れが有り、咄嗟に身を構えました。このところ、当地方は大きな地震に見舞われておりませんでしたので、相当大きな地震に感じられたからです。揺れは5秒ぐらいで止まりました。震度が気になりましたのでテレビ画面を見つめていたところ、震源地は三重県中部で震源の深さは約16キロ、地震の規模を示すマグニチュードはM5.4で、最大震度5強(亀山市)、津市などで震度5弱、当地方での震度は3と判りました。

3週間前の先月25日に発生した能登半島地震は、マグニチュードM6.9、最大震度は6強(能登)、当地方での震度は2でした。従って、能登半島地震よりは地震の規模がやや小さかったこともありますが、鈴鹿市で1人重傷、亀山市などで11人軽傷しただけで死者は無く、建築物の損傷も壁の落下やガラスの破損程度で済んでいるのは、三重県中部地方は能登半島地方のように地盤が弱くなかったことによるものと思われます。

ここで、興味有る事実が判りました。今回の地震で亀山城跡(三重県亀山市)の石垣の一部が幅約2m、高さ約6mにわたって崩壊したのですが、崩れたのは35年前の台風被害の際に補修して新たに積んだ部分(上の画像参照)だけで、江戸時代初期に築かれた古い部分には一切被害が無かったことです。約400年前の石積み技術の優秀さが、皮肉にも今回の地震で立証されたことになります。

この石垣は、かつて近江近郊の穴太(あのう)に住んだ石工集団の穴太衆によって確立された石積み技術によって築かれており、その特徴は、野面(のづら)積みと言われ、切断、研磨等の加工を一切行なわないで、自然石を大小うまく組みあわせ、しかも奥行深く積むことにあります。穴太衆の「穴」は「阿那(阿羅)」と同義語で阿羅と言う古代朝鮮王国の国名に由来していることから連想されるように、6世紀中期から7世紀初頭の飛鳥時代に朝鮮から来日してこの地方に定着したものと思われます。

この野面積みは、一見荒っぽくて直ぐにでも崩れ落ちそうに見えますが、その堅牢さは比類ないものと言われており、それが故に今回の地震でもビクともしませんでした。その秘密は積み石の重みのかけ方にあり、表面から1/3ぐらい奥のところに重力がかかるように組まれ、更に土の水ぶくれによる崩壊を防ぐため、石垣の奥に栗石層、その奥に小石をつめていくなどして排水をよくする工夫が施されております。このように目に見えない部分に秘伝の技が潜んでおり、それが数百年の風雪に堪え得る堅牢さを生み出しているものと考えられます。

かって、この石垣の内側には天守閣が建っていたのですが、1632年に幕命によって取壊され代わりに上の画像の左上に見える三階櫓(多聞櫓とも言われる)が建てられ、以後四百余年の風雪に耐え、三重県唯一の現存城郭建造物として県史跡に指定されています。しかし、その幕命による取り壊しの対象は丹波亀山城(京都府亀岡市)だったのに、堀尾忠晴がこの伊勢亀山城と取り違えてしまったとの説が有りますが信じられない話ではあります。当時、地方の大名が堅固な城郭を建築・維持することをこころよく思っていなかった幕府の思惑が有ったようにも思われます。

この多聞櫓は、東西14.4m、南北10.8mの白壁塗籠で明治30年に改修され外壁下見板と鯱瓦がつけられ、廃藩後は失業士族授産場として使用されたため解体を免れその後も校舎や会議室として使用され、2001年4月内装修復工事が完了し現在に至っておりますが、現在、どのように使われているのか、また見学者が中に入ることが出来るのかどうかは判りません。どなたか、お判りの方が居られましたらご教示下されば幸いです。


