−日記帳(N0.2006)2007年06月18日−
レアル・マドリード逆転優勝
−日記帳(N0.2007)2007年06月19日−
北京五輪サッカー最終予選決定


優勝を喜ぶレアル・マドリードのイレブン

昨日のスペインリーグ最終戦で、2位のレアル・マドリードがマジョルカに3−1で逆転勝ち、首位のバルセロナがヒムナスティックに5−1で大勝し、本来なら同一勝点ながら得失点差でレアル・マドリードに優るためバルセロナが優勝するはずだったのですが、両者の直接対決の結果を得失点差より優先させる大会規定によりレアル・マドリーの通算30回目の優勝が決りまり、会場となったサンチャゴ・ベルナベウは熱狂に包まれました。

私も、この試合をテレビの生中継で視聴し、この試合を最後にレアル・マドリードを去るロベルト・カルロス、デイビッド・ベッカムのプレーに声援を送りました。マジョルカが前半17分にカウンターからバレラが抜け出して1人でゴールを決めて先制した時、レアルファンで埋まったスタジアムは一瞬、凍りつき、一方同時中継されたバルセロナ戦がおこなわれていたタラゴナはバルセロナファンの歓声で沸いておりました。

後半68分にレジェスがゴール前で押し込んで同点、タラゴナではバルセロナがヒムナスティックから大量リードを奪っていたため、レアルは引き分けでは優勝できないことから必死に2点目を狙い、ついに後半、80分にディアラがヘディングシュートを決め、優勝の権利が目前となり、更に83分にレジェスがペナルティーエリア外からのミドルシュートを決めて3−1として優勝が99%確定してサンチャゴ・ベルナベウは喜びに沸き上がり、タラゴナは悲嘆に沈みました。私には、スペインに旅行した時以来、レアル・マドリードへの思いが有りますので以下、そのことに触れてみたいと思います。

1999年に、私はスペイン旅行でマドリードとバルセロナを訪れましたが、この両都市の市民の気質の違いとライバル意識の強さに驚いたことを今でも覚えております。バルセロナは、名古屋と同じ200万の人口を有し人口300万の首都マドリードに次ぐスペイン第2の都市で、500年の歴史しかないマドリードに先駆けてローマ時代から地中海沿岸都市として栄えておりました。そのため、言わば格下のマドリードが首都になったことに反感し500年前から対抗意識を抱いておりました。

その結果、1992年にマドリードに先駆けてオリンピックを国の援助を受けないで実施し、更には国技とも言われるサッカーでもマドリードを本拠地とするレアル・マドリードに対抗してバルセロナを応援する風潮が強くなっております。この関係は、東京に対抗意識を持つ大阪、巨人に対抗する阪神の関係にに似たところが有ります。 バルセロナ市内観光のガイドさんに、迂闊にもレアル・マドリードの強さを礼賛したところ、ガイドさんが急に顔を曇らせて「金でスタープレーヤーを掻き集めるレアル・マドリードなんて優勝して当たり前、スペインの恥だ」と吐き捨てたのを思い出しました。

私がスペイン旅行した翌年の2000年にレアル・マドリードの会長に就任したペレスは、旧練習場敷地の売却でメンドーサ、サンス時代に膨らんだ負債を一掃し、豊富な資金力と「レアル・マドリード」というネームバリューを生かして、2001年から2004年にかけて、ライバルのバルセロナからルイス・フィーゴ、ユヴェントスからジネディーヌ・ジダン、インテルからロナウド、マンチェスター・ユナイテッドからデビッド・ベッカム、リヴァプールからマイケル・オーウェンなど欧州サッカー界の錚々たるなどスーパースターを獲得し、レアル・マドリードを世に言う「銀河系軍団」に仕立てました。

しかし、銀河系軍団が最盛期を迎えた2004年以降、リーグ優勝は宿敵バルセロナに2005年、2006年と連覇され、UEFA杯、トヨタ杯も獲得出来ないという皮肉な結果を招きました。2003年からリーグ戦が終了すると世界ツアー興行を行い親善試合を通してグッズの売り上げを伸ばすマーケティング戦略を行なったため新シーズンに向けての練習期間が短く、新加入のチームメイトとの連携やコンディション維持が難しくなり、ツアーの疲労を残したまま新シーズンを迎えることになったのがその原因でした。その結果、ペレスは責任を取る形で辞任し、アルバレスが新会長に就任しました。

