−日記帳(N0.180):2002年4月21日−
ユダヤ民族の歴史(5)
(第2章 族長士師時代)
1.ヨシュアによるパレスチナ侵略:
モーセの死後、ヨシュアがイスラエルの民の指導者となりました。 アブハラムが99歳の時、神から約束された「カナンの全ての土地を、あなたとその子孫に、永久の所有地として与える。」と言う有名な「アブラハム契約」を実行すべくヨシュアはカナン人が住んでいたカナンの地を略奪してしまいました。
このカナンの地は、北はレバノン山、南は現在の死海の南岸、西は地中海、東は、ヨルダン川の東、アンモンに接する地域でまさに現在のイスラエルの国そのものです。 これが、ユダヤ民族が現在のイスラエルをユダヤ固有の土地と主張する根拠と言われております。 神との約束を口実にした明らかな侵略行為としか思えないのですが、あくまでもこれは旧約聖書での話です。 史実はどうだったのでしょうか。 こうして獲得した土地をヨシュアは各支族に与え分割統治させます。

2.イスラエルの建国と初代サウル王朝:
イスラエルは建国されるまでは統治者は「王様」ではなく「士師」という立場の人が政治を行なっていましたが、最後の士師だったサムエルという人が「預言者」の立場に立って、神のお告げによってキシュの息子サウルに「国王」としての権限を与えたことにより、イスラエルと言う国が王国として建国されることになりました。

サムエルがサウルの頭に「油を注ぐ」という行為が即位の儀式となりました。 国家の政治は「国王」を中心として「預言者」と「祭司長」がそれぞれの責任分担を果たすという体制になりました。預言者は神からメッセージを受けて国王に伝えるのですが、あくまでも国王が国家の中心人物でした。

サウル王はペリシテ軍に連戦連勝するものの、功を焦るあまり祭司サムエルを無視して生け贄の儀式を行ったため神に対する冒涜となり民の心もサウル王を離れていきました。そこでサムエルは神の予言に従い新しい王にエッサイの息子の羊飼いの少年ダビデを選び彼の頭に油を注ぎ2代目のイスラエルの王に指名しました。 実はサムエルは最初、ダビデの兄のエリアブを選ぼうとしたのですが神から「容姿や背の高さに目を向けるな。人は目に映ることを見るが、神は心によって人の心を見る」と言われて翻意してダビデを選んだとされております。

竪琴の名手でもあったダビデはサウル王の宮廷で美しい音色と歌で王を慰めていましたがある時、ペリシテ軍に3メートル近い大男ゴリアテが出現しました。するとダビデは石の詰まった子袋を投げ、ゴリアゲの額に命中させ難なく倒してしまいました。

ダビデはサウルの娘を妻にしましたがサウルはダビデの人気が高まるにつれ嫉妬し殺害しようとします。ダサウルは逃走したダビデ追手を出して追撃しましたがペリシテ軍の攻撃が再開されて神に見放されたサウル王は敗れ自殺し、約40年でサウル王朝は幕を閉じダビデ王朝に移っていきます。

アブラハムやモーゼの名前とともにダビデの名前はよく新約聖書の中に述べられています。ダビデの名前は、イエス、の先祖の系図に記されており、イエスは、「ダビデの子」と呼ばれております。従って、イエスは、先祖ダビデと同じようにベツレヘムで生まれるのです。新約聖書の筆記者はイエスが約束されたメシアであると信じ、イエスにおいて神と人類との契約が成就されていると信じていると言われております。
−日記帳(N0.181)2002年04月23日−
ユダヤ民族の歴史(6)
(第3章 イスラエル統一王国時代)
1.イスラエル王国2代目ダビデ王朝:
ダビデはこうして謙虚にサウルに仕えたにもかかわらず、迫害を受け逃亡者として彷徨い、敵であるペリシテ人のもとにさえ身を寄せました。やがて、ダビデはヘブロンで南の王国ユダの王となり、頭に油を注がれました。そこはかつてアブラハムが移住し葬られた所です。そして北の部族の王としても認められ、同様に油を注がれます。 おうして、ダビデは南のユダ、北のイスラエルからなる南北統一イスラエル王国の国王になりました。

ヘブロンは、統一された王国イスラエルの首都として不適当であったので、ダビデはエルサレムを占領します。それ以来、エルサレムは「ダビデの町」として知られるようになりました。ペリシテ人に打ち勝った後、ダビデは、南はシナイ半島から北はレバノン山脈まで、西は地中海沿岸から東はヨルダン川を越える土地まで広がる広大な地方の統治者となります。

ダビデもまた主の契約の箱(The Holy Ark)をこの新しい首都に運びます。この箱はイスラエルの民の一致を表わすしるしでした。この主の契約の箱は持ち運びできる御輿のようなものであり、その中には、モーゼが神から告げられた十戒の「十の言葉」が書かれてある二つの石板が入っていました。

ダビデはその主の契約の箱のために神殿を建てようとしましたが予言者ナタンはこれをを止めさせる代わりにダビデの王国はとこしえに続き、彼の王座はとこしえに続くとの約束を与えます。

しかし、神に選ばれたダビデにも人間の弱さが有り、ウリアの妻バテシェバを恋し姦通の罪を犯してしまいました。ダビデは彼女と結婚するために夫ウリアを戦場に送り込み死なせます。主は預言者ナタンをダビデに送りその罪を責めます。 ダビデは自分の罪を祈りや断食をして償ったのですが自分の子供は主の予言どおり死んでしまいました。 ダビデは長生きしましたが、息子アブサロムの反乱に苦しめられたことを自分の犯した罪の償いとして受け止めました。

2.イスラエル王国最後のソロモン王朝:
ダビデの後の王位継承はダビデの優柔不断のため宮廷内で混乱しましたが、彼とべトシェバの間に生まれた二人目の息子ソロモンを後継者にすると宣言したことで決着しダビデの没後ソロモンが王位につきました。ソロモンは、神の命令通り20万人の労働者と7年の歳月をかけて金色に輝く神殿を建設し、そこに「契約の箱」を収めると天から巨大な光の玉が降り神の栄光が神殿を満たしたと旧約聖書は物語っています。ここにイスラエル統一王国の黄金時代が誕生したのです。

我が母校の寮歌に「見よ ソロモンの栄耀も 野の白百合に如かざるを・・・♪」とあるようにソロモンと言う言葉には栄華、財宝等の華やかさの言葉の代名詞のようになっているように、ソロモン王の名声は遥か遠いアラビアのシバの女王にも伝わりました。

女王はソロモン王が評判どおりの賢い人物か否かをこの目で確かめてみたくなり、わざわざイスラエルまで出向き会ってみると噂に違わぬ聡明さと実行力を備えた偉大な王であることを知ったのでした。 しかし、同時にシバの女王は若きソロモン王が側妻によって堕落することを見抜いていたのです。

実際に、数十年後ソロモンはシドンから来た側妻が異教の神を拝むことを許してしまったのです。エルサレムの城壁外ならかまわないと言うのが理由だったのですが、これはイスラエルが滅亡する不吉な前兆で、「主の憤りを恐れよ」と呼びかける予言者の声は次第に大きくなっていきました。



 
前 頁 へ 目 次 へ 次 頁 へ
Pー1
inserted by FC2 system