−日記帳(N0.1392)2008年09月25日−
ロシア人力士に思うこと(4)
−日記帳(N0.1393)2008年09月26日−
大麻草に思うこと(1)


住宅の庭の片隅に自生した大麻草
(オルタードディメンション研究会より転載させて頂きました)

かあさんは夜なべをして
手袋編んでくれた
木枯らし吹いちゃ冷たかろうて
せっせと編んだだよ
ふるさとの便りは届く
いろりの匂いがした

かあさんは麻糸つむぐ
一日つむぐ
おとうは土間で藁打ち仕事
お前もがんばれよ
ふるさとの冬はさみしい
せめてラジオ聞かせたい

この歌は、久保田俊夫さん(73:ペンネーム=窪田聡)が1958年(昭和33年)に発表した日本の童謡歌で、うたごえ活動を通して全国に広まり、ダークダックスやペギー葉山さん等によって取り上げられたことからより広い層に知られるようになって現在に至っております。

2007年(平成19年)に文化庁と日本PTA全国協議会が選定した日本の歌百選に選ばれており、殆どの日本人が一度は聞いたり、口ずさんだりしたことが有る歌と思います。殆どの童謡歌が昭和初期から明治時代にかけて作られている中で、この歌のように戦後も20年近くなってから作られたのは大変珍しいと思われます。

久保田さんがこの歌を発表した1958年は、現在でも東大合格率日本一の名門校、開成高校を卒業したものの、文学や音楽の道を選んで家出して埼玉県などで歌声運動をしていた頃と思われます。家出した彼を心配した母親から送られた小包の中に手編みのセーターが入っておりました。戦争中に疎開していた雪国の信州の情景を思い出し、母への思いが重なってこの歌が作られたものと思われます。

前置きが長くなりましたが、この歌をここで取り上げたのは2番の歌詞の中で白文字で示した「麻糸」と言う言葉にあります。彼が疎開していた長野県に限らず、大麻草は日本では、縄文時代から戦後の1950年代まで栽培され、その茎皮の繊維から作られる麻糸を使って衣類、手袋、、南京袋、下駄の鼻緒、畳の縦糸、魚網、神社の締縄や鈴縄、弓矢の弦、鼓の紐、タコ糸、結納の水引等の生活必需品が作られており、資源の少ない日本にとっては大切な資源でした。特に、明治時代から戦後にかけて政府が大麻草の栽培を奨励し、戦前は喘息の特効薬として薬局で販売されておりました。

このように、大麻草は古くから、日本の文化、日本人の生活に深い関わりも持っており、太陽の光と水さえ有れば肥料や農薬を使わずに約100日で3mにも成長して、衣料、紙、建築材料、更には食料油、医薬品、ディーゼルエンジンの燃料の原料になりますので小資源国、高エネルギー消費国の日本に相応しい重要な天然資源でした。

「・・でした」と過去形を使っているのは、終戦後間もなく、占領軍が日本での大麻草の栽培を禁止したことを受けて1950年に大麻取締法が制定されて、特定の許可無く栽培することが禁止されてしまったからです。当時、米国では戦時中から大麻草(マリファナ)吸引する兵士が増えてきたことを憂慮して、米軍は様々な形で規制をしておりました。

しかし、大麻草が自由に栽培されている日本ではこの規制が及ばず、進駐軍兵士の間で吸引が広がることを恐れたGHQは日本政府に大麻草の自由栽培禁止を命令したのでした。縄文以来、日本では大麻草の吸引する習慣が無かっただけに、日本政府にとっては、つい数年前までは政府自ら栽培を奨励していたものを逆に禁止することになるのですから、まさに晴天の霹靂の命令だったことと思います。

大麻取締法は、大麻草の葉及び花冠にテトラヒドロカンナビノール(THC)という成分が含まれており、これが麻酔作用を引き起こして人間の健康に害を与えるとの考え方に基づいており、他の多くの国々も大麻草の栽培、所持、売買等に何らかの形で規制を加えておりますので、例え、占領軍からの命令が無くても、大麻草を規制する法令は施行されていると思います。

