−日記帳(N0.1269)2008年05月24日−
モスクワの無情の雨に泣き濡れて
−日記帳(N0.1270)2008年05月25日−
長谷部の見事な凱旋アシスト


敗戦の責任を感じ流れる涙を手で覆うテリー選手
(5/23付けスポーツナビより)

モスクワの夜は更けて深夜12時をまわった頃から、ここルジニキ・スタジアムに冷たい雨が振りそそぎ、この日のために人工芝から張り替えた天然芝のピッチは照明に照らされて光り始めておりました。そのピッチに倒れこんで両手で顔を覆ったまましばし動こうとしない選手がおりました。あの恐怖の赤い悪魔の象徴の赤のユニフォームを着たマンチェスター・Uの今や、世界一のストライカー、プレミアリーグ得点王、ポルトガルの貴公子、クリスチアーノ・ロナウドでした。

欧州CL史上初のイングランド同士の決勝対決は、これまた史上稀に見る白熱した名試合となりました。ジダン、テュラムとともにドイツW杯予選敗退の危機を救ったフランス代表のチェルシーのMFマケレレと、ギグス、ベッカムらとともにイングランド代表として大活躍し今尚、マン・Uの攻撃の仕掛け人のMFスコールズとのボールの奪い合いは凄まじく、ついにスコールズの顔は流血で血に染まりましたが、いったんピッチの外に出て止血処理を終えるや、前半26分、ブラウンにパスを送って得点機を仕掛けました。

ブラウンはこのパスを受けて絶妙のロングクロスを左サイドのロナウドに向けて上げました。ロナウドがこれをダイレクトでドンピシャのタイミングで頭で合わせるとボールは矢の如くゴール左隅に突き刺さりました。この間、あの欧州一の名GKチェフは一歩も反応出来ず、唖然としてボールを見つめるだけでした。まさに絵に描いたような見事な先制ゴールでした。このまま試合が終われば、ロナウドはこの試合の英雄になれるところでしたが、その2時間後に悲劇が彼を待ち受けておりました。

その19分後のロスタイムに入って間もなくチェルシーは、ガーナ代表で世界最高のセンターハーフの一人と評価されているエシアンがロングシュートを放ったことから反撃を開始、マン・UのDFに当たったボールはペナルティーエリア内に走り込んだランパードの目前に流れた、イングランド代表MFは先月他界した母に捧げるかのように落ち着いてこれを決め、チェルシーが同点に追い着いつき、延長戦でも決着がつかずPK戦に持ち込まれたのでした。そして、ロナウドともう一人の選手の悲劇の瞬間が刻一刻と近づいてきました。

両軍とも一人目、二人目のキッカーが決めてマン・Uの三人目のキッカーとしてロナウドが登場しました。例によって、右サイドを狙うような仕草をしてからいったん動きを止めたあと左サイドにシュートを放ちましたがチェフにコースを読まれてセーブされ失敗に終わりました。彼がピッチの上に倒れこんだのはその直後のことでした。チェルシーの4人目のキッカー、ランパード、マン・U4人目のキッカー、ハーグリーブスが夫々決めて4:3でチェルシーリードとなり、いよいよ運命の5人目のチェルシーのキッカ−、テリーの登場となりました。

5人目のキッカーはPK戦で最も重要ですからPKが最も得意な選手が務めることになっており、チェルシーではコートジボワール代表のドログバが務めることになっておりましたが、延長戦でビディッチの顔面を叩いて一発退場とり、代役を打診されたアネルカが拒否したことから主将のテリーが自らこの役を買って出たのでした。ここで決めればチェルシーに初優勝をもたらすことになりますから、テリーは慎重に右隅をインサイドで狙って踏み込んだ瞬間、左足が濡れたピッチに取られて滑り、蹴られたボールは無情にもポストにつかまり失敗に終わりこの瞬間、勝敗の行方は6人目以降のキッカーの足に委ねられることになりました。

6人目は両軍とも決めて5:5、マン・Uの7人目のキッカー、ギグスが決めて6:5となり、5人目のキッカーを断ったアネルカはチェルシー7人目のキッカーとして登場しました。性格の強さが災いして豊かな才能を生かしきれずに欧州のクラブを渡り歩き、4ケ月前にボルトンから移籍してきたばかりのアネルカの表情は冴えませんでした。PKキッカーになるためにボルトンから来たのではないと主張したのに聞き入れられず7人目のキッカーとしてこのペナリティーエリアに立つ自分に納得いかなかったのがその理由のようでした。

