−日記帳(N0.1966)2007年05月07日−
井上靖の100周年に因んで
−日記帳(N0.1967)2007年05月08日−
釣り友の命日に因んで


湯ヶ島小学校内にある白ばんばの記念碑

昨日、5月6日は井上靖の生誕百周年の日でした。
彼は、明治40(1907)年5月6日、軍医だった父、隼雄(現:伊豆市門野原出身)の赴任先、北海道旭川で生まれましたが、父の大陸派遣を契機に翌年、母、八重(現:伊豆市湯ヶ島出身)の故郷の静岡県の天城湯ヶ島町(2004年4月1日に中伊豆町、修善寺町、天城湯ヶ島町、土肥町の4つ町が合併して伊豆市となりましたので、現在は伊豆市湯ヶ島町)に移り住んでおります。しばらくしてから、母は転勤の多い父に随伴することになったことから、祖母に預けられこの地で3歳から13歳まで過ごしております。

私も、この静岡県で生まれ、父の故郷がこの地に近い伊豆・下田だったことからこの辺りが三方を天城連山にとり囲まれ、天城山系に源を発する狩野川が流れている豊かな自然に恵まれたところであることはよく承知しております。井上靖も、この地をこよなく愛し、自伝小説3部作のひとつ「白ばんば」はこの地を題材にして書かれております。彼は、代表作「天平の甍」「敦煌」「氷壁」「猟銃」「風林火山」等、2,000に及ぶ文芸作品を発表しておりますが、後にこの「白ばんば」を最も印象深い作品と語っております。

彼は、小説家として世に知られるようになってからも、この地を何回も訪れ、出身校の湯ヶ島小学校に自作の詩を贈っております。この詩は、湯ヶ島小学校のPTAが学区内の人々の協力を得て小学校北側正門に建立された詩碑に次のように刻まれております。

地球の上で一番清らかな広場。
北に向かって整列すると、遠くに富士が見える。
廻れ右すると天城が見える。
富士は父、天城は母。父と母が見ている校庭でボールを投げる。
誰よりも高く、美しく、真直ぐに、天まで届けとボールを投げる。

                       井上 靖


彼が、このようにこの地を愛したのは、その自然の美しさも有りますが、この地で祖母のおぬいばあさんと狭い土蔵の中で過ごした小学校時代の思い出が鮮烈に残っていたからではないかと思います。自伝小説「白ばんば」で彼はこの思い出を、洪作少年に託して三人称で語っております。また、この祖母が曾祖父の妾だったことから本家筋から敵対視されていたことを子ども心に感じ取り、祖母の側に立って本家への反抗心を燃やしていた心情がこの小説から窺われます。

この小説の素晴らしさは、その文章から狭い土蔵の中での、おぬいばあさんとの一挙手一動が手に取るように思い浮かんでくることです。
そのような文章描写の中で私にとって印象の残る一文が有ります。それは、彼が仄かに憧れに似た恋心を抱いていた次の叔母への思いを現わす文章でした。

土蔵の隣には、上の家がありました。
上の家は少年の母親の生家でした。
上の家には、さき子という女学生くらいの歳の娘がいました。
少年は、よく、さき子に共同浴場で体を洗ってもらっていました。
さき子が、二階の一室にこもりっきりになります。
少年が二階に上がろうとすると、
上の家の祖母から固く止められます。
さき子は、肺病でした。
少年は家の人の目を盗んで、二階に上がりました。
さき子ねえちゃんを一目見ようとします。
部屋の内側からは、来ちゃダメというさき子の声が聞こえます。
少年が、我慢しきれなくなり、障子を開けようとします。
四つある障子をどのようにして内側から押さえているのか、
少年があちこちを開けようとしてもどこも開きません。
さき子は、村を離れました。転地先で死んでしまいました。




怨みは深し武豊港東堤(Wさん遭難の海域(矢印))

今日は、私の釣り仲間だったWさんの命日です。昨年の今日、5月8日、隣町の武豊港内でボートで夜釣りしてWさんは、天候の急変に伴う高波でボートが転覆して海中に投げ出され、その時のショックで心臓麻痺を起し帰らぬ人となりました。私より10歳も年上で、釣り仲間の中では一番、釣りでご一緒させて頂くことが多かっただけに思い出も多く、まだ思い出す度に懐かしさよりも悲しみが募ります。Wさんとご一緒させて頂いた数々の思い出は次のように日記に綴られております。

2001年11月08日 Wさんと初めてのマダカ釣り
2001年12月02日 Wさんのアドバイスでマダカ大釣り
2002年04月08日 Wさんと三河湾の無人島でメバル釣り
2002年07月23日 Wさんと三河湾の無人島でカサゴ大釣り
2002年12月17日 Wさんのアレンジで三河温泉で忘年会
2003年01月17日 Wさんが前立腺癌の手術で入院
2003年04月01日 Wさんとこの年の初釣りを三河湾の無人島で
2003年11月14日 Wさんと大井沖でこの年最初のマダカ大釣り
2003年04月01日 Wさんと大井沖で2回目のマダカ釣り
2003年11月14日 Wさんと大井沖で3回目のマダカ釣りはボーズ
2004年04月01日 Wさんのアレンジで三河温泉で2回目の忘年会
2004年10月29日 Wさんに大井沖で牽引して頂いた
2004年11月05日 Wさんと大井沖でマダカ釣りするも私1枚のみ
2005年11月21日 Wさんとこの年最初ののマダカ釣りは大釣りに
2005年11月25日 Wさんとこの年2回目のマダカ釣りはボーズに
2006年05月09日 Wさんの訃報に接して絶句、ご冥福を祈ります



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