ただ、前述のように大麻草はエコ時代に合った天然資源との見方が最近強まり、大麻取締法の改正を望む声が大きくなりつつあります。
これまで、大麻草を「ロシア人力士に思うこと」のシリーズとして取り上げてきましたが、今後は、エコ時代を迎えての大麻草への期待感と大麻取締法の在り方に注目して「大麻草に思うこと」とタイトルを変えて取り上げていきたいと思います。



昨日の日記でお断りしましたように、大麻草を「ロシア人力士に思うこと」のシリーズに関連付けて取り上げてきましたが、最近になって地球温暖化防止対策の一環として、大麻草の植物繊維としての有用性がが再認識されてきましたので、タイトルの「大麻草に思うこと」として、今後折りに触れて取り上げていきたいと思います。今日は、何故、私が「麻」と言わずに「大麻」あるいは「大麻草」と区別して呼称してきたかについて説明させて頂きたいと思います。

大麻取締法が制定される前までは、麻=大麻=大麻草 でした。しかし、麻糸から作られる麻繊維は通気性が有って、肌触りもいいので高温多湿の日本では好んで使う風習が有ることから、麻に類似した性質を持つ植物繊維が麻の代用品として使われるようになりました。それが、亜麻(アマ)と苧麻(チョマ)です。

現在、麻の呼称を許される繊維はこの2種類のみで、従来の大麻から作られた繊維は指定外繊維となり、麻の呼称は許されておりません。従って、縄文以来戦後まで使ってきた麻と区別する必要があります。従来の麻の草は、現在の麻、つまり亜麻や苧麻の草に較べて背が高いことから「大」の字を冠して「大麻」と改名したわけです。

従って、現在栃木県など一部の都道府県で僅かに国の認可を得て栽培され、その麻糸から作られ、横綱の化粧回しや神宮の注連縄などごく限られた用途に使われている大麻繊維を麻と呼称することは出来ません。逆に言えば、現在、我々が麻として使っている物は、大麻繊維から作られた物ではなく、亜麻か苧麻のいずれかと言うことになります。

ランジェリーは、現在では婦人用下着の総称となっておりますが、元はラテン語の「lineus=亜麻で作られたもの」、紐、布」で、亜麻(=linen)からきております。勿論、現在のランジェリーは麻製ではなく、合繊、綿がほとんどです。尚、病院やホテルなどで「リネン」と言う言葉が使われますが、これは、シーツ、枕カバー、タオル、クロスなどの総称であり、リネンサプライとはこれらをレンタルすることで使用済み品を回収しクリーニングして再使用する事業を指しており、亜麻がその語源となっております。

また、亜麻は繊維だけでなく、種子はから採れる亜麻仁油は、α-リノレン酸をゴマの100倍以上含むことから最近女性向け健康食品として注目されております。亜麻は中央アジア原産のアマ科の一年草で大麻草ほど繁殖力は強くなく施肥など手入れが必要ですがそれでも栽培しやすく、かっては北海道で、ラベンダー、ハッカとともに栽培されておりました。下の写真のように4月から6月にかけて可憐な花が咲きますので観賞用としても人気があります。


また、亜麻と人とのかかわりは古く、人類が最初に栽培したとの説も有ります。およそ1万年前から栽培されていた記録が残っており、古代エジプトでは、ピラミッドの壁画に亜麻が描かれていたり、ミイラを包む布に使われております。また、古代ギリシャの医学の父といわれたヒポクラテスは、「亜麻を食べると胃腸の調子が良くなる」として、亜麻栽培を推奨しておりましたので、「世界最古の健康食品」とも言えます。

亜麻色の髪の乙女と言う歌が流行したことがありましたが、この亜麻色(上の字の色)は女性の美しい髪の色の象徴でもあります。亜麻は、繊維のランジェリーと言い、亜麻仁油の女性用サプリメント、そして、その色は亜麻色として美しい女性の髪を象徴するなど、この可憐な花とともに女性に縁が深いようです。


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