−日記帳(N0.1992)2007年06月04日−
日本海を渡ってきた脱北者(3)
−日記帳(N0.1993)2007年06月05日−
オシムジャパン、キリン杯獲得


脱北者4人を乗せた小船の日本海横断航跡

脱北者は、50代後半の元漁師の男性と60代前半の女性の夫婦、20代後半の漁師の次男、30代の専門学校生の長男の4人家族で、一家の生計は苦労して購入した木造船で次男がタコ漁をして支えていたとのことです。それでも、生活は苦しくて1日おきにパンを食べるのが精一杯で将来に不安を覚えていたことから意を決して韓国に脱北を考えましたが韓国側のガードが固いため断念し、この木造船に乗って日本海を横断して新潟に行き、後に韓国行きを日本政府に申請する計画を立てました。

その決行には、1年中で最も海が穏やかな5、6月で人目に触れないように霧の濃い日が最適と判断し、5月27日を選び、彼等が住んでいた清津の近くにある港から日本海に向けて出航しました。最初の4日間は悪天候で海上で船にしがみついているだけでだったとのことですから恐らくエンジン走行はできず、潮流、風、波にまかせるままの漂流に近い状態にあったものと思われます。それでもコンパスを使って新潟方面の東に進路をとったのでしょうが、海図とGPSを持っていなかったため自分の位置を把握できないまま青森県沿岸に着いたものと思われます。

このボートには、エンジンが予備機を入れて2台積み込まれておりましたが、日本でも以前、農業用に使われていたことはありますが、現在は博物館でしか見られないような代物です。この船にはエンジンルームは無く、エンジンも船外機仕様ではないため、船内に置かれたエンジンのシャフトの先端に直径10センチ程度のスクリューを取り付け、船尾壁に孔を開けて海中に突き出して走行させていたものと推測されます。目撃者によれば、その孔から海水が船内に入り込まないように軍手が挟み込まれていたとのことでした。

荒海の日本海を横断するには、この船の場合、最低10馬力は必要と思われますが、この船のエンジンは3馬力程度でしかなく(因みに私のボートの船外機は3.5馬力)、例え波静かでも風や潮流の影響を受けて予定のコースで新潟に行くことは至難と思われます。にもかかわらず、新潟より約300km東側の青森県の深浦の無事に着いたのは天候に恵まれことと対馬海流に乗ったことだと思われます。



対馬海流は上図のように、朝鮮半島の東側から日本に向かって流れておりますので、これに乗り切ってしまえば時間はかかりますが、能登半島以東の日本海沿岸に辿り着く確率は相当高いものと思われます。最悪のケースは本州をかすめて北海道西岸に沿ってオホーツク海に抜けてしまうことですが、この時期は南風はそれほど吹きませんのでその確率は低いものと思われます。

潮流の平均流速は3ノット(約5km/h)と考えられますので、エンジン無しでも1日に100km(5日間で500km)進むことができます。最初の4日間は霧と悪天候で船にしがみついていたとのことですからエンジンは動かしていなかったと思われますが、燃料の軽油が出発時の200リットルから90リットルに減り、110リットル消費していたことからそれ以降は約20時間ほどエンジンを動かしていたものと推測されます。(エンジン出力が3馬力程度、最大出力で軽油消費量が約6リットル/時と想定されることから110/6=20(時間)) このエンジンで5ノット強(10km/時)の速度が得られるとすれば、20時間で200kmが潮流による500kmに加算されますので、今回のように丸5日で850kmを走破することは計算の上では充分可能と考えられます。

当初、私は彼ら4人が偽装脱北者ではないかと疑っていました。日本側官憲もやはりそのように疑っていたようでした。その後の取調べでその疑いは晴れて希望にそって韓国側に引き渡す方向で話し合いが進められているようです。私の疑いも一応解けましたが、どうしても疑問として残ることがいくつか有りますので、次回はこの点に触れてみたいと思います。


後半43分、交代する中村(俊)を握手で迎えるオシム監督

オシム監督が日本の代表監督になってからの試合終了後のインタビューは、例え勝利した場合でも辛口でしたが、今夜行なわれたキリンカップ最終戦のコロンビア戦では引分けに終わったのに、次のコメントのように監督就任以来初めて満足気な態度を示しました。

「点が入らなかったが、サッカーが素晴しいゲームという宣伝材料になるようなゲームだった。前半はコロンビアがゲームを支配していた。それはわれわれのミスが原因で、ピンチがいくつかあった。後半の最後の方は非常にいいゲームができた。もう少しチャンスをしっかりモノにしていたら勝つことができたと思う。コロンビアという非常に強いチームと引き分けたことについては、選手たちに「よくやった」と言いたい。非常にいいゲームだった。

キリンカップ最終戦が今夜、埼玉スタジアムで行われ、日本代表は格上の南米の強豪コロンビアと対戦し、0―0で引き分けた結果、勝点4でコロンビアと並んだものの得失点差で1上まわってキリンカップを3大会ぶりに8度目の優勝を果しました。この試合、引分けでも優勝とあって、日本は前半から守り中心の作戦に出て結果的にこれが成功した形になりました。

この試合の最大の興味は、先発した中村(俊)、高原、稲本、中田の欧州4人組がどんなプレーをしてくれるかにあり、キリンカップの優勝など、どうでもいいことでした。キリンカップは一応、FIFA公認の国際Aマッチの公式タイトルにはなっておりますが、時差やタイミングで日本に有利なるなど選考基準に不透明な点が見受けられるのがその理由で、世界の強豪を招待しながら過去7回も優勝していることが何よりその実態を物語っていると思います。だからこそ、コメントの中で、オシム監督はキリンカップ優勝についてはサラリと触れるに留めたのでしょう。

MF中村(俊)のプレーは、私のような素人目にも素晴らしく思えました。前半7分にはダイレクトで中村(憲)に絶妙のリターンパスを通して好機を演出、前半41分には後方からのパスを受けて、トラップしながら巧みに体を反転させて約25mの距離から左足で豪快なミドルシュートを放つなど積極的にボールに絡んで攻撃陣をリードし、その動きには貫禄が感じられました。後半43分、交代を告げられてベンチに引き揚げる 中村は充実した表情を浮かべておりました。今後は若手に自身の経験を伝えるとともに、羽生、阿部らオシム監督の考えを熟知する選手とのコンタクトを図って、かっての中田(英)のようなリーダー役を務めることが期待されます。

稲本ははトップ下での出場し、持ち前の守備力で相手の攻撃の芽を早い段階でつぶす場面も有りましたが、中田と同様に攻撃に参加するまでに至らず、後半1分に羽生と交代しました。中田は、守備面では光るものが有りましたが、攻撃面では積極性が見られず、前半途中に右足首をひねったことも影響して交代しました。稲本ははトップ下での出場し、持ち前の守備力で相手の攻撃の芽を早い段階でつぶす場面も有りましたが、中田と同様に攻撃に参加するまでに至らず、やはり後半1分に今野と交代し、稲本とともにベンチに下がりました。

モンテネグロ戦から中3日で出場の高原は、1トップで体を張り、屈強なコロンビアDF陣を相手にポストプレーで攻撃の起点になり、後半6分にはあごに強烈なひじ打ちを受け、36分には後頭部を相手選手のつま先で蹴られたものの、後半ロスタイムに交代するまでピッチに立ち続け、中村(俊)とともに欧州組の存在感を見せ付けました。結局、この試合守備面では一定の収穫は有ったものの攻撃面では得るところが無く課題を残した形になったようですが、コロンビアという強豪に互角で渡り合えたことをオシム監督は評価したようでした。


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