−日記帳(N0.2244)2008年02月20日−
東ア選手権 日本、中国を下す
−日記帳(N0.2245)2008年02月21日−
イージス艦と漁船の衝突に思う(2)


前半17分、先制ゴールして喜ぶ山瀬と呆然の相手DF

私は、これまでのサッカーの国際試合で、
こんな酷いジャッジをする主審を見たことはありません。
こんな酷いラフプレーをする選手を見たことはありません。
そんな無法地帯のピッチで冷静にプレーし見事に完封して勝利
を勝ち取った日本の選手たちに、心より敬意を表したいと思います。

男子サッカー東アジア選手の二日目の2試合が、昨日20日、重慶で行なわれ、第一試合 日本対中国は1:0で日本が勝利し、第二試合 韓国対北朝鮮は1:1で引き分けました。この結果、韓国と日本が勝点4、得失点差+1で並びましたが、得点で2多い韓国が首位をキープして日本は2位につけ、3位 北朝鮮、4位中国の順となりました。この結果、3位の北朝鮮までに優勝の可能性が残ることになりました。

23日の3日目の第一試合 日本対韓国戦でいずれか勝った方が優勝、もし引き分けた場合、北朝鮮が中国に1点差で勝利すれば得失点差で+1で韓国、日本、北朝鮮が並びますが、得点で韓国が日本より2多いため日本の優勝は無くなり、韓国と北朝鮮いずれか得点の多い方が優勝することになります。北朝鮮が中国に1:0で勝った場合は韓国の優勝、2点以上得点して勝った場合は、日本対韓国戦次第ということになりますが韓国が圧倒的に有利であることに変わりありません。

この日の、日本対中国戦は、冒頭に述べておりますように、国際サッカー史上に汚点を残す醜い試合になってしまいました。それでも、主審の理不尽で理解に苦しむアンフェアな判定と中国人選手の危険極まりないラフプレーに耐えて冷静に試合を進めて勝利しました日本選手たちに拍手を送りたいと思います。この中国人選手のラフプレーで怪我をしたためにW杯で苦杯をなめた苦い経験を持つフランスでは、ジダンなど多くの元フランス代表たちは、「今後、中国と対戦したくない」と語っております。特に、下の画像の、中国人選手が鈴木選手の首を締め付けているシーンと、その下の画像の安田選手が相手DFに脇腹に膝蹴りを受けているシーンはラフプレーを象徴するものでした。

鈴木選手は仕返しのポーズをとっておりません

その後、安田選手は退場して病院待機しました

本来なら、このようなプレーは選手生命を脅かす危険性が有ることから、レッドカードの一発退場ですが、北朝鮮人主審の オ・タエソンはイエローカードしか出さず、警告もしておりませんでした。そのため、中国人選手たちはイエローで済むと高を食って、その後もやりたい放題にラフプレーを続けました。本来、審判は試合をうまくコントロールする役を担わなければならないのに、この北朝鮮人主審は逆に火に油を注いでラフプレーを助長しゲーム負傷者まで出す結果を招いてしまいました。日本選手団の大仁邦弥団長(日本協会副会長)は、この点を重く見て大会を主催する東アジアサッカー連盟に対し、再発防止を求める申し入れ書を提出しました。

このラフプレーには中国国内でも批判の声が上がっており、地元の中国のスポーツ紙「体壇週報」は、「中国チームは自らに最も野蛮なチームというレッテルを張った」とした上で「中国チームは技術や戦術レベルの向上に全力を傾注してこなかった」と指摘するとともに、戦績にこだわりすぎる中国サッカー協会幹部が選手をあおったとの見方を示し、中国選手が日本選手の首をつかんだことを挙げ「いかにバランスが崩れた心理状態だったかが分かる」とした上で「すべての選手が興奮していては、試合に勝てるわけがない」と批判しております。

前半、中国はボールを奪っては素早く前線につなぎ、サイド攻撃でチャンスを作り続ける一方、日本は、高いポジションで起用された安田がピッチを駆け回って攻守に貢献し、前半17分、左サイドの駒野のクロスを起点に、山瀬のゴールで日本が先制点を挙げ、GK楢崎を中心とした守備陣が体を張って中国の攻撃を防ぎ切り、1−0とリードして前半を終えました。 後半は一転して日本がペースを握ったもの決定機で安田が相手GKにファウルされて負傷交代してから中国にラフプレーが目立つようになり、日本選手が何度もピッチに倒れ込む場面が繰り返されたが、それでも日本は冷静に試合をコントローして相手に決定機を作らせず、結局1−0の完封勝利を収めました。

尚、注目された中国人サポーターの観戦態度は、ピッチの選手たちのラフプレーとは対照的に冷静でした。負けた瞬間にはペットボトルが投げ入れられ、日章旗が焼かれ、帰りの日本選手たちのバスを取り囲むなどの騒動は有ったものの、。君が代演奏でもブーイングも出ず、試合中は予想された反日行動は殆ど無かったと報道されております。この点、改めて中国人サポーターに敬意を表したいと思います。そのような態度で北京五輪に臨んで欲しいものです。


