−日記帳(N0.2014)2007年06月26日−
あるヨットマンの果敢な挑戦(3)
−日記帳(N0.2015)2007年06月27日−
エジプト女王のミイラ確認(1)


挑戦艇「ベンガル7」を回航する4人のヨットマン
(左から江口、安藤、小粥、高須の諸氏)

米本土からハワイ・オワフ島へ向かう大洋横断ヨットレース「トランスパシフィック」に参加するため、名古屋市のヨットチームの出場艇が20日、回航のため蒲郡市海陽町のラグナマリーナからスタート地のロサンゼルスに向け出港した。ロサンゼルスまで回航するのは、マリンサービス業の安藤康治さん(48)=安城市=、無職の小粥昭六さん(75)=名古屋市=、無職の高須洪吉さん(64)=半田市=、スイミングクラブでインストラクターを務める江口恵利さん(21)=名古屋市=のヨット仲間4人・・・・・・・・・。

以上は、東三河の地域をカバーする東日新聞の5月21日付けの記事の一部です。実は、この新聞は読んだことも見たことも有りませんし、全国紙でも報道されておりませんでしたので、ヨットファンの私としては恥ずかしいことにこの記事の内容については全く知りませんでした。ところが、先日、宮城県気仙沼市にお住まいのKさんからメールを頂いたことがきっかけになってこの記事のことを知りました。そして、40年前に白雲号で世界一周した4人のヨットマンのうちのTさんが、この記事の高須洪吉さんであることを知り、その果敢な冒険心に感動し、このことを3回に渡って日記に掲載した次第です。 (註:後で判ったことですが地元紙の中日新聞がこのように報道しておりました。)

高須洪吉さんは、数々の外国でのヨットレースの出場経験を持つ息子さんの高須正泰さんとともに、地元の「碧南ヨットクラブ」に所属して、後輩の指導に当たっておられます。あの白雲号を再整備して再び世界一周をされる予定をお持ちのようです。一緒に世界一周したNさんもそのような話をされておりましたので案外、実現するかも知れません。その折は是非ともパソコンをを艇内に装備して頂いて、日々交信させて頂けることを期待しております。

今回の航海は、あくまでも挑戦艇の「ベンガル7」を出発地のロサンゼルスまで回航することが任務であってレースに挑戦するわけではありませんが、70代の小粥昭六さんとともに、60代で尚、太平洋をヨットで横断する意気に感動し、私は敢えて「果敢な挑戦」と言わせて頂いたわけです。また、紅一点の江口恵利さんも女性の身でありながら男性たちとともに乗り込む勇気にも感動しました。是非とも和やかな雰囲気を艇内に醸しだして頂きたいものです。前回も、5月21日に出発して6月30日にロサンゼルスに到着しておりますので7月12日のスタートには間に合うものと思われますが、途中、台風などに遭遇することのないよう祈りたいものです。

ところで、「トランスパシフィック」はこれまでも石原裕次郎さんをはじめ多くの日本人が挑戦しておりますが、残念ながらまだ上位入賞実績は無いようです。森繁久弥さんも、加山雄三さんもこのレースに出場することを夢見ていたと言われます。今回の挑戦艇の「ベンガル7」は昨年、オーストラリアで建造されて今年進水式を挙げたばかりの新艇ですので、これに過去4回の出場経験を生かして、こうした人たちの思いを乗せて是非とも上位入賞を果してもらいたいものだと思っております。

今回の「トランスパシフィック」には全世界から68チームが参加することになっておりますが、「ベンガル7」もそのひとつで、「トランスパシフィック」の公式サイトによれば、ベンガル7」のチーム編成は次のようにまっております。

スキッパー     =村瀬 伊藤
メデイカル     =(村瀬)
ナビゲーター    =森
ウオッチキャプテン =平野
クルー       =安藤、大橋、矢部

うち、回航要員の安藤さん以外の6人は空路現地に到着して安藤さんと合流することになっております。殆んどの方々は過去に旧艇「ベンガル2」での挑戦経験を持つベテランです。高須洪吉さんとはまだ面識は有りませんが、無事回航任務を終えられて帰国されたら是非ともお会いして航海の様子などを聞かせて頂きたいものと考えております。下の画面は新しい挑戦艇「ベンガル7」です。(ベンガル通信より転載)




男装姿のハトシェプスト女王の肖像(メトロポリタン美術館蔵)

彼女は生まれた時から男まさりの性格でした。尊敬する偉大な父の正妻の長女として生まれ、蝶よ花よと育てられたので、その性格は益々強くなっていずれ自分が父の後を継ぐものと考えておりました。しかし、その思いも空しく父の後を、彼女が快く思っていなかった父の愛人の子、つまりは腹違いの兄が継ぐことになっただけでなく、その義兄と結婚させられる破目になったことから開き直って気の弱い義兄の夫をないがしろにして家長として振舞うことにしました。

実は、この結婚には父のある配慮が働いておりました。父としてはこの長女に後を継がせたかったのですが、先祖代々からの家訓で女性は跡目を継げないことになっておりましたので、止む無く正妻に男の子が居なかったことから愛人の子に跡目を継がせたのです。しかし、父はその子に気弱なところが有ることを見抜き、それをカバーするためにも男まさりの性格の長女と結婚させれば、一族は安泰で血統を維持出来ると考えたからでした。

結婚後、彼女には子どもが出来なかったことから結婚して13年目で義兄の夫が亡くなった時、義兄の夫と愛人の間に出来た6歳の男の子が当然のこととして跡目を相続しました。彼女は、その義理の息子が幼少であることをいいことにして家長の座を実質的に掌握し、世間的にも自分が家長であることを男装までして誇示したのでした。そして、その権力を維持するために遅がけに義兄との間にできた娘を、まだ10歳なのに強引に義理の息子と結婚させたのでした。そのため、義理の息子は妻と義母の双方から監視されることになり家長として振舞うことも出来ませんでした。

しかし、義母が亡くなれば自動的に自分に家長の座が戻ってくるものと信じてその屈辱に耐え忍んできました。妻の手前抵抗を自粛していたのですが、その妻の急死を契機に彼は一気に義母に反抗し、ついに憎き義母を家から追い出してしまい、家長を復権したのでした。

以上は、市井の話ではなく、古代エジプト王国の時代に本当に有ったことを物語り風にしてみました。ここで主役の彼女は、古代エジプトの実質的な最初の女王であるハトシェプストです。そして父はトトメス1世、彼女の義兄であり夫だったのはトトメス2世、そして彼女に苛められた側室の男の子がトトメス3世でした。憎き義母のハトシェプストが亡くなるや、トトメス3世は彼女の存在をエジプト王国の歴史から抹殺すべく彼女が存在した証しを全て抹消してしまいました。彼女が生前に造営したハトシェプスト葬祭殿の壁に描かれていた彼女の壁画が悉く削り取られているのがその証拠と言えます。

そのハトシェプストのミイラが確認されたという大変なニュースが飛び込んできましたので、明日の日記で取上げてみたいと思います。


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