−日記帳(N0.2046)2007年08月02日−
タリバンによる韓国人拉致に思う
−日記帳(N0.2047)2007年08月03日−
静岡の高校スポーツ界に常葉旋風


射殺されたペ・ヒョンギュ牧師の遺体が収められた棺

以前、韓国に旅した時に、上の写真に見られるように、ビルの一角に十字架が突き出ている教会らしき建物が街中で多く見られるので不思議に思い韓国人女性ガイドさんにお聞きしたところ、やはり新教の教会で、そのガイドさんもその信者とのことでした。韓国人のほぼ1/3がキリスト教信者で、残りが仏教と儒教信者と聞かされて意外な思いをしたものです。何故なら、私は、韓国は儒教の国とばかり思っていたからです。昔から韓国では儒教思想が浸透しており、特に親や目上の人を敬う国民性は儒教の死生観によるものと思われるのですが、そのような死生観を持ちながらも一方でキリスト教を信ずるのですから、欧米系とは少し違うようです。

そのためか、「未伝道地域には福音をもたらさなければならない」という過度の使命感が信者に浸透しており、あえて危険な地域に乗り込む傾向が強いと言われております。そして、国内での布教活動は飽和状態に達して教会同士の競争が激しくなってきたことが、こうした海外での布教活動に拍車を掛けることになりました。アフガンでは昨年、韓国のキリスト教団体が1,000人以上の大規模イベントを強行しようとしたものの韓国政府の説得で中止になった経緯もありました。

セムムル教会もそうした海外布教活動に熱心な韓国では長老派に属するキリスト教プロテスタントの一派で、たまたま アフガン南部カンダハルで病院と幼稚園を運営していることから、ペ・ヒョンギュ牧師がこの幼稚園などでボランティア活動をするために、20代から30代前半の女性等22人を引率して7月13日から23日までの予定でアフガン入りしました。 そして、19日に幼稚園児らに鉛筆やノート、せっけん、医薬品などを渡そうとカブールからカンダハルにバスで向かいました。

アフガンでは長距離移動する場合は、テロ犯の攻撃目標にならないように、空路にするか陸路の場合は外国NGOの護衛を受けるのが普通ですが、韓国のNGOは警備無しで長距離移動することが多いことから、かねてよりテロ犯たちがマークしており、今回のペ・ヒョンギュ牧師一行のバス移動も事前にテロ犯たちに事前に察知されていたようです。案の定、18日にアフガニスタン中部のガズニ州で旧支配勢力タリバンによって拉致されてしまいました。

タリバン側は当初、人質23人全員の解放と引き換えに、アフガン当局や米軍基地に拘束されているタリバン司令官ら115人の釈放を求めましたが、交渉が難航したため徐々に主張を後退させ、現在は8人の釈放を要求しておりますが8人の一部は首都カブール北方のバグラム米軍基地に拘束されており、米政府が釈放を拒否しているため依然として交渉は難航しております。そして、既に、ペ・ヒョンギュ牧師等男性二人が射殺され、残りのの21名も殺害への恐怖と不衛生な環境、慣れない食事といった厳しい生活を強いられており、体力と精神力の限界に達しているとみられております。

捕虜は釈放しても、また捕まえることは出来ても失った命は二度ともどりません。ここは米軍側が譲歩して釈放に応ずべきと思います。日本もこの方向で米国に譲歩を促して国際世論に訴えるべきです。また、同じキリスト教徒として、例え、新旧の宗派の壁を越えてローマ法王が人質解放を全世界に向けて訴えるべきと思います。一日も早い全員開放を願うものです。


優勝を決めてマウンドに駆け寄る常葉菊川ナイン

我が故郷、静岡県の第89回全国高校野球選手権予選で、古豪静岡商と新参常葉菊川との決勝戦が一昨日、静岡県営草薙球場で行われ、常葉菊川が驚異の粘り越しで7回に一挙7点を奪って逆転し、9−2で静岡商を下し、11年ぶり2回目の夏の甲子園出場を決め、春夏連続優勝を目指すことになりました。ここで、敢えて隣県の高校野球について触れるのには二つ理由が有ります。

ひとつ目はここ数年、静岡県に常葉旋風が吹き荒れていることです。 まず、高校サッカー界で常葉旋風が吹き荒れた結果、静岡学園、藤枝東、清水商でほぼ独占してきた優勝争いに常葉菊川の兄弟校の常葉橘が割り込み、ついに昨年優勝を果たしてしまいました。そして、高校野球界では、今年の春、常葉菊川が高校選抜で全国優勝し、そして一昨日静岡県予選で優勝してしまいました。もともと、静岡県は野球、サッカーとも公立校が強かったのですが、ここにきて静岡学園に続けて常葉学園等の私学が台頭してきました。

ふたつ目は、両校とも優秀な指導者に恵まれていることです。 まず、一昨日優勝した常葉菊川に佐野心さんというコーチがおります。彼は1991年の夏に浜松商の選手として甲子園出場した後、専修大−いすゞ自動車を経て、1991年ドラフト6位で中日に入団、1992年から1995年までの4年間で27試合に出場したものの、10打数1安打、1打点、打率0.10の成績しか残せず、1995年に退団し一念発起して専修大に再入学して教員免許を取得し2000年に常葉菊川に赴任しアマチュア資格認定を受け、晴れて高校野球の指導者として同校の野球部長兼投手コーチとしてプロ4年間の生活で得た知識や経験を分かりやすく教え子に伝え、森下体制を支え今日の栄冠を勝ち取る原動力となっております。

一方、常葉橘には長沢和明さんという監督がおります。彼は清水東から東京農大を経てヤマハ発動機に入り、国際Aマッチ9試合(1978-1985) に出場したものの怪我に泣かされて0得点に終わり30歳で引退後、ヤマハのコーチを経て1991年に監督に就任、在任中にチームが「ジュビロ磐田」に改称したため、ヤマハ最後の監督と同時にジュビロ磐田の初代監督となり、ゴン中山等を率いて1992年の旧J1で優勝し1993年のジュビロ磐田のJリーグ昇格などの実績を残して93年に退社しL・リーグの鈴与清水、JFLのホンダFC、ソニー仙台の監督を経て2001年秋から常葉橘の監督を務めて、昨年同校を初優勝に導きました。

静岡県は全国屈指のサッカー王国で、全国優勝するよりも静岡大会で優勝する方が難しいと言われた時代もあr、例えばW杯日韓大会の日本代表23名のうち実に、MF市川大祐(清水コース)、FW中山雅史(藤枝東)、DF服部年宏(東海大一)、森島寛晃(東海大一)、FW 西沢明訓(清水東)、MF小野伸二(清水商)、GK川口能活(清水商) の7人も選ばれ、その後もカズ、武田、相馬、藤田、名波、高原、山田、堀池等の日本代表選手を輩出していることからそのレベルの高さを窺い知ることが出来ます。


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