−日記帳(N0.1438)2008年11月10日−
近所のお宅の庭で咲く菊
−日記帳(N0.1439)2008年11月11日−
伊東温泉での同級会に出席


近所のお宅の庭で選に漏れて寂しげに咲く菊の花

春の象徴の桜に対し、菊は秋を象徴する花です。鎌倉時代の初めに後鳥羽上皇が菊を好んだことから、菊は天皇家の家紋となり、江戸時代前期から菊の栽培が盛んに行なわれるようになり、多数の品種が生み出されるようになりました。正徳年間頃からは「菊合わせ」と呼ばれる新花の品評が行なわれるようになってから、日本各地で菊花壇、菊人形など様々に観賞されるようになりました。

当地、知多地域でも昔から菊の栽培が盛んに行なわれており、特に隣町の阿久比町で昭和54年に「菊づくり運動」が始まり、住民参加型で「日本一の菊花展」として評価を得るほどになってから、当地で品評会が盛んに行なわれるようになりました。近所のYさんも、定年退職されてから品評会への出品を目的に菊の栽培を始められ、何回か入賞されるほどに腕を上げられております。

そんなYさんの庭先には、出品に漏れて残された菊が10鉢ほで寂しげに咲いております。そんな菊の花を観ていると、何か哀れを感じてしまいました。そこで、せめて散る前にその美しい姿をカメラに収め、ここにアップして留めておけば、訪れる人の目に触れることもあろうと思い、以下に掲載させて頂きました。





新幹線の車窓からみた富士山

毎年秋、大学の専攻学科の同級生による同級会を幹事持ち回りで開催しております。同級生がまだ現役の頃は数年に1回程度、それも日帰りで不定期に開催しておりましたが、定年で暇が出来るようになってから、「最終の新幹線を気にせずに温泉宿にでも宿泊してゆったりと過ごそうではないか」との私の提案が同級生たちに受け入れられ、幹事持ち回りで定期的に開催することとし、その第1回が私の幹事で松本で開催されました。以後、下に示すように今回で9回を数えるに至りました。

第1回:2000年11月11日 松  本・浅間温泉(サイト未開設)
第2回:2001年11月10日 伊 東 ・伊豆高原温泉
第3回:2002年12月14日 氷 見 ・氷見温泉
第4回:2003年11月05日 浜名湖・舘山寺温泉
第5回:2004年11月10日 諏 訪 ・下諏訪温泉
第6回:2005年11月05日 伊 東 ・富戸温泉
第7回:2006年11月05日 東 京 ・日帰り(病欠により当該日記無し)
第8回:2007年10月24日 姫 路 ・広峰山
第9回:2008年11月11日 伊 東 ・伊東温泉

卒業時、40名だった同級生は5名が他界して35人となりましたが、うち10名は招待状を送っても無回答か有回答でも常時欠席のいずれかと決まっておりますので、実質25名が出席対象者となります。今回は当初21名が出席予定しておりましたが、その後、体調不良、親戚の不幸、急用で3名が欠席となったため18名の出席となりました。従って出席率(=18/35)は約50%ですから、世間一般の同級会の平均出席率30%より高くなっております。

今回の会場は、伊東温泉のとある老舗旅館です。伊東市内は今回で3回目ですので、会場には迷うことなく行くことが出来ました。例によって、今回も名古屋駅まで逆行せずに、武豊線大府経由、快速で豊橋まで行き、ここから新幹線の乗り、熱海で下車して伊東線で伊東まで行き、歩いて10分ほどの旅館まに午後頃着きました。冒頭の画像は、富士駅過ぎた頃、新幹線の車窓から写した富士山です。

伊東温泉は、源泉総数で別府、由布院についで3位、総湧出量で別府、由布院、奥飛騨につづき4位での名湯です。この旅館は温泉宿が立ち並ぶ松川沿いにあり、伊東駅、なぎさ公園、オレンジ海岸、松川遊歩道、按針碑等の市内有名スポットにも徒歩圏内にありロケーションは抜群でしたが、この日は木枯らしが吹く寒さでしたので宴会前の散歩は控えました。

この1年の身の回りの出来事をお互いに披露し、伊勢海老などの地元料理に舌鼓みを打ちながら秋の夜を楽しみました。宴会が終わってから部屋で、囲碁に語らいに夜の更けるのを忘れて団欒を楽しみました。特に、地球温暖化問題、世界的な金融危機等の時事問題に話が及び、遠い学生時代に戻ったような雰囲気が部屋中に漂いました。


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