ここで、アネルカがテリーに失敗を挽回し、テリーのために、チームのために、ファンのために、いや自分のために、ただ一心不乱にゴール目掛けて蹴りこめば、いったんはそっぽ向いた女神が再び振り向いてくれたかも知れません。しかし、そんなアネルカの心情を見抜いたかのように、アネルカのPKはGKファンデルサルにセーブされてしまいました。その瞬間、テリーは顔を手で覆い泣き崩れました。一方、その10分前に同じようには顔を手で覆い泣いていたロナウドは、歓喜のイレブンが遠路はるばるモスクワまで駆けつけたサポーターの下に駆けて行ったのに途中でピッチ上にに倒れ込んだまま泣き崩れてしばらく起き上がれませんでした。


日本代表に選ばれて帰国した長谷部選手(成田空港にて)
(中日スポーツ008年5月20日の紙面から)

一昨日の5月23日に行なわれた日本A代表による国際親善試合キリンカップ第1戦のコートジボワール戦は、それほど興味を抱いておりませんでしたので、名古屋市で開かれたある会合に出席することを優先させ、試合の様子はパソコンで録画予約し、帰宅してから再生してゆっくり観戦することにしました。ところがパソコンの電源をスタンバイにしておくべきところをオフにしてしまったため、録画開始時刻が指令されず録画出来ませんでした。

ところが、母校の後輩、長谷部の好アシシトをグランパスの玉田が決めて1:0で快勝したことを後で知り、会合を優先させた上、録画まで失敗したことが悔やまれてなりませんでした。従って、試合内容については視聴しておりませんので、ここで、とやかく言うことは避けて長谷部のことのみ取り上げていきたいと思います。

長谷部はどちらかと言えば、玄人受けするタイプのように思われます。今朝のTBSのサンデーモーニングで解説の中西哲生さん(名古屋ー川崎)が長谷部の玉田へのアシストの素晴らしさを解説しておりましたが素人の私にはよく判りませんでした。この時の長谷部のアシストについて、あるスポーツ紙は「今野のフィードに長谷部が抜け出し右サイド深い位置で追いつき、大久保がニアへ走りこんでDFを2人引き連れてできたファーサイドのスペースに、玉田が走りこんだところを見逃さず、長谷部が右サイドからファーサイドへクロス。これを玉田がしっかりと決めた」と評論しておりました。

中西さんは、長谷部が大久保と玉田だけでなく、相手DFの位置と動きを的確に見据えた上で最適のクロスを出したことを高く評価したものと思われます。更に、中西さんは浦和時代に較べてフィジカル、技術両面で明らかに進歩しており、ボランチ役の日本代表として活躍できるると賞賛しておりました。ただ私には、2005年天皇杯準決勝・大宮戦などで見せた高速ドリブルで独走してシュートする長谷部にその魅力を感じておりましたが、高速ドリブル自体は本来的なボランチの役割ではなく的確なパスを送るボランチ役に徹することに長谷部の真価に繋がることを改めて認識した次第です。

このような、ボランチとしての進化は、移籍先のドイツ・ブンデスリーガのウォルフスブルクでの守備的MF(ドイツではボランチとは言わない)の経験を通して培われ、今や同チームでこの位置を確保し、チームを5位に押し上げ、UEFA杯出場権獲得に貢献しております。特に彼は移籍して4ケ月間で体格はひとまわり大きくなっており、5/17のリーグ最終戦、5/18の親善試合と2日連続出場してから5/20帰国し、「全然疲れもない」とケロリとして愛知県・豊田に移動して4日後の5/24にコートジボワール戦にフル出場していることから、技術面だけでなくフジカルな面でも進化していることが判ります。

彼が藤枝東時代に1年後輩の成岡翔の影に隠れていたのも、日本代表に選ばれながら出場機会に恵まれなかったのもフィジカルの弱さに起因していたと言われておりますのでこの豹変ぶりは頼もしい限りです。特に、W杯3次予選は6/2から6/22までの20日間に4試合の厳しい日程となりますのでフィジカルの強さは先発出場には欠かせない条件となります。 現在、日本代表MFとして長谷部の他に、中村(俊)、中村(憲)、鈴木(啓)、 遠藤、松井(大)、今野、山瀬、香川の8人が選ばれておりますが、ボランチとしては長谷部、中村(憲)、鈴木(啓)、遠藤が競い合うものと思われます。

中でも最も若い長谷部がやや調子を落としている鈴木(啓)やどちらかと言えばミドルシュートを多用してトップ下的なプレーが目立つ遠藤より優先されるような気がします。彼が自陣の近くで相手ボールを奪い、ドリブルでサイドを突破して駆け抜け的確なパスを出して得点機を演出することを期待しております。

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