−日記帳(N0.1344)2008年08月08日−
故郷での高校同級会に出席して
−日記帳(N0.1345)2008年08月09日−
北京五輪開会式に思うこと


駿河湾から富士山も望める位置にある焼津グランドホテル

11年ぶりに母校、藤枝東高のクラス会が故郷の焼津市内の焼津グランドホテルで開催されるとの案内が有りましたので出席の回答を出して楽しみにしておりました。案内状には午後4時受付と有りましたので、会場のホテルに3時半頃着くように自宅を午前10時頃出発しました。特に急ぐ旅でもないので名古屋から新幹線を利用しないで武豊線、東海道線を乗り継いで行くことにしました。

焼津グランドホテルは、焼津市内では隣接する松風閣に次ぐ規模のホテルで、駿河湾上に浮かぶ富士山を見ながら温泉に浸れ、夕食に焼津名物のマグロやカツオの刺身が出ることで知られております。ホテルには焼津駅前から送迎バスが出ておりましたので、これに乗って約10分ほどでホテルに着きました。受付のデスクには、まだ誰も居なかったのでロビーでコーヒーを飲みながら休憩しておりました。

やがて、11年ぶり、中には卒業以来の再会となる懐かしい面々が集まってきました。開会は、5時半からでした。幹事は近隣の現役の町長で多忙の身でありながら、同級生たちの要望に応えて準備してくれたのでした。渡された出席者名簿を見て驚きました。42名の卒業生のうち実に30%の死亡率に相当する13名が死亡しており、しかもうち7名は平成以前、つまり20年前に死亡していたからです。

我々の年代なら平均死亡率は15%程度、20年前なら5%程度と言われておりますので、我々のクラスはまさに呪われたクラスです。そして、出席者が29名中の17名で60%近い出席率だったのにも驚きました。日本の同級会の平均出席率は30%程度と言われておりますので、これまた驚異的な出席率です。

会は、近況報告を中心に3時間に及びました。私は、自分のことよりも、それまでの同級生たちの報告に反論する形で語りましたので、笑いを誘いながらも波紋を投じたました。まず、一つは次回のクラス会の時期でした。これまでどおり10年後との案に対し私は「それなら会場は天国だね。」と皮肉を込めて提案しました。現在の30%の死亡率は10年後には50%以上にに達していると予想されるからです。結局、3年後で落ち着きました。

次は、「人間、元気なうちはやはり働くべきだね」とのあるクラスメートの意見に賛同の雰囲気が会場に漂っておりましたので、「働くのは人生を楽しむための手段であって目的に非ず、手段と目的を混同するのは如何なものか」と意見を述べました。テーブルを見渡すと、あの美味しいマグロやカツオの刺身などのメイン料理が食べ残され、ビールを注ぎ合う風景も殆どみられません。

こんな雰囲気の同級会はこれまで経験したことがありません。糖尿病などの成人病を患う人が多いのがその原因のようでした。それなら、身体を労わってより余生を長くして楽しむべきであり、収入を得る目的で働くなど愚の骨頂であり「得た収入を天国で使うのか」とこれまた皮肉を込めて反論しました。

人生の折り返し点を悠に過ぎてゴールが迫っている現実を直視しようとしないのは、昔から気候風土に恵まれ暢気な考えを持つ人が多い、ここ静岡の人たちの特徴かも知れません。実は、私の父母もそうでした。それでも、父は98歳まで長生きしましたから、このように暢気に過ごすのも、ひとつの人生かも知れません。そんなことを話題にして、3年後の再会を誓って8時半に閉会し、自宅に11時過ぎに着き、五輪開会式の様子をテレビで観ました。


宙吊りで空を走った李寧によって点火された聖火台

第29回夏季五輪北京大会は、昨日の8月8日、午後8時(日本時間同9時)、厳戒態勢のもと北京市の国家体育場(愛称・鳥の巣)で開会式セレモニーが行なわれました。本大会にには史上最多の204カ国・地域から約11,000人の選手が集い24日の閉会式まで28競技302種目で覇が競われます。

開会式当日は「午後から夕方にかけて短時間のにわか雨」との予報が出ておりましたが、北京市郊外では密雲区で40ミリ、順儀区で22ミリとまとまった雨が降っていたにもかかわらず、会場の国家体育場では一滴の雨粒も落ちてきませんでした。北京市気象台は開会式前の8日午後4時から深夜にかけ、市内の21カ所で計1,104発のミサイルを発射し、開会式会場の国家体育場から雨雲を他へ動かす人工消雨に成功したと発表しておりますのでこれが奏功したのかもしれません。

セレモニーは最終イベントの聖火台への点灯まで約4時間半に渡って行なわれました、私は故郷の焼津で開かれたクラス会に出席して11時過ぎに帰宅したため150番目の入場行進以降しか観ることは出来ませんでしたが、録画を再生して観たところ、中国嫌いの私でも文句の付けようがない見事なイベントでした。主なイベントは次のとおりでした。

開始時間を告げるカウントダウン
 中国古代の楽器「缶」を打ち鳴らす人々の上に光の数字が現れて
 カウントダウンが行われ、開始時間を告げると会場周囲には空が
 明るくなるほどの花火が打ち上げられました。

29個の巨人の足跡の形をした花火の打ち上げ
 天安門広場から会場に向け、第29回五輪を象徴して29個の足跡の
 形をした花火が打ち上げられましたが、後に最後に会場の上空で
 上げられたもの以外はCGでらりことが判明しました。

巻物の上の中国の歴史と文化を示すパフォーマンス
 漢字、印刷技術、太極拳など中国の歴史と文化を示すパフォー
 マンスが繰り広げられました。

北京五輪開会式主題歌のソロ共演
 中国の国民的男性歌手リウ・ホアン(劉歓)と透き通った美声で
 知られる英ソプラノ歌手サラ・ブライトマンの壮麗な主題歌の
 調べ、サラの中国語も素晴らしく、聞く者すべてを魅了した。

LEDライトを身につけたパフォーマーたちによる光のハト
 スタジアムで大きく羽ばたいて平和と五輪の理念を示しました。

宙吊りで空を走った李寧による聖火台の点火
 1984年ロス五輪で金メダル3個を獲得した中国の英雄、李寧が最終
 走者として宙吊りで空を走って点火。


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