−日記帳(N0.1342)2008年08月06日−
広島・長崎原爆記念日に思うこと
−日記帳(N0.1343)2008年08月07日−
今日から暑中から残暑に


原爆死没者慰霊碑

今日は63回目の広島原爆記念日です。毎年、この日を迎える度に不快な言葉が頭を過ぎります。それは次の三つです。

・「原爆記念日」
・「過ちは 繰返しませぬから」
・「終戦を早めるために投下」

「記念日」は、個人なら「結婚記念日」、団体なら「創業記念日」国家なら「建国記念日」のように、喜ばしく、めでたいメモリアルデーに冠すべきであって、無差別攻撃によって子どもたちを含む多くの罪も無い人たちが亡くなった日を何で記念するのか、私には理解出来ません。「原爆被災者追悼の日」とすべきではないでしょうか。

冒頭の画像の「原爆死没者慰霊碑」は、広島市内にある平和記念公園の敷地内の、広島平和記念資料館と原爆ドームを結ぶ直線上に設置されており、当時東大助教授だった丹下健三氏の設計によるもので、問題の「過ちは 繰返しませぬから」の碑文は、被爆者でもある雑賀忠義広島大学教授によるものです。

私は、この碑文を雑賀教授がどのような思いで作られたかは知りませんが、一日本人として素直に何回も、何回も読み直しても納得がいきません。何故なら、この碑は日本に在って、しかも日本人によるものですから「過ちを繰り返さない」の主語は当然、日本人となるからです。少なくとも、原爆投下という人類に共通する過ちを犯したのは日本人ではなく米国人ですから。

同じ主旨の見方を東京裁判で被告全員の無罪を主張したインド人のパール判事がしております。彼はここを訪れ、碑文の意味を通訳され、過ちを犯された側が謝罪するのでは理屈に合わないと述べております。1970年に「碑文を正す会」が「碑文は犠牲者の霊を冒漬している」として、碑文の抹消・改正を要求する運動をおこしました。そして、当時の山田節男広島市長が、碑文の作者の真意を代弁して、主語は世界人類で、碑文の真意は人類全体に対する警告・戒めであるとの見解を発表しまして、碑文の正当性主張しております。

しかし、私はそれも納得できません。この碑の近くに、世界遺産の原爆ドームが有ります。従って、この慰霊碑は世界遺産の一部とみなしてよく、原爆ドームに訪れる外国の方々がここに寄る機会が多く、英訳されたこの碑文を読んで彼等はどのように捉えるでしょうか。 彼等に被災国の日本が詫びていると解釈されたら、原爆近禁止を願う日本人の真意が正しく伝わらないのだはないでしょうか。「過ちは繰り返えさせないようにしますから」に直すべきでしょう。

米国側の公式見解ではないかもしれませんが、原爆を投下した米国側の関係者は、ごく一部を除いて原爆投下を「終戦を早めるため」としており、米国世論も政府も特にこれを否定する姿勢は打ち出しておりません。原爆投下は、あの時も現在もどんな事情が有るにせよ、投下を正当化する理由など有るはずが有りません。こんな理由が正当化されるならこれからも、戦争を終わらせるという理由で常に有り得ることになり、とんでもないことです。


今日は、立秋です。今日から残暑になります。つまり、暑中と残暑の境目が今日の立秋です。そして残暑は立秋から秋分(今年は9/23)の前日までの46日間前後となります。この定義からすれば、暑中は夏至(今年は6/21)から立秋の前日までの46日間前後となるはずですが、実はそうではありません。2008年07月26日の日記「土用と暑中について思うこと」で触れておりますように暑中については次の三つの説が有ります。

(1) 立秋前日(今年は8/6)の18日前から立秋前日まで(=土用の期間)
(2) 小暑(今年は7/7)から立秋前日まで
(3) 梅雨明け(今年、当地方では7/19)から立秋前日まで

(1)なら18日間、(2)なら30日間、(3)なら18日間となりますから、いずれにしても残暑の46日間のほぼ半分程度となります。そして、書中と残暑でどちらがより暑いかについて、昨年の名古屋での最高温度を事例にそれぞれ18日間の平均温度を算出してみたところ次の結果を得ました。

・残暑(8/07-8/24) 平均=35.1 最高=39 最低=29

つまり、残暑の方がはるかに暑かったのでした。従って、残りの暑さという意味の「残暑」という言葉は、実態を表わしていことになります。従って、暑さ見舞いは「暑中」より「残暑」の方が理に適っていると私は思います。


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