両国首相同士のツーショット

4月11日〜13日にかけて、中国の温家宝首相(正式には中華人民共和国国務院総理)が、「融氷之旅(氷を融かす旅)」と位置付けて2泊3日の日程で訪日し、首脳会談、署名式、総理主催晩餐会(以上東京にて11日)、両院議長との会談、国会演説、経済団体共催歓迎昼食会、天皇陛下御引見、日中ハイレベル経済対話、各政党幹部との懇談、歓迎レセプション(国交正常化35周年、日中文化・スポーツ交流年)、中国側開幕式典「文芸の夕べ」(以上東京にて12日) 京都府等歓迎会、嵐山周恩来詩碑参観、農家視察、立命館大学との交流(以上京都にて13日)、華人等との交流、関西地区政財界代表による歓迎レセプション(以上大阪にて13日)等数多くの行事を精力的にこなして13日夕刻、帰国しました。

お互いに対等の国交関係を持つ国同士での首脳外交では、当然のことながら対等の首脳同士の訪問が原則となります。日米関係では、ブッシュ大統領が訪日すれば安倍首相が訪米、日ソ関係ではプーチン大統領が訪日すれば安倍首相が訪ソということになります。従って、安倍首相が昨秋、訪中したのですから中国側はナンバーワンの胡錦濤国家主席が訪日するのが国際儀礼です。従って、中国ナンバスリーの温家宝首相の訪日は無礼との意見も出て当然です。しかし、日本のメディアにはそのような意見は殆んど見かけられませんでした。ところが、そのような意見が自民党の中川幹事長から出されました。

中川幹事長は、中国は共産党一党支配の国であるから国家の最高権力者はその共産党のトップである胡錦濤国家主席、ナンバーツーはその共産党のトップを決める全人代の委員長で立法の長である呉邦国、ナンバスリーが国家主席から指名される国務院総理(首相)で行政の長の温家宝であるのに対して、日本のナンバーワンは国の最高権力者の総理大臣の安倍首相であるから、中国はこれに見合うナンバーワンの胡錦濤国家主席が訪日するのが至当であって温家宝首相ではバランスがとれずに日本国に対して無礼であるとして中国を非難しております。

私は、中川幹事長の主張そのものは間違っていないと思います。ただ、中川幹事長は総理主催晩餐会等で温家宝首相と会談しておりますので、温家宝首相の訪日を認めた形になっている上、非難したのが反中国的色彩の濃い在日台湾人団体が主催した講演会での席上であり、温家宝首相の離日から2日経過してからであることを考慮すると、そのタイミングが悪い上、温家宝首相の国会での演説終了後の扇参議院議長の異例の謝辞と議員たちの万雷の拍手に代表されるように、日本としてはこれを歓迎し、一定の成果を得た温家宝首相訪日に与党の幹事長という要職の立場でケチをつけることは国益に沿うとは到底考えられません。

しかし、日本が無条件に温家宝首相訪日に賛同しているわけではないことを、何らかの形で表明しておく必要が有ります。政府や与党の立場では表明するのは筋違いになりますから、野党やメディアが温家宝首相訪日に異論を挟むのが筋だと思いますが、野党やメディアにそのような対応は全く認められませんでした。靖国・教科書・慰安婦問題等で反政府的立場をとることが多い野党やメディアとしては、当然の成り行きかもしれませんが、私としては毎度のことながら残念に思えてなりません。

逆に、日本のナンバーワンは国家元首たる天皇であり、これを無視して安倍首相をナンバーワンと位置づけるのは非礼であるとの意見も一部のメディア筋から出る始末です。確かに、天皇が内閣を承認したり国会を召集したりしますので、形式的にはナンバーワンですが、同じ国家元首の胡錦濤国家主席に軍と政府の統率権が有るのに対して天皇には有りません。しの立場は象徴であり統率権は形式でしかありません。中国側は、このような日本の一部の考え方を見越して天皇が北京五輪開会式参列にすべく訪中すれば胡錦濤国家主席の訪日も有り得るようなことを匂わせているように私には思えてなりません。

温家宝首相の「戦後60年に当たっての天皇の誕生日会見でのお言葉を評価する」に代表される「日本の謝罪を評価する」と言った物言いや、天皇の北京五輪開会式参列を要請するなどの中国側の対応は、かっての宗主国が属国に対する表現に近く、私にはは不愉快に思えてなりません。しかし、何はともあれ、温家宝首相の「融氷之旅」の訪日で、まさに融氷、つまり雪解けムードが出てきたことは間違いないことであり、評価されるべきことと思います。


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