−日記帳(N0.2086)2007年09月11日−
同時多発テロ6周年に思うこと
−日記帳(N0.2087)2007年09月12日−
安倍総理の当然の辞任に思うこと


WTCの跡地から天に向けて放たれた二筋の光(昨年の5周年で)

今日、9月11日、あの忌まわしい米国での同時多発テロ6周年を迎えるにあたって思いを述べてみたいと思います。殆どの米国民があのテロ事件を日本軍による真珠湾攻撃より重大な事件とみなしているように、米国のみならず世界各国にとっても、少なくとも20世紀以降、過去の二度の世界大戦に匹敵するほどの重大な事件として受け止められていると思います。しかし、過去の大戦では敗戦国が降伏し戦後処理が勝戦国に有利な結果になったとは言え、それなりに処理されております。敗戦国の日本、ドイツなどは戦争責任者は軍事裁判、国家は戦時賠償という形でその罪を償って戦後処理が行われ、その後の自助努力によって今日の繁栄を築きあげております。

しかし、米国に宣戦布告した国際テロ組織、アルカイダに対する米国主体の報復戦争は、明確な終戦を迎えないまま、戦後処理が米国の一方的な考えで行われ、少なくとも形の上では勝戦国のはずの直接当事国のアフガニスタン、イラクについはタリバン等の国際テロ組織が復活して戦前以上に国は混迷を極めております。また、間接当事国の日本は、多大の費用を負担し更にはインド洋での海上自衛隊の給油活動を継続を巡って安倍首相が辞任を余儀なくされ、英国も同時爆破テロなども有ってブレア首相の引責辞任、韓国もアフガニスタンでの拉致事件で窮地に立たされたり、あのロシアでも国内でのイスラム過激派のテロ事件で手を焼くなど国内の社会、政治、経済に暗い一面を引きずっております。

かって、米国はベトナム戦争で圧倒的な軍事力で制空・制海しながら地上戦で地下壕からのゲリラ作戦に手を焼き、結局ベトナムからの全面撤退することで事実上の敗戦をきしたように、今回の報復戦争でもゲリラ作戦と同様にテロ作戦に手を焼いて、主犯と目されるビン・ラディンを拘束できないまま、更には彼を匿っていたタリバンも掃討できなういまま、直接テロに関与していなかった元フセイン大統領を死刑に追い込んだことで意味のない帳尻合わせをしているに過ぎません。今日の6周年に合わせるかのように、ビン・ラディンと目される人物が同時多発テロ事件のハイジャック犯の一人を称賛する新たなビデオを公開しております。もし、ビン・ラディンが生存して今尚、アルカイダを指揮しているとすれば、米国はベトナム戦争と同様に事実上敗戦したと論評する人も居るようです。

無差別、大量殺戮を意図するテロ犯罪者は如何なる理由が有ろうと許されない人類共通の敵であり、米国、一国との戦いではないはずです。従って、そのような意図を持つテロ組織がこの世に存在する限り、世界のテロ組織との戦いは終わることはなく、従って勝った、負けたは不毛の論議でしかありません。9.11の日は、そのような思いを世界の共通認識として再確認する日ではないでしょうか。そのように思うと、あのWTCの跡地はテロで尊い命を奪われた3,000人近い犠牲者の方々の墓標として、そして永久に続くテロとの戦いを誓うためのモニュメントにすべきと思います。従って、跡地に再び巨大ビルを建てることに私は反対します。

WTCでの全犠牲者2,750人のうち、遺体が確認されたのは1,614人で、残りの1,136人は依然として身元不明のまま、その骨は回収されてバージニア州ロートンにあるボード・テクノロジー社の大型冷凍庫に保管され、回収出来なかった骨は跡地の地中や鉄骨スクラップに残っており、現在でも回収が続けられているとのことです。回収された骨は、ボード・テクノロジー社の零下20℃に保たれた冷凍庫内で保存され、順次ドリルを使って骨を粉砕してから化学処理してDNAを採取し機械でそのデータを読み取られております。これまで鑑定された骨は約2万点で1回目のDNA採取作業は2005年に終了しております。その結果、約半分程度について正確なデータが採取され遺族に照会しているとのことですが、残り半分は、高温で焼かれているためデータが採取が困難とのことです。

そこで、同社はカルシウムを除去することでこの問題を解決する新技術を開発し、2005年12月以降、この技術を駆使して2回目のDNA鑑定を続けているとのことです。しかし、例えDNA鑑定が成功して犠牲者の骨と特定化されても、遺族に渡されるのは鑑定試料として採取された数グラム程度の骨片でしかなく、しかもその中に当人以外の骨も混在していることも考えられます。DNA鑑定は死亡確認するだけのことで、故人の身元を確認するすべは永久に閉ざされてしまったと考えるべきです。ですから、尚のこと、跡地はそのままにしておいて、犠牲者の方々の墓標として残しておくべきです。ここに建物が作られたらそのチャンスは永久に失われることになります。


今日午後2時からの記者会見で辞任の挨拶をする安部首相

「本日、総理の職を辞すべく決意をいたしました。7月の29日、参議院選挙の結果が出たわけでありましたが、大変厳しい結果でございました。厳しい結果を受けてこの改革を止めてはならない。戦後レジームからの脱却を止めてはならない。またその方向性を変えてはならないとの決意で続投の決意をしたわけでございます。今日まで全力で取り組んできたわけでございます。

しかし、また、先般、シドニーにおきまして、テロとの戦い、国際社会から期待されているこの活動を、高い評価をされているこの活動を中断することがあってはならない。何としても継続していかなければならない。国際社会への貢献、それは私が申し上げている主張する外交の中核でございます。 その政策はなんとしても、やり遂げる責任が私にはある。この思いの中で私は中断しないために、全力をつくして、職をとして、このお話をしました。

そして、私は職に決して、しがみつくものでもないと申し上げた。そして、そのためには、あらゆる、努力をしなければいけない。環境作りにおいても最大に努力しなければならない。一身を投げうつ覚悟で全力で努力すべきだと考えてまいりました。 まあ、本日、小沢党首に党首会談を申し入れ、私の率直な思いと考えを伝えよう。残念ながら、党首会談については、実質的に断られてしまったわけであります。

先般、小沢代表は「民意を受けていない」との批判をした。大変、残念でございます。このテロとの戦いを継続をさせる上において、私はどうすべきか。むしろこれは、局面を転換しなければならない。新たな、総理の下で、テロとの戦いを継続してそれを目指すべきではないだろうか。来る国連総会にも新しい総理が行くことが、むしろ、局面を変えていくためにはいいのではないかと。

また、改革をすすめていく、その決意で、続投しそして内閣改造を行ったわけでございますが、今の状況でなかなか国民の支持、信頼のうえにおいて、力強く政策を前に進めていくことは困難な状況である。 ここは、自らがケジメをつけることによって、局面を打開をしなければいけない。そう判断するに至ったわけでございます。

先程、党に対しまして私の考え、決意をお伝えをいたしました。そして、この上は、政治の空白を生まないように、なるべく早く、次の総裁を決めてもらいたい。本日からその作業に入ってもらいたいとの指示を出しました。 私自身の決断が先に伸びることによって、国会において、困難が大きくなると。その判断から決断はなるべく早く行わなければならないと、まあ、そう判断したところでございます。私からは以上です」


以上は、突然の辞任を表明し、その理由を説明する安倍首相のメッセージです。これが、日本の首相の政治生命を賭けた言葉かと思うと、情けなく暗澹たる思いに駆られました。所信表明演説を終え、代表質問直前の辞意表明はあまりにも唐突だけに、辞任理由にはそれなりに説得力が要求されるのに、上の辞任理由はあまりにも幼稚で、友だちに苛められて登校拒否するこどもがお母さんにその理由を訴えている状況が重なりました。上のメッセージを要約し、三段論法の形に纏めると、次のようになると思います。

(1)海上給油を継続すべくテロ特措法の延長に職責を賭した
(2)小沢代表に会談を申し入れたが民意を受けてないとして断られた
(3)民意を受けるには私が辞任して新体制で局面打開すべきと判断

つまり、「テロ特措法の延長に職責を賭し、小沢代表の協力を得る会談を申し入れたが民意を受けてないとして断られたので、民意を受けるには私が辞任したほうがよいと考え辞任を決意しました」ということになります。 テロ特措法反対の姿勢を強硬に示している小沢代表に、例え会談できて協力を要請しても断られるのは判りきっているのに、敢えて会談を断られたことを辞任の理由にしたのは、四面楚歌でやる気を失って精神的、体力的に限界にきた安倍首相のほんの思いつきでしかなかったと思わざるを得ません。かって、横綱千代の山は「気力、体力ともに限界」として引退をしましたが、一国の首相として「気力が無くなり、体力も限界になりましたので辞めさせて頂きます」とはどうしても言えなかったのだと思います。残念ですが、止むを得ないここと思いますが、国民の期待を裏切り、いろいろな面で国益を損なう結果を招いたことに対し、一言も詫びていないことに怒りを感ずるのは私だけでしょうか。


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