真っ二つに割れた清徳丸の船体

新勝浦市漁協川津支所所属の吉清治夫さん(58)の一家は代々漁師の家系で、治夫さんも地元の小中学校を卒業後、漁師になりましたが若くして父親を亡くしたため、親類や知人の漁船に乗せてもらいながら昭和50年代になって、漸く念願の船を購入し、父親の名前と世話になった漁師の船の名前から一字ずつとって「清徳丸(7.3トン)」と命名しました。 治夫さんは妻と長男の哲大さん(23)の3人暮らしで、15年前に脳梗塞で倒れ、体が不自由になりましたが、家族のためと船に乗り続けるようになり、哲大さんは高校を中退して父を助けるようになりました。

この日2月19日早朝の午前1時頃、哲大さんと持ち舟の清徳丸に乗って、僚船の「金平丸」「幸運丸」「康栄丸」など僚船7隻とともに川津港を出港しました。この日は、伊豆大島沖でエサとなるサバを釣って漁場の八丈島沖に向かう計画で、同日午後9〜10時に帰港を予定しておりました。そして、出航して約3時間後に川津港から南西方向に100kmの下図の、野島崎から南南西約40kmの×地点に差し掛かりました。


一方、現在就役中の5隻のイージス艦の中で、昨年3月に就役したばかりの、海上自衛隊・第三護衛艦隊(舞鶴)所属の最新鋭イージス艦「あたご」は、ハワイで沖でミサイルなどの装備が規定通り稼働するかの試験を無事終えて、2月7日にハワイを出航して、横須賀基地経由で母港の舞鶴に帰港すべく、上図の×地点に差し掛かかっておりました。この時点で、×地点付近での「あたご」と「金平丸」「幸運丸」「康栄丸」の位置関係は、関係者の証言によれば下図のようになっておりました。


4時頃、「金平丸」の市原船長は、緑色の灯火を確認したことから、進行方向の左から「あたご」が近づいてきたのに気付きました。海上衝突予防法により、「金平丸」に回避義務が有ることから右に舵を切りましたが、間に合わないと判断して咄嗟に左に大きく舵を切り直しました。この時、「あたご」が全く回避行動を取らずに直進していたことが他の僚船の証言から判明しております。またこの「金平丸」の回避行動の航跡は、「金平丸」に備え付けられているGPS(=全地球測位システム)プロッターに記録されていたことから事実であることが判明しております。

「金平丸」が、「あたご」を回避した5分後ぐらいに、「金平丸」の前を南西方向に約15ノット(時速約27キロ)で航行していた「幸運丸」の船長、堀川宣明さん(51)は、衝突約30分前に3時半頃、レーダーに「あたご」の船影を確認しました。 そして、4時過ぎに「金平丸」の市原船長と同様に「あたご」の緑色の灯火を確認しました。「あたご」が幸運丸の前方2.7kmにまで近づいてきた時、堀川船長は船の灯火の位置が高いことから、船体が大きいと判断、しかも回避行動を取っていないことからこのままでは危険と考え、右に舵を切り、「あたご」の前を横切るようにして衝突を回避しました。

この時点でも、「あたご」は回避行動は取らずに自働操縦により直進していたことが判明しております。「あたご」が灯火を5回余り点滅させて、周囲の船に警告信号を送ったのは、幸運丸が「あたご」を回避してから約5分後で、その直後に艦全体に明かりがつき、停止したと堀川船長は証言しております。その時が、「あたご」が「清徳丸」に衝突した時でした。

そして、「金平丸」「幸運丸」が相次いで、「あたご」の進行方向の右側に回避した後の4時7分頃、「清徳丸」が「あたご」に接近していきます。勿論、「清徳丸」からは無線連絡も入っておらず、GPSも発見されておりませんので、「あたご」側からの証言に頼るしかありません。しかし、その証言が曖昧な上、時間経過とともに変わってきますので、現在のところ正確な情報は判明しておりません。

しかし、「金平丸」「幸運丸」と「あたご」の位置関係が上図のとおりだったことは事実ですので、これを基に「清徳丸」と「あたご」の位置関係を割り出すと下図のようになります。


当初の19日、防衛省は「衝突2分前の4時5分頃に「清徳丸」の緑色の灯火を視認した」と発表しておりました。しかし、翌日20日には「衝突12分前の3時55分頃に「清徳丸」の灯火が移動しているのを視認した」との発表を追加しております。そして、清徳丸と衝突する1分前まで自動操舵を続け「清徳丸」を確認した直後に手動に切り替えて後進したが間に合わず衝突したこと、衝突2分前に「清徳丸」とは別の漁船(前述の経緯から「幸運丸」と特定される)が、右前方から「あたご」の前方を横切ったことを明らかにしております。以上の事実関係に基づいて私見を明日の日記で述べてみたいと思います。


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