−日記帳(N0.1418)2008年10月21日−
観測史上初、小惑星が地球に衝突
−日記帳(N0.1419)2008年10月22日−
戦艦大和の引き揚げ計画に思う


地球に衝突する20時間前の小惑星2008TC3の光跡(赤枠内)
(AstroArtsより)

小惑星は太陽系誕生の折に地球等の惑星になり切れなかった落第生です。超新星爆発によって出来た同じ星間雲が原始太陽系円盤を形成した時に10kmサイズの微惑星がまず形成されると考えられていますが、その時に合格して惑星になるか、落第して小惑星か彗星になるかの運命の分かれ目が有ったようです。

ほとんどの小惑星は、木星軌道と火星軌道の間の、約2〜4天文単位(=地球と太陽の間の距離≒1.5億km)の小惑星帯 (asteroid belt) と呼ばれる領域に集まっており現在までに、直径200km以上の小惑星26個を含めて約6,000個の小惑星が見つかっています。

直径100km以上の小惑星は99%、10km〜100kmの小惑星は約50%見つかっておりますが10km未満については殆ど判っておらず、少なくとも1km未満は100万個以上有るものと推定されております。これらの惑星は基本的には太陽の周囲を周回しているのですが、比較的小さい小惑星は他の天体の影響を受けて周回軌道が大きく変化して地球に接近し、中には衝突することも有ります。

しかし衝突しても数m前後の場合、その殆どは地球を取り巻く大気との摩擦で燃え尽きたり、燃え尽きないまでも砕片になって地上に落下して隕石となりますが、例えば1kmを越える場合は燃え尽きないまま落下するため、大気圏に塵埃が滞留したり巨大津波が発生したりして甚大な気候変動を地球に与えます。

6,500年前には、直径10kmにも及ぶ巨大な小惑星が地球に衝突して氷河期をもたらして恐竜を絶滅させてと考えられております。そのようなわけで、小惑星の接近は常に監視し場合によれば核ミサイル攻撃により軌道を変えたり、砕片化して衝突による悪影響を最小限に押さえ込む必要が有ります。そのために、各国で天体パトロールが行なわれております。

オーストラリアのサイディング・スプリング天文台は、米国のカタリナ・スカイサーベイ、レモン山サーベイ(CSS)と協力することで全天をカバーして、小惑星を主な対象として天体パトロールを行なっております。そのCSSが10月7日午前2時45分(日本時間午前11時45分)頃、地球に接近中の小惑星2008TC3を発見し、スーダン北部上空で大気圏に突入するという予報を発表しました。

この程度の大きさの小惑星の落下は地上に甚大な被害を与えることが無いことと、落下点付近が人口密度の低い地域だったことから、この発表は世界的なニュースにはなりませんでしたが、地球に衝突する前の小惑星が望遠鏡で観測(冒頭の画像参照)されたことは史上はじめてのことで、その意味では世界的なニュースでした。

この小惑星2008TC3は直径が推定約2mで、アフリカ北東部の国スーダンで、明るい火球として夜空を照らしたと考えられ、非公式ながら火球の目撃情報が有ったようですが、残念ながら撮影されたとの情報は今のところ公表されておりません。


戦艦大和の沈没地点
(雑感記・戦艦大和物語(2)より)

当時、世界最大の軍艦、戦艦大和は九州沖を航行中に米艦載機386機と潜水艦による波状攻撃を受け、爆弾6発、魚雷10本以上の直撃を受け、1945年4月7日午後2時23分、鹿児島県坊ノ岬沖160kmの地点で2,498名の乗組員と共に430mの海底深く沈没していきました。

大和が海底に沈没している様子が、1999年8月テレビ朝日のスタッフによる撮影で明らかにされたことから、その引き揚げの可能性が論じられるようになりました。しかし、400mを越える深さではダイバーが作業をすることが出来ませんし、4,000トンを越える重量物の引き揚げサルベージ船の能力を超えることから引き揚げは容易では有りません。

大和は火薬庫の爆発で真っ二つに折れた状態で沈没し、更に着底時のショックで更に細かく割れた状態で海底に沈んでいることがテレビ朝日の撮影映像で判明しております。その中で、大和のシンボルで、球状船首に菊の紋章が有る艦首部と主砲塔なら世界最大の引き揚げ能力3,700トンを有する深田サルベージ「武蔵」なら引き揚げ出来る可能性が有ります。

広島県呉市は戦艦大和が建造された、言わば大和の故郷でもあります。この地に2005年4月23日に、大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)がオープンしました。ここには、10分の1モデルの戦艦大和が展示され、大型資料展示室には本物の零式艦上戦闘機や人間魚雷「回天」、特殊潜航艇「海龍」など、屋外には、戦艦陸奥の主砲身などが展示され、開館日数668日目で300万人が来館するなど全国的な人気を集めております。

そこで、地元の呉商議所などが、この人気にあやかって呉の街おこしの一環として、戦艦大和の引き揚げを計画しました。この計画では、主砲と船体前部の一部などを引き揚げることとし、試算では費用が50億から100億円程度になるとしております。 引き揚げ方法などの検討はこれからで、2、3年かけて全国から寄付金を募り、資金を賄う考えで実際に引き揚げ作業に入るのは約5年後になる見通しとのことです。

私は、その動機と寄付金で費用をまかなおうとする考えに不満を覚えますが、引き揚げには賛成します。 戦争体験者は年々減っており、戦争の悲惨さを伝えるすべが無くなりつつあります。引き揚げた大和の一部を展示することで、戦艦大和とともにいまだに3,000に近い御霊が眠っているという事実を全国の人々にアピールできるいい機会だと思うからです。 ただ、沈没している大和を永久の墓場としたいとの遺族の思い、是非引き揚げて遺骨を引き取りたいとの遺族の思い、さまざまと思いますので、遺族の方々の思いも充分汲み取って慎重に計画を実行して頂きたいと思います。


前 頁 へ 目 次 へ 次 頁 へ
inserted by FC2 system