−日記帳(N0.1404)2008年10月07日−
乗鞍は今回も雨だった
−日記帳(N0.1405)2008年10月08日−
名大関係者3名同時受賞に思う


雨に煙る畳平・遊歩道

歓声を上げる名大理学部の学生たち
(今日付けの毎日新聞より)

乗鞍スカイライン経由で乗鞍岳の山麓の標高2,702mの畳平に日帰りバス旅行で行ってきました。これまでは、日帰りバス旅行はその殆どが名古屋駅からでしたが、今回は自宅から直ぐの名鉄半田駅からで交通の便がいいこと、現地は紅葉の真っ盛りであること、値段が6,000円台で値ごろであること等が決め手になりました。

ただ、乗鞍スカイラインは過去4回行っておりますが、晴れていたのは最初の昭和40年代だけでその後の3回はいずれも雨か雪でしたので、悪い予感を感じておりました。特に、先回(2005年10月23日→当サイト日記)は、雪で乗鞍スカイラインが閉鎖されたため平湯大滝を見て引き返すという惨憺たる有様でした。そして、その予感は的中し、朝から当地も雨模様で、現地は雨とのつれない予報でした。

それでも、乗鞍スカイラインと乗鞍エコーラインは通れるのと紅葉が素晴らしいとのガイドさんの言葉に励まされながら、バスは知多有料道路から名古屋高速道を経由して一宮ICより名神高速に入り、一宮JCTから東海北陸道に入っていきました。やがて車窓から郡上八幡城が見えてきました。この東海北陸道は今年の7月5日に飛騨清見JCTと白川郷ICの間が開通した結果、全線開通(185km)し、名神高速と北陸高速道が完全に結ばれました。

我々のバスは、飛騨清見JCTから中部縦貫自動車道(国道158号線)に入りました。この道は名前からして如何にも有料道路のように思えますが実は無料道路なんです。この中部縦貫自動車道は、松本市を起点とし高山市を経由して飛騨清見JCTで東海北陸道に接続し、白鳥JCTで分岐し福井県大野市を経由し福井市に至る高規格幹線道路だからです。

ただ、現地調査から33年、着工から18年の歳月を費やして難工事の末、1997年12月に開通した安房トンネルの有る中ノ湯IC - 平湯IC間の安房峠道路だけは有料となっております。このトンネルが完成する前は冬季は雪で閉鎖されることが多く交通の難所でしたが開通により5分で通過できるようになりました。この国道158号線が出来る前は、飛騨と信州を結ぶ道路は、「ああ野麦峠」で知られる峠道しか無かったことを思い出しているうちにバスは、その安房峠道路手前の平湯峠を越えて乗鞍スカイラインに通ずる県道5号線に入っていました。

こお頃から雨が降り出し、遠くの山々は霞んで見えません。乗鞍スカイラインに入ると、雨足は強まり、お目当ての紅葉は雨に煙って見られたものではありませんでした。畳平のバスの終点に着いた頃は風も有って、レインコートを纏わないと歩けない程でした。ここで1時間半のフリータイムをどう過ごすか迷った末、乗鞍山荘で食事をとった後、そこから通ずる往復30分のお花畑を周回する散歩道を散策することにしました。その時の様子が冒頭の写真です。

横殴りの雨のなかで撮ったため、デジカメに浸水してしまい、この写真を撮ったのを最後に作動しなくなってしまいました。従ってこの後のエコーラインでの見事な紅葉や壮大な虹は撮ることができませんでした。尚、下の画像は天気がいい時の遊歩道の風景です。

晴れの日の乗鞍高原・遊歩道

帰路は、乗鞍スカイラインから東に下りて行く無料の乗鞍エコーラインを通って、白骨温泉を左手に見ながら158号線に入り、安房峠道路を通って往路の158号線に戻り、同じ道を通って夜7時過ぎに半田に到着しました。皮肉なことに、エコーラインに入ると晴れ間が見え、見事な紅葉と虹を見ることが出来ました。しかし、デキカメの故障でその風景を撮影できなかたことは残念でした。今回も、散々な目に遭いましたが、忘れられない思い出が出来たことで、良しとしましょう。


スウェーデン王立科学アカデミーは昨日の10月7日、2008年度ノーベル物理学賞を、米シカゴ大の南部陽一郎名誉教授(87:米国籍)、高エネルギー加速器研究機構の小林誠名誉教授(64)、京都産業大理学部の益川敏英教授(68)の3人に授与することを発表したのに続て、同アカデミー今日、2008年度ノーベル化学賞を、米ボストン大名誉教授の下村脩氏(80)ら3人に授与することを発表したため当地、特に名大は湧きかえりました。

何故なら、受賞者の小林誠氏、益川敏英氏、下村脩氏の3人がいずれも名大関係者だったかあでした。小林、益川両氏は名大卒、下村氏は長崎大卒ですが名大研究生当時博士号を取った後名大助教授に就任しているからです。これで、2001年度化学賞受賞の野衣氏を含めて名大関係者のノーベル賞授賞者は4人となた分けです。

野衣氏の場合は、京大卒で名大教授、益川氏の場合は逆に名大卒で京大教授、小林氏も名大卒で京大助手を経由しており、京大と名大の関係が続いております。これは、故坂田名大教授が京大卒だったことに、その原点が有るようです。この両大学には研究に自由な雰囲気が有ったことを小林氏は受賞後に語っておられましたので、この辺りに何かが有るのかも知れません。

小林、益川両氏は10年以上も前から、日本人で最もノーベル賞に近い人と言われてきただけに、受賞は遅すぎた感が有りますが、下村氏は正直、意外でした。それは、緑色蛍光タンパク質(GFP)を発見したことだけでは、受賞対象になり難くかったことからあまり注目されてなかったのが原因のように思われます。 しかし、GFPはタンパク質だけで自ら発光することから遺伝子工学により生体内で作り出せることからその応用範囲が飛躍的に広がったために、その価値が認められて受賞に至ったようです。これは、田中耕一・島津製作所フェローの化学賞受賞の理由と共通したものが有るように思われます。

名大理学部には、物理の坂田ルートと化学の平田ルートが有ります。 坂田は、湯川秀樹、朝永振一郎とともに日本の素粒子物理学をリードした坂田学派の創始者の坂田昌一氏、平田は当時、名大助教授だった江上不二夫氏の指導を得た後に名大教授として黄変米、フグ毒などの成分分析に成功した平田義正氏のことです。

坂田門下から今回、小林、益川両氏が、平田ルートから今回、下村氏がノーベル化学賞を受賞しております。また、ノーベル化学賞受賞者で野依名大特任教授も京大助手だった頃に平田氏に誘われて名大に移っておりますので広義には平田ルートの人と言っていいち思います。当然、坂田、平田両氏も存命していたらノーベル賞授賞の可能性は高かったものと思われます。尚、名大関係者で今後のノーベル賞授賞候補者は次の各氏です。

・中西香爾氏:米・コロンビア大学教授で世界的な有機化学者で上述
 の平田氏の後継者で門下生に下村氏、昨年度の文化勲章受章者

・飯島澄男氏:名城大教授でカーボンナノチューブの発見で知られ、
 名大特別招聘教授でもあります。




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