−日記帳(N0.2290)2008年04月06日−
序盤のセ・リーグ戦況を分析
−日記帳(N0.2291)2008年04月07日−
63年前の今日、戦艦大和沈没


改装なった神宮球場(茶色部分が拡張されたエリア)

セ・リーグはパ・リーグより8日間遅れの3月28日に開幕しました。いずれもナイトゲームで東から、神宮球場でヤクルトー巨人戦、ナゴヤsドームで中日ー広島戦、京セラドームで阪神ー横浜戦が行なわれました。昨年、優勝の巨人が何故ビジターで神宮球場で試合を?と不思議に思い、調べてみたら次の事実が判明しました。

2002年は同年に開催されるサッカーW杯日韓大会による人気減少を防ぐため、前年成績に関係なく札幌、東京、名古屋、大阪、広島、福岡の六大都市で開幕することにしました。そのため2001年の成績によって本来あるべき開催権を無駄にしないために2003年は2001年の成績で開幕権を決定し、以降は2年前の成績で開幕権を決定することになりました。(Yahoo Japan!知恵袋より) )

以上の理由で一昨年Bクラスの4位に終わった巨人には開幕権無く、一昨年Aクラス3位のヤクルトに開幕権が有るため、ヤクルトのフランチャイズ球場の神宮球場で開幕試合が行なわれることになったわけです。神宮球場は1926年(昭和元年=大正15年)に完成し、当時はホームから両翼までの距離が101m有りましたが、ホームランが出やすいようにするために91mに縮小して使われてきました。しかし、東京ドームやナゴヤドームなどに較べて狭いため拡張の必要性に迫られておりました。そこで、昨年11月からラッキーゾーンや観客席を撤去することで、建設当時の広さに戻す工事が完了して開幕を迎えたのでした。



63年前の今日、4月7日午後2時23分、当時世界最大の軍艦、戦艦大和は、空母11隻、戦艦10隻、巡洋艦10隻、駆逐艦50隻の計87隻からなる世界史上最大の機動艦隊から発進した艦載機から爆弾6発、魚雷10本以上の直撃を受けて、鹿児島県・坊ノ岬の西南西160kmの海域(東シナ海北緯30度43分17秒 東経128度04分00秒)で2,498名の乗組員と共に430mの海底深く沈んでいきました。

1968年(昭和43年)に、後世に「坊ノ岬沖海戦」と呼ばれる日米最後の海戦に参加した艦船は旗艦大和以下、巡洋艦矢矧、駆逐艦磯風以下8隻の計10隻で、この海戦で亡くなられた多くの将兵たちを慰霊しるために、東しな海を見下ろす鹿児島県・徳乃島の犬田布岬に、戦艦大和のメインマストの形をした慰霊塔が建設されました。そして、毎年、4月7日に全国から戦没者の遺族等がここを訪れるようになりました。 しかし、40年間での風塩害が激しくなったことから、平成18年8月から1.2億円で慰霊塔を再建すべく募金活動が行なわれております。

ところで、私にはこの慰霊塔について疑問を持っております。それは、何故この場所に慰霊碑が建てられたかということです。慰霊碑は戦没者にとって所縁の場所に建てられるべきものです。この場合は沈没地点から最も近い場所を選ぶべきです。しかし、この徳乃島は本土の坊ノ岬より2倍近く遠いのです。


「エースと4番をもっていかれて黙っておられるか!」とのヤクルト宮本選手が言うように、去年までヤクルトのエースで去年の最多勝投手のグライシンガーと同じくヤクルトの4番で昨年の首位打者ラミレスが巨人に移籍しましたので、ヤクルトの苦戦はまぬがれないものと思われておりましたが、巨人の誇る30発カルテットの高橋(由)、小笠原、李、阿部に快音が聞かれなかったのに対し、ヤクルトは川島慶、田中、飯原らの若手とリグス、ガイエルなどの活躍でヤクルトが3連勝しました。

中日は、初戦を黒田に代わるエースの大竹に抑えられ辛うじて引き分けに終わりましたが、その後は李、中村、森野らの活躍で連勝し、阪神は初戦を、金本、今岡のタイムリーで逆転しJFKが後を締めてが適時打を放ち、その後も金本、今岡、新戦力の新井らの活躍で連勝しました。セ・リーグは3節を終え、9試合を消化した時点で下表のとおりになっております。



順位 球団 勝数 負数 引分 勝率 G差 防御 打率 HR
阪神 7 2 0 .778 - 2.85 .270 7
中日 6 2 1 .750 0.5 1.95 .258 14
ヤクルト 6 3 0 .667 0.5 4.04 .272 9
広島 3 5 1 .375 2.5 2.82 .288 8
横浜 2 7 0 .222 1.5 4.96 .230 9
巨人 2 7 0 .222 0 6.37 .269 6
沈没地点から最も近い島は、上図に示すとうに、宇治群島です。ここからなら沈没地点まで120km程度です。しかし、この島は現在無人島となっているので不向きです。次に近いのはこの宇治群島と屋久島のほぼ中央にあるトカラ列島です。この島には人が住んでおりますが飛行場が無いので交通の利便性が悪くやはり不向きです。その点、鹿児島からの定期便がある奄美大島なら交通の利便性が有って適していると思います。徳之島にも飛行場が有って鹿児島からの定期便が有って便利ですが、奄美大島より沈没地点から遠くなります。このような条件のもとで、何故徳之島を選ばれたのか理解に苦しみます。沈没地点から最も近い本土の坊ノ岬には、大和の沈没50周年にあたる2005年(平成7年)に平和祈念展望台が建立されております。

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