−日記帳(N0.1972)2007年05月13日−
母の日に寄せて
−日記帳(N0.1973)2007年05月14日−
10回目の釣も不調


今日は、5月の第二日曜日で「母の日」です。ウィキペディア等の記事を参照させて頂きながら、この日のことを探ってみたいと思います。日本では、1915年(大正4年)、当時青山学院の教授だったアレクサンダー女史により「母の日」が紹介され、婦人矯風会などキリスト教関係の団体が中心になってこれを広めていきました。また、一般に広く知れ渡ったのは1937年(昭和12年)の森永製菓の提唱によるものと言われております。

特に盛んになったのは戦後で、全国未亡人団体協議会が未亡人会や母子寮の授産所で作った赤、白のカーネーションを全国に売りさばいて資金を作り、全国的に行事を行うようになってからです。しかし母のある子は赤、ない子は白、とカーネーションに区別を付けることは「童心を傷つける」という声も多く、特に義母に育てられた子は「どちらをつけたらよいか迷う」場合もあり、全未協ではその後赤一色に統一しております。 それまでは、皇后(香淳皇后)の誕生日である3月6日(地久節)に行われておりましたが、949年ごろからアメリカの例に倣って5月の第2日曜日に行われるようになり、現在に至っております。

世界的に見た場合、「母の日」は古代ギリシア時代 の神々の母リーアに感謝するための春祭りにその発祥が認められるとされております。17世紀になって、英国で復活祭(イースター)の40日前の日曜日を「Mothering Sunday」と決め、家から離れて仕事をしている人が家に帰って母親と過ごすことが許されていました。

世界的に、盛んになったのは米国で、1905年5月9日、アンナ・ジャービスという人の母親が亡くなった時、「亡き母を追悼したい」との想いから彼女が1908年5月10日、フィラデルフィアの教会で白いカーネーションを配ったことが米国で初めて行われた母の日と言われております。この風習が米国のほとんどの州に広まったことから1914年、ウィルソン大統領が5月の第二日曜日を母の日と制定し、日本などもこれに倣うようになりました。

今日は、母の日のプレゼントを持参して娘と孫娘とワンチャンが来宅しました。プレゼントはカーネーションの造花と夕食の食材でした。結局、妻はその食材を使って夕食を準備することになり、しかも、その食材たるや私の酒の肴のようなものばかりでしたから、母の日の主旨に反すると言って妻はむくれておりました。それでも、普段は口に入らない高級食材に舌つづみを打ちながら楽しく食卓を囲みました。


例によって、釣日和になりましたので、今年10回目の釣りに何時もの場所に出かけました。先回、釣れなかったポイントを避けて、今年はじめてのポイントにボートを着けると、既に顔なじみの先客が竿を垂れておりました。挨拶を交わして仲良くここでメバル釣りをすることにしました。明るいうちは当たりも出ませんでしたが、午後7時を過ぎて竿先のケミホタルの明かりがくっきりと見えるようになってポツポツと当たりが出るようになりました。

魚探から魚群の存在を知らせる電子音が、ピッピッと鳴り出しましたので、画像から魚群の位置をチェックすると、ほぼ万遍なく魚群の位置を示す黒点が流れておりましたが、特に海面から2、3メートル付近の魚影が濃かったので、この付近に仕掛けを落とし込むと直ぐに当たりが有りました。通常、浅いところでは型が小さい場合が多いのですが、上がってきたのは何と20センチオーバーの大物でした。

期待に胸膨らませて、次の当たりを待ちました。直ぐに当たりが出たのですが、リリースサイズの小物で、その次も、その次も小物で、最初上がったような大物はその後は全く姿を見せてくれませんでした。やがて、潮止まりの頃合になるとパタリと当たりが止まってしまいました。魚探からの電子音も止み、画面は真っ白で魚影が全く見られないようになりました。先客の方と次のような会話が交わされました。

先客: 釣れませんねー。
私 : 釣れても小物ばかりですね。何故なんでしょう。
先客: 漁師がこのまわりにべったりと刺し網を入れているからでは。
私 : やはり、そうなんですか。
先客: 漁船が夫婦連れで網下ろしをして行ったばかりだよ。
私 : それで、沖に投げると仕掛けが何かに引っ掛かるのですね。
先客: 沖に点々と浮かんでるペットボトルの下に網が敷かれてるよ。
私 : この海域は漁業補償を受けているはずなのにね。
先客: 違法ではないかも知れませんが非常識な漁師だよね。

こうして、釣れないことを漁師のせいにしてボヤキながら二人とも、他の場所に移動していきました。 ところが、沖に下ろしておいたアンカーを上げようとしたところ、その漁師が仕掛けた網に引っ掛かって上がってきません。止む無くナイフでロープを切ってその場所から離れていきました。しかし、この日はどこの行っても釣れませんでした。おれに、先日のように野球も有りませんでしたので早々に納竿すて帰宅しました。


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