彼は、銀河系軍団構想を真っ向から否定し、クラブへの貢献度を給料査定の基準にし、給料分働かない者の首切り宣言をするなど厳しい姿勢を示したが裏目に出て、反発を招き会長職を僅か2ヶ月で辞任することになり、ラモン・カルデロンが2007年度リーグ戦開始前に行われた会長選に勝利して新会長に就任しました。彼はタイトル奪還に向けて行動し、手始めに1997年にレアル・マドリーの監督としてリーグ優勝の経験が有り、セリエAの八百長問題でセリエBに降格したためユヴェントスの監督を辞任したカペッロを新監督として招聘しました。

カペッロ監督は、ユヴェントス時代の教え子ファビオ・カンナヴァーロやエメルソン、またリヨンのリーグ・アン5連覇に貢献したマアマドゥ・ディアッラを獲得し長年の懸案だった脆弱な守備面の強化を図りました。これが奏効して、2007年度はスタートの8月から常に2位以上をキープしてバルセロナと優勝争いを続けておりました。そして迎えた昨日、2位ながらも勝てば例えバルセロナが勝っても大会規定により直接対決を制したレアル・マドリードが逆転で優勝が決る段取りになっており、見事にマジョルカに逆転勝ちしたのでした。


組 名
(平均R)
ランキング
(R)
国     名 国旗 勝点 勝数 分数 負数 点差


(98)
43 オーストラリア 12 3 2 1 +7
78 イ  ラ  ク 12 3 3 0 +5
142 北  朝  鮮 12 3 2 1 +4
130 レ バ ノ ン 12 4 0 1 +2


(80)
51 韓    国 15 5 0 1 +7
100 バーレーン 12 4 0 2 +6
60 ウズベクスタン 12 4 0 2 +4
110 シ  リ  ア 10 3 1 2 +2


(83)
46 日    本 18 6 0 0 +15
62 サウジアラビア 15 5 0 1 +5
140 ベ ト ナ ム 12 4 0 2 +3
83 カ タ ー ル 11 3 2 1 +11


サッカーで北京五輪にアジア地区から3ケ国が出場しますがその2次予選の全日程が終了し、最終予選の組合わせが上表のように決定しました。2次予選は、24ケ国が6組に分かれてホームアンドアウエーのリーグ戦で行なわれましたが、4月18日の日記「日本、五輪2次予選突破」で、2次予選突破国を次のように推定しておりました。

・A組:◎クウェート ○カタール △バーレーン
・B組:●日本    ◎シリア
・C組:○ベトナム  ○レバノン △オマーン
・D組:●サウジ   ○イラン  ○オーストラリア
・E組:◎北朝鮮   ○イラク
・F組:●韓 国   ○UAE  ○ウズベクスタン

(●突破済、◎有力、○いずれか突破、 △対抗馬)

ところが、A組で番狂わせが有って私の予想が外れてしまいました。バーレーン がクウェートを2:1で破り、カタールがパキスタンを7:0の大差で破ったため、カタールが得失点差でクウェートを上回ったためクウェートが一気に3位に転落して予選落ちしてしまったのです。あとは、ほぼ予想通りとなりました。日本は6戦全勝、勝点18は最高の成績で突破しました。突破した12ケ国の中で、FIFAランキングのトップはオーストラリアの43で、日本は46で2位でした。

最終予選は、8月22日から11月21日までの日程で行なわれ、各組の1位が五輪出場権を得ます。 日本の対戦日程は次のとおりです。9月8日のアウエーでのサウジ戦で勝てば予選突破の視界が開けてきます。

8 月22日  日     本 ―  ベ ト ナ ム
9 月 8日  サウジアラビア ―  日     本
9 月12日  日     本 ―  カ タ ー ル
10月17日  カ タ ー ル ―  日     本
11月17日  ベ ト ナ ム ―  日     本
11月21日  日     本 ―  サウジアラビア



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