−日記帳(N0.1394)2008年09月27日−
大臣の建前と本音に思う
−日記帳(N0.1395)2008年09月28日−
ノーベル授賞通知直前に死去したたハッブル


日教組の根城、日本教育会館

大臣に就任すると何故か、失言、暴言の類が多くなるようです。その殆どはあまりにも馬鹿らしくて取上げる気にもなれず無視し続けてきましたが、直近の中山成彬前国交相の暴・失言は、本音と建前があまりにも対照的で特筆すべき内容ですのでここで取上げることにしました。

中山成彬氏は言わずと知れた、中山恭子内閣総理大臣補佐官(拉致問題担当)の夫であり、第2次小泉改造内閣の文部大臣を務めた際には日教組と鋭く対立して日教組の弊害を実証するために全国学力調査を実施したことでも知られております。今回の暴・失言は、(1)日本は単一民族、(2)成田闘争はゴネ得、(3)日教組の三つからなりますが、(2)と(3)は明らかな失言であり、本人も直ぐに発言を撤回して陳謝しております。

確かに日本は、アイヌ民族や日本に帰化した外国人を配慮すれば限りなく単一民族に近く、成田闘争を含め、空港・原発建設などにゴネ得がはこびったことは紛れも無い事実ですので、一般人が私的な会合の席などでこのような発言をしてもまず物議かもすことは無いと思います。本音を率直に言うか、事実関係が裏付けられていないから建前論で言うかの違いだけです。

ただ、政治家などの公人が記者会見などの公の場で、事実関係が裏付けられていないことを本音として発言するのは、明らかに間違っており、ましてや「日教組の子供なんて成績が悪くても先生になる。・・・日教組が強いから大分県の学力は低い」などの差別発言は、その事実関係に関わらず撤回すべきと思います。

しかし、日教組が日本の戦後教育を荒廃させた元凶であるとの考えが多くの日本人に支持されているのは事実ですから「日教組をぶっ潰す」との発言は撤回する必要は無いと思います。むしろ、これを撤回するなら、中山成彬氏は政治家として失格です。従って、(1)、(2)の2件の失言と、日教組批判の中の差別化発言の責任をとって国交相を辞任するのは筋が通っており当然のことと思います。

ただ、日教組の組織率はさすがに年々低下の一途を辿っており、ひと頃のような影響力は無くなりつつあり、文部省とも強調路線をとるようになってきたことは喜ばしいことですが、もし民主党が政権を取ると、民主党の支持母体であるだけに、また我がもの顔でのさばり出すことが憂慮されます。中山成彬氏の発言によって、国民が日教組の弊害を改めて認識し直すきっかけになれば不幸中の幸いです。そうなることを切に望むものです。


バッフルの法則を確立したエドゥイン・ハッブル氏

今日は、宇宙の起源となるビッグバン理論に繋がる宇宙膨張説の根拠となるバッフルの法則を発見した米国の天文学者のハッブル(Edwin Powell Hubble:1889〜1953)の命日です。今日は、天文学者として初のノーベル物理学賞受賞が決定していながら、不幸にもその通知を受ける直前に死去した彼を偲んで、バッフルの法則について触れてみたと思います。 1929年のことでした。バッフルは、当時世界最大だったウイルソン山のフッカー望遠鏡を使って宇宙の彼方にある数々の銀河を調べておりました。そして、ある不思議な事実に遭遇したのでした。その不思議な事実とは、銀河からの光スペクトルが赤い方にズレることに気付いたことでした。このことは、ドップラー効果により、物体が遠ざかると物体からの光波の周波数が低くなることから、スペクトルが赤い方にズレること(=赤方偏移)が判っておりますので、銀河が地球から遠ざかっていることが確認されたことになります。

夜中に救急車が近づいてくると救急車のサイレンが高く聞こえ、遠ざかっていくと低く聞こえることはよく経験します。救急車のサイレンは常に一定の周波数の音波ですから、救急車が近づく場合は音波が圧縮されて周波数が高くなるので高い音に聞こえ、遠ざかる場合は音波が引き伸ばされて周波数は低くなるので音も低くなるからで、この現象をドップラー効果と呼んでおります。

車のスピード違反取締りもこのドップラー効果を利用しております。近づいてくる車に向けて電磁波を照射し反射すると、車の速度が大きいほど周波数が高くなりますので反射波の周波数を測定すれば、ドップラー効果の式から車の速度を算出できます。野球で使われるスピードガンもドップラー効果を利用して球速を算出しております。

更にハッブルは、地球までの距離Lが既に判っている銀河が地球から遠ざかっていく速度S(=後退速度)とLからなる点を座標にプロットしたところ、下図のように近似的に直線上に乗ることが判りました。これは、LとSが比例関係にあり、速度Sが距離Lの1次式で表わされることを意味しております。つまり、銀河は地球からの距離に比例する速度で地球から遠ざかっていることに気付き、S=H・Lという有名なハッブルの法則の式を19289年に発表しました。


このバッフルの法則は宇宙誕生の源であるビッグバンの存在を予言していました。何故ならバッフルの式は(0,0)の 原点を起点としております。ここでは速度=0、距離=0 ですから点を意味しております。つまり宇宙の起源はコイン程度の点で、この点が爆発的に広がる、いわゆる ビッグバンを起こし膨張して現在の宇宙が作られていったというビッグバン理論が、後にこのバッフルの法則により展開されたわけで、見方によってはアインシュタインの相対性原理に匹敵する大発見とも言えると思います。

この結果、バッフルは天文学と物理学の接点を見出し、天文学を独立した科学の一分野ではなく、物理学の領域の一つとして天文学者たちの研究成果がノーベル物理学賞の受賞対象になるようにノーベル賞委員会に認知してもらうよう尽力しました。ノーベル賞委員会はバッフルの考えを受け入れて天文学を物理学の範疇に含めるべきであると決定し、バッフルの偉大なる功績を認めて、バッフルにノーベル物理学賞授賞を決定しました。

しかし、不幸にも受賞の通知を受ける直前の1953年9月28日に彼は死去しました。ノーベル賞は存命の者に与えられる賞であったため、ハッブルはノーベル賞を受賞することはできませんでした。ハッブルの死後、受賞者に内定していたことを知らされたハッブル夫人の思いは如何ばかりだったでしょうか。ストックホルムから授賞通知の電話が入った時、彼が例え病床に在っても賞を受ける意向を夫人を通して伝え、ノーベル賞委員会がそれを確認し発表した瞬間に受賞は決定したはずです。せめて数日、死期が遅れていたら、彼はノーベル賞受賞者リスト入りしたはずです。


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