−日記帳(N0.1948)2007年04月19日−
ACLに思うこと(1)
−日記帳(N0.1949)2007年04月20日−
ACLに思うこと(2)



ここ2年間、日本のサッカーファンは、年末に行なわれるトヨタカップが近づくとわくわくしながらも寂しい思いをしておりました。 実は、欧州王者と南米王者の間で争われていたトヨタカップ(サッカー世界クラブ選手権大会)が、一昨年から、6大陸王者による、名実共にクラブ別の世界王者を決める世界クラブ選手権大会(CWC=FIFA Club World Cup Japan2007 presented by Toyota)になって、引き続いて日本でトヨタカップとして開催されることになったのですが、昨年、一昨年ともに日本のクラブチームはアジア王者としてこのトヨタカップに出場できなかったのが寂しい思いの理由です。

このトヨタカップに出場するにはアジア大陸代表にならなければなりません。そして、そのアジア大陸代表になるためには、ACL(Asia Champions League)で優勝してアジア王者にならなければなりません。 元々、アジア王者を決める大会は、AFC(Asia Football Confideration)の主催で行なわれ、第1〜4回大会(1967年から1971年) は「アジアクラブ選手権」と命名されて実施されました。しかし、広大なアジア大陸での移動に負担がかかり過ぎるのとアラブ諸国が、圧倒的な強さを発揮する宿敵イスラエルのチームとの対戦を拒否したことから1972年以降は中断されてしまいました。

しかし1985年に、アジアの経済発展により参加チーム多くなったことに加え、イスラエルがAFCから除名されて最大の懸案事項が解決したことからこの大会が復活しました。そして、この大会が発展的解消して、現在のACLになりました。そのACLに今年は、日本から浦和レッズと川崎フロンターレが参加して、現在グループリーグで戦っておりますので、このACLに思うことを今日、明日にかけて述べてみたいと思います
(明日に続く)



昨日、述べましたように、ACLの前身のアジアクラブ選手権が14年間の中断期間を経て1985年に復活し、その年に韓国の大宇ロイヤルズが優勝し、翌年の1986年大会には、日本リーグ王者の古河電工(ジェフ千葉の前身)が参加したものの、サウジアラビアでの決勝大会が12月の天皇杯開催時期と重なったため参加が危ぶまれたが、日本サッカー協会が天皇杯の日程を変更したことで参加が可能となり、古河は開幕戦で地元のアル・ヒラルを破り、勢いに乗って奥寺康彦の活躍などで3戦全勝で優勝を果しました。

翌1987年大会では、読売クラブ(東京Vの前身)が決勝に進出したものの相手のアルヒラルがサウジアラビアの大学の試験と日程が重なるとの理由で棄権したため読売の優勝が決まり、更に1989年には日産自動車(横浜F・マリノスの前身)が決勝に進んだものの中国の遼寧省に敗れて、準優勝に終わっております。この時期、読売や日産等は事実上プロチームだったのに対して、中東のクラブチームはまだプロ化していなかったため日本はクラブレベルでアジアの頂点に到達したのでした。

ところが、1990年代に入ってJリーグが発足し、日本のクラブの実力は上がったにも関わらず、その後今日に至るまで日本のクラブの優勝は無くなってしまいました。1998-99年大会では、ジュビロ磐田がイランのエステグラルを破って久々に日本勢として優勝し、FIFA主催の第2回クラブ世界選手権出場権を獲得してスペインで開かれる大会で、レアル・マドリードとの対戦も決まっていたのに財政問題から中止となり、磐田は1999-2000年と2000-01年にも決勝に進出したもののアル・ヒラル(サウジアラビア)と水原ブルーウィンズ(韓国)にそれぞれ敗れて、ともに準優勝に終わるという不運が続きました。



一方、1990年から各国のカップ戦優勝チームを集めたカップウィナーズ選手権が、アジアクラブ選手権と並行して行なわれ、第1回大会でイランのピルージが優勝、第2回大会で日産自動車、第3回で横浜マリノス、第5回大会でベルマーレ平塚(現湘南ベルマーレ)、第6回大会で横浜フリューゲルスと日本勢(=神奈川県勢)がタイトルを独占。第10回大会でもでも清水エスパルスが優勝するなど、この大会では日本勢が圧倒的な力を見せておりました。

しかし、このようにアジア王者を決める大会が重複して開催されると不都合なことが有る上、盛り上がりに欠けることから、AFCは、アジアクラブ選手権とカップウィナーズ選手権を統合して、欧州のチャンピオンズリーグに見合う、アジアチャンピオンズリーグ(ACL)を発足させ、第1回大会(2003年)は、アルアイン(UAE)が優勝、 その後、2004年、2005年とサウジアラビアのアル・イティハドが2連覇しました。アジアクラブ選手権時代とは違って、国内リーグの日程をこの大会に合わせるなど、 ACLに力を入れる中東勢が優位に立ちました。しかし、2006年には韓国の全北現代モータースが、最後は国内リーグを捨てて優勝し、東アジア勢が一矢を報いたのでした。

カップウィナーズ選手権、クラブ選手権の時代、常に好成績を残していた日本のクラブの実力は、Jリーグの成功で向上したのに、ACL発足後はグループリーグすら突破できない状態にあります。その理由は、ACLとJリーグが日程で重なり、特にアウエーで中東等の西アジア地域までの移動を含めて選手の負担が大きい上、ACLの試合は大きな関心を呼ばず観客動員に繋がらないことから試合をすればするほど赤字になることにありました。

しかし、2005年からACL優勝チームにアジア大陸の代表として、トヨタカップとして日本で開催されてきた、FIFAクラブワールドカップへの出場権が与えられることになってから、日本でも関心が高まりつつあり、更には2007年にはJリーグでダントツの観客動員を誇る浦和レッズが出場権を得たこと、更には浦和レッズとともに出場権を得た川崎フロンターレに財政援助し、また出場2チームの負担を軽減するためにACLの日程に合わせてJリーグの日程を調整するなど、日本サッカー協会(JFA)も支援を強化しつつあることは大変、喜ばしいことと思います。




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