−日記帳(N0.1994)2007年06月06日−
神田川沿い風景の懐古
(飲み水の日に寄せて(1))
−日記帳(N0.1995)2007年06月07日−
神田川に鮎が戻った事情
(飲み水の日に寄せて(2))


御茶ノ水駅前を流れる神田川
(クリックで反対側の新宿副都心の高層ビル群の方向の風景)

数十年も前のことですが、私は東京のある会社に勤務しておりました。 新宿から丸の内に電車通勤しておりましたが、その電車は現在のJR中央線で当時は国電=酷電と言われた程に何時も超満員でした。そんな満員の車内で気を紛らわすにために車窓に映るゆく外の景色を観ることにしておりました。四谷から御茶ノ水にかけて電車は神田川沿いに走っていきます。すると、その神田川の向こう側の土手にバラック立ての小さな下宿が点々と建っているのを観てしばし感慨に耽ることが有りました。(上の画面参照)

それは、あんな狭い下宿に、どんな人がどんな風に住んでいるのだろうと思い巡らしていたからでした。それから時が経ち、そんなバラックの家は、名曲「神田川」で「窓の下には神田川、三畳一間の小さな下宿、貴方は私の指先見つめ・・・♪」と取上げられるに至って、その後名古屋に移り住んでからも、この歌をカラオケで唄いながら、電車の車窓から垣間見た、あの神田川沿いの小さな家を思い出すのでした。それから数十年を経て仕事で再び神田川を訪れる機会が有りました。

土手は綺麗に整備されてあの小さな家は全て撤去されて跡形も無く、あのよどんでいた神田川は綺麗な流れに、土手の彼方には新宿の高層ビル群が立ち並び、周囲の風景は激変しておりました。そして、私が訪れた神田川沿いにある東京都落合下水処理場の現場に立ち会って意外な事実を東京都の方からお聞きして驚いたことが有りました。今日6月6日は、「飲み水の日」とのことですので、今日と明日はその時の話を思い出して纏めてみたいと想います。

ところで、この名曲「神田川」を我が街のあるカラオケ・スナックで唄ったところ、そこのママさんが「この曲の作詞者の喜多條 忠さんが競艇マニアで隣街の常滑競艇に来られるたびにここに寄って下さるのですよ」と言われるので、今度彼が来られたら、この歌詞に、普通なら女性の方が長風呂なのに、三畳一間で同棲していた女性を洗い髪が芯まで冷えるほどに銭湯の外で待たせたのはどんな事情が有ったのか聞いて欲しいと頼んでおきました。

暫くして、その店に寄ったところ、ママさんが「喜多條さんが来られたので聞いてみたのですが、長風呂ではなくて脱衣場でのんびりしていたとのことでしたよ」と教えてくれました。やはり、脱衣場に置かれていた水槽の金魚を見ていたのが真相のようです。南こうせつさんの曲も素晴らしいのですが、この作詞が無かったら果して今日までいやこれからも歌い継がれていく名曲にはならなかったような気がします。私はこの歌詞の中の「・・・小さな石鹸 カタカタ鳴った・・・♪」が、寒そうに震えながら待っている彼女の姿が目に浮かんでくるようで一番好きです。


鮎の生息が認められた神田川

私が出張したのは、東京のど真ん中、新宿にある東京都(現在は落合水再生センターに改称)でした。ここでは、下水中のし尿や生ゴミなどによる有機性の汚物を微生物(汚泥中に棲息)に食べさせて汚泥の形にして沈殿させ上澄水を消毒・高度処理して綺麗な雑用水と呼ばれる水にして新宿副都心の高層ビルのトイレ用水などに利用し、利用しきれない水は神田川に放流しておりました。

汚物を食べてくれる微生物は好気性で酸素濃度が高まると活性化しますので、曝気槽の中の微生物が生息する汚泥に空気の泡を送り込むことが必要です。当時、我々はその曝気槽の設計・製造を行なっており、私はその品質保証を担当しておりました。この下水処理は活性汚泥法と言われ、この落合下水処理場に留まらず、殆んどの日本の自治体で採用されておりますので、それ自体は珍しくなかったのですが、あの神田川の流水の大半がこの落合下水処理場で処理されて放流された雑用水であることを都庁の係員の方から知らされて驚いたことを覚えております。

神田川は、井の頭公園の池を源泉として杉並区を経て中野区で善福寺川を、その先の新宿区で妙正寺川を合流し、文京・千代田の区境で日本橋川を分流し、中央・台東の区境、隅田川に合流する一級都市河川で、江戸初期に都市水道として整備され、江戸城東側の神田・日本橋方面へ飲料水を配水する世界一の上水道の水源でしたが都会化の進行に伴って枯渇化し死の川の運命を辿っておりました。

昨日の日記で、私が中央線沿いに流れる神田川の風景を楽しんだことを紹介しましたが、あの頃がまさにそのような時代だったと思います。生活排水によって川は淀んで、かっては棲息していた鮎などの魚も姿を消してしまいました。多分その時のBODは悠に10mg/Lを越え悪臭が漂っていたことと思います。私が落合下水処理場を訪れたのは1989年でしたから、ここで日本初の高度処理が行なわれた直後でしたから都庁の係員の方が見せてくれた雑用水は完全に透明で上水道水と見分けが付きませんでした。それから間もなくして、さる大臣がこの高度処理水を試飲していたのをテレビで観たことが有りました。

現在、流れている神田川の水の90%は、この落合下水処理場で処理された雑用水とのことです。この水のお陰で神田川は死の川から蘇えり、BODも落合下水処理場の排水溝付近では2mg/L前後まで下がり、鮎が生息が確認されるほどに綺麗な水になりました。神田川は昭和51年(1976)にD類型に指定されていましたが、この雑用水の放流等により平成9年(1997)に1ランク上のC類型に指定され、BODで5mg/L以下という基準が達成され、コイやフナの生息が確認されております。都市の発展により消えかかった自然の川が高度処理水によって蘇えったことは嬉しい限りです。


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