−日記帳(N0.1960)2007年05月01日−
名古屋のタクシー禁煙に思う
−日記帳(N0.1961)2007年05月02日−
高校球児の特待制度が問題に



ある寒い冬の朝、名古屋市内の名鉄の駅からタクシーに乗車したことが有りました。すると、煙草の排煙と思われる悪臭が車内に立ちこめておりましたので、窓を開けて空気を入れ替えるよう運転手さんにお願いして、悪臭の原因を訊ねてみました。運転手さんによると、その駅の近くの男子高校生5人が遅刻を免れるためにタクシーに乗り込んできて、全員が煙草を吸ったとのことでした。

その高校まではものの5分ぐらいで行くことを知っていた運転手さんは敢えて咎めることなくそのまま高校まで送り届けたとのことでした。その運転手さんによれば、タクシーの中なら運転手さん以外人目に触れないので、高校生たちがタクシーの中で喫煙するのはよくあることと運転手さんは付け加えました。

もし、その運転手さんが喫煙しない方だったら、高校生たちを下ろしてから窓を開けて車内の空気を入れ替えたと思うのです。私は禁煙して以来、煙草の臭いが嫌いになり、煙草の排煙には敏感になっておりましたので、そのまま乗車し続けるのに抵抗を感じておりましたので、この些細な出来事をよく覚えております。

そんなことを思いながら、名古屋市とその周辺19の市町村で、今日から法人・個人のタクシー全約8,000台が全面禁煙になるとのニュースをテレビで観ておりました。私の知る限り、航空機、バスは全面的に禁煙、列車も分煙が徹底されているのに、同じ乗り物でタクシーがまだ禁煙になっていなかったことに今更ながら驚きました。また、政令指定都市では今回の名古屋の禁煙がはじめてとのことにも驚きました。

タクシーの車内は狭い密室ですから、この中で喫煙すれば運転手を含め他の乗客に受動吸煙を強い、更にはその後で乗車するお客にも少なからずその影響を及ぼすことになります。従って、バス等の大型車を禁煙にするなら、タクシーのような小型車は当然禁煙にすべきと思われます。東京の場合、東京乗用旅客自動車協会(約34,000台)は、客の喫煙要望が強いなど「懸案材料が多い」として今後とも禁煙する予定は無いとのことです。

タクシー乗車時間は10分足らずの場合が多いと思われますが、そんな短い時間でも喫煙せずには居られないのでしょうか。また禁煙にする、名古屋でも乗客から喫煙希望が有った場合は車を停めて車外で喫煙してもらうとのことですがそうまでもする必要が有るのでしょうか。第一、停車している間にも料金メーターは回っていきますがそれはどちらの負担になるのでしょうか。往来の激しい道路でむやみに路上駐車するのは危険であり、傍迷惑な行為でもあります。

タクシーには、お年寄りの方、身体の不自由な方、体調の思わしくない方、幼児や子どもさんのような社会的弱者も乗車します。受動吸煙の被害の確率は健常者や大人より高いと思われますので、このことも考慮してやはり、今回の名古屋に倣ってタクシー禁煙を全国に展開していくべきと私は思います。


われらの野球は日本の学生野球として学生たることの自覚を基礎とし、学生たることを忘れてはわれらの野球は成り立ち得ない。勤勉と規律とはつねにわれらと共にあり、怠惰と放縦とに対しては不断に警戒されなければならない。元来野球はスポーツとしてそれ自身意昧と価値とを持つであろう。しかし学生野球としてはそれに止まらず試合を通じてフェアの精神を体得する事、幸運にも驕らず非運にも屈せぬ明朗強靭な情意を涵養する事、いかなる艱難をも凌ぎうる強健な身体を鍛練する事、これこそ実にわれらの野球を導く理念でなければならない。この理念を想望してわれらここに憲章を定める。

上文は日本学生野球憲章の冒頭の序文です。私はこの中のアンダーラインの部分が学生のアマチュアスポーツのあるべき姿を見事に表現している格調高い名文だと思います。西武の裏金問題にこの憲章を照らしてみると、関係者が如何この憲章を踏みにじっているかをよく理解できると思います。

私は高校の特待制度の主旨が、スポーツを志す中学生が練習に時間を取られて受験勉強を充分出来ないことから一定の条件を付けて入学試験を免除することにあると思っておりました。しかし、今回問題になったのは、入学後の授業料等の費用を免除することにあることを知り意外に思いました。

間違っているかも知れませんが、現在の社会情勢下では余程の社会的弱者でない限り、高校に進学するだけの経済的余裕は有るように私には思えます。高野連(日本高校野球連盟)によるスポーツ特待制度に関する実態調査の最終結果によれば、日本学生野球憲章の違反申告をした学校は376校(公立は福岡市立福翔高のみ)で、適用部員は7,971人とのことですが、この中には親元を離れて寄留している生徒も数多く居ります。

従って、高校側が経済的な理由で特待したり、保護者側が経済的理由で特待を受けるような事情は稀有なケースと思われます。表現が悪くて恐縮ですが、高校側が授業料等の費用を免除するという「撒き餌」を撒いて釣り上げたとしか思われません。しかも高校側は、このようなことが日本学生野球憲章に抵触することが判っていながら、「赤信号、みんなで渡れば恐くない」を地で行くように長年に渡って堂々と行なってきたのですからその責任は免れません。また、高野連もその事実を知りながら、知らぬ振りをしてきたのですからその責任は免れません。

ところで、野球を除く他のスポーツ競技では特待制度が許されているのに野球だけ許されないのは不公平との意見が、特待生やその家族、高校そして一部のマスコミから出されておりますが、高野連は今後とも特待制度は容認しないとの態度を表明しております。私は、この高野連の態度は日本学生野球憲章を遵守する立場と、日本の片寄ったスポーツに対する趣向是正の意味からも正しいものと考えております。

日本では、子どもたちのスポーツ競技が野球に偏り過ぎております。人口の割りには五輪でのメダル獲得数が少ないのもこの偏向による影響が大きいと思います。野球以外のサッカー、ラグビー、バレー、バスケット、ハンドボール、卓球、マラソン等の各種陸上競技等に万遍無く子どもたちが興味を持つように特待制度を利用することは、このような偏りを解消するのに役立つと思います。

また、野球にはプロへの道が大きく開かれており、日本でも一流選手になれば億円単位の収入が得られるし米国に行けば数十億単位の収入が得られますから、言わば高校での野球はプロの道に進む生徒にとっては投資のようなものですから、こうした生徒たちの投資に特待制度で経済的に支援する必要が有るのでしょうか。勿論、プロには目もくれずに野球と言うスポーツを通して高校生活を謳歌しようとする生徒もいるでしょう。彼らは、憲章の精神に従って試合を通じてフェアの精神を体得し幸運にも驕らず非運にも屈せぬ明朗強靭な情意を涵養することに意義を見出すはずで、それには特待制度は不要です。




前 頁 へ 目 次 へ 次 頁 へ
inserted by FC2 system