−日記帳(N0.2240)2008年02月16日−
冷凍餃子事件 両国のストーリー
−日記帳(N0.2241)2008年02月17日−
重慶について思うこと


問題の冷凍餃子を製造した中国の天洋食品

中国・天洋食品製冷凍餃子への農薬混入事件について、中国政府がその対応に苦慮している様子が関連する報道から手に取るように判ります。天洋食品は言わば国営会社のようなものですから、この会社にその責任を帰属させることは、必然的に不満分子の犯罪行為を暴くことに繋がって国民反感を招く恐れが有るため何としても、これを避けて第三者の犯行にもっていこうとしているのですが、それを裏付ける証拠が得られていないのが実態だからです。

日中双方の調査目的は共通に、「誰(Who)が、何(What)を、何時(When)、何処(Where)で、何の目的(Why)で、どのような方法(How)で混入したかの、いわゆる(5W+1H)を明確にすることにあり、日中両国双方が意図するストーリーは、多分次のように想像されます。

中国側のストーリー
・誰(Who)         = 日本人を含む第三国人
・何(What)        = 農薬
・何時(When)       = 工場出荷後に
・何処(Where)       = 工場外で
・何の目的(Why)     = 日中友好を阻害するため
・どのような方法(How) = 注射針もしくは類似の方法で

日本側のストーリー
・誰(Who)         = 中国人(従業員)
・何(What)        = 農薬
・何時(When)       = 工場の製造時に
・何処(Where)       = 工場内で
・何の目的(Why)      = 会社への報復
・どのような方法(How)  = 直接、内容物に

中国側が苦慮しているのは、日本側からもたらされた、「包装に注射痕等によるの穴が全く無い密封された状態の内容物に高濃度の農薬が検出された」との情報でした。この情報を認めると、中国側ストーリーのポイントである「工場外で混入」が不可能となって、ストーリーが成立しなくなってしまうからです。そこで、中国側は、注射による注入以外の方法で、穴を開けることなく混入させる方法の可否を究明しているのではないかと思われます。

包装材のポリエチレンは、分子レベルの尺度で見れば、穴だらけですから、水の入ったポリエチレン袋に入れた金魚が窒息死しないのは、その穴を通して空気中の酸素が水の中に浸透していくからです。以前、外国でパンを食べて中毒症状が出た原因を調べたところ、そのパンに使われた小麦粉が農薬と一緒にトラックで運搬される過程で農薬が包装を浸透して小麦粉 に混入したためと判明した事例も有るようです。

従って、農薬を包装の表面に接触させれば、理論的には農薬が内部に浸透することは有り得ますが、それには時間、圧力差、温度等の要因が必要で、まず現実には起り得ないと考えられます。結局、中国側は、そのような混入方法も有り得るとして、日本人が混入することも否定できないとした上でうやむやのままこの問題を落着させるのではないかと思っております。日本側も、強行に日本側のストーリーを強調することを回避しているようですので・・・・・・・。


長江から重慶の市街を望む(4年前に筆者が撮影)

今晩から、サッカー東アジア選手権が中国の重慶で開催されます。重慶は、昨年7月、九賽溝・黄龍を観光した際に中継地として立ち寄ったところですのでこの際、その時のことを思い出し、いずれ旅行記をまとめる際の一助にしたいと思います。 重慶は四川省の省都でしたが最近、北京、上海、天津に次いで4番目の直轄市に昇格しております。重慶市の人口は旧市街で約1,000万、市全体で約3,100万で、市としては世界最大の人口を擁しております。

上の画像は、三峡下りの遊覧船の発着場から撮った、長江(揚子江)から都心を望む重慶の風景です。これでも晴れの日なのです。重慶は盆地であることに加え、長江とその支流の嘉陵江が合流する半島状の丘に作られているため霧が発生しやすく昔から「霧の都」と言われておりますので、ガイドさんはこのもやった空は霧と説明しておりましたが、重慶は重工業都市の上、市街に溢れる車からの排ガス規制が甘いため明らかに大気汚染が進んでおり、霧とスモッグが相乗しているとしか私は思えませんでした。

4年前に、この重慶で行なわれた2004アジアカップでの、中国人サポーターたちの日本チームや日本人サポーターたちへの パッシングは目に余るものがありました。日本対オマーン、日本対タイ戦では日本選手に対する激しいブーイングが会場を覆ったほか、試合終了後に日本チームのバスが中国人サポーターに取り囲まれる騒ぎも有りました。私は、日本人嫌いの中国人が日本以外の国に声援を送り、その国が不利になった時にブーイングするのはサッカーではよくあることで大したことではなく、むしろ日本メィデアの過剰反応のようにも思えました。

しかし、日本人選手や日本人サポーターの安全を脅かしたり、試合中に反日スローガンを掲げたり、国歌吹奏の時にブーイングや口笛を吹いたりするのは絶対に許せない行為と思います。田嶋幸三・日本サッカー協会技術委員長は「試合中のブーイングは仕方がない」としながらも「日本から来たファンが物を投げられたりして楽しくサッカーを見られないのは問題」と遺憾の意を示しておりました。

中国共産主義青年団機関紙「中国青年報」は、このような中国人サポーターの礼儀を失した行動を戒める異例の記事を掲載し、ホスト国の危機感を示し「日本が選手の安全を理由にアジアカップに出ないようなことになれば、アジアサッカー史上最大の醜聞」「2008年には北京五輪が待っていることを忘れるな」とファンを厳しく批判しております。とは言え、一方では、この程度のことはサッカー観戦ではよくあることで、むしろ日本のマスコミの誇張として日本を非難する記事も見られるようです。そこで、この重慶のサポーターに代表される反日行動についてその背景を探ってみました。(以下、2004年08月03日の日記「中国人サポーターと重慶爆撃」より引用)

1937年に、北京郊外の盧溝橋での一発の銃声に端を発し、日本と中国は宣戦布告しないまま戦争状態に入りました。世にこれを「日華事変」と称しております。どちらが仕掛けたのかは依然として不明のままですが、中国側は日本が仕掛け、その戦争で日本軍は南京大虐殺、重慶爆撃、ハルピンの細菌戦争等の残虐行為を行ったと主張し、教科書にこれを更に誇大表示しているため結果的に反日教育となったため、戦争を全く知らない若い世代の人たちまでも、日本や日本人のことを「小日本」などと蔑んで呼ぶようになっております。

日華事変後、日本軍は1937年12月13日には南京を占領し、その際に約20万以上の非戦闘員殺害したとされる南京大虐殺を行い、更に国民政府の蒋介石政権打倒を目的に徐州・武漢・広東を攻撃する大規模な連続作戦を展開し中国大陸の大部分の工業地帯の占領に成功しました。敗退を余儀なくされた国民政府は降伏を拒否して首都を南京から重慶に移して徹底抗戦を続けたため日本軍は重慶を最大の攻略拠点としました。

しかし、重慶は揚子江の上流にある武漢から更に長江を1370キロ溯った奥地にあり、陸軍では攻略できないため、日本は空爆による攻略に作戦変更して徹底的に重慶爆撃を敢行しました。後に中国側はこれを無差別爆撃による「重慶大爆撃」と称し、日本軍の代表的な残額行為と位置づけ、現在その時の被害者やその子孫たちが日本政府を相手取って訴訟を起こしております。

無差別攻撃との表現には異論が有るようですが、私は重慶大爆撃(死者約1万)は、ドイツによるスペインのゲルニカ爆撃(死者約0.5万)、米軍による東京大空襲(死者約10万)とともに、通常兵器による世界三大無差別爆撃のひとつと考えております。1937年から5年にわたって、戦艦主砲弾を改造した800キロ爆弾から、通常弾、焼夷弾などが昼夜を問わず重慶市内に打ち込まれ、その回数は延べ200回を越えたと言われます。

特に8月20日の爆撃では、陸攻90機、陸軍九七重爆18機の大編隊の爆撃で重慶市街は各所から火災が起こり、黒煙はもうもうと天に沖し、数十海里の遠方からもこの火煙が認められたと言われます。 1940年7月下旬に漢口に進出した零戦隊の飛行隊長横山大尉は10月のある日、重慶爆撃の効果確認のため重慶の低空偵察を決行した時の重慶市街は文字通り廃墟と化し惨憺たる光景を呈していたと報告しております。死者は一応、1万と言われておりますが実際はそれ以上だったと思われます。

あれから70年近い歳月が流れておりますが、この悲劇は重慶の人たちに語り継がれ、更には教科書による誇張とも受け取れる反日教育によって増幅され、この悲劇を知らない子孫たちに、日本憎しの思いが有るのは無理もないことと思います。そして日本の教科書では、重慶大爆撃についてはあまり触れていないため、重慶まで応援に駆けつけた日本人サポーターたちも、そのことは殆ど知らなかったものと思われます。重慶での一部の中国人サポーターの行為は許されるものでは有りませんが、日本選手、サポーター及び関係者の日本人たちが、70年前にここで起こった悲劇に思いをかけて亡くなられた多くの中国の方々の冥福を祈るぐらいの度量も必要かと思います。今回の東アジア選手権での中国人サポーターたちの観戦態度を注目してみたいと